←前回
その日の朝の空は雲一つない見事な秋晴れで気温もほどよく、早起きしたかいがあるものだ、と思った。
鳥はさえずり、涼しい風がそよぎ、いかにも秋らしい雰囲気だったが、あえてその場所を特徴づけるものと言えば目の前にある線路だった。
目先のすぐ1メートル前にJR線の線路がある。 こんなに線路の近くに立ったことのある経験はそれほど多くない。
あまりに線路に近づきすぎると、なぜか、なんとなく少し罪悪感を感じた。
そして間もなくして東京に向かう電車の音がだんだんと自分に近づいていくのを感じた。
電車が目の前を通り過ぎたとき、電車に乗って仕事へ向かう人々が見えた。
僕は彼らが自分の視界の右から左へと移動していく様を確認したが、誰一人として線路のすぐ目の前に立っている男に気が付いてはいない、と感じた。
誰も外の景色などに興味はないのだと思った。
そして電車が通り過ぎると、体の向きを180度変えた。
今度は目の前に今日の調査物件が見えた。
物件と線路の間には文字通り何もなかった。
柵も、壁も、看板も何一つなかった。
街を作って遊ぶテレビゲームみたいに線路の隣に物件が取ってつけたかのように置かれ、それら2つを区分する役割のようなものが欠如していた。
線路は1.5メートルくらいの高さのバンクになっていて、物件はそれよりも低い位置に建っていた。
確かに建ってはいたが、その物件に人格を与えるなら、それは足腰の悪いよぼよぼの老人で、杖も持たず背の高い下駄を履いたまま震えながら辛うじてその場で耐え忍んでいる、という感じの代物だった。
壁が一部欠損して、柱はむき出しになり、近寄ってみるとシロアリによって完全に食いつぶされた柱も何本か確認できた。
南側の屋根の一部に穴が開いている。壁が欠損した箇所から覗いてみると、部屋の内部に容赦なく注ぐ光を確認することができた。
畳にはコケが生えている。
家の外には自転車、車のタイヤ、車の座席、鉄の棒、ガラ、釣竿、バケツ、他にも分別のつけられない黒い大きな物体がそこらじゅうに無秩序に捨てられていた。
また雑草も生い茂り、おそらく長い年月にわたって人間の管理の手を逃れ、彼らの帝国としてはびこっていた。
自分のすぐ目の前には腰の高さくらいある「くっ付き虫」をたわわに実らせたまま枯れた名前の知らない雑草(小さいときによく遊んだ)が半畳ほどのスペースを支配していた。
もう一度線路側を振り返って確認してみる。
たしかにJR側の景色は現実そのものだった。後ろを振り向くと一転、物件側の景色はまるでレトロだった。
これが35年に1度の超お宝物件には到底見えなかった。
しかし自分より34年も不動産に関する経歴が長い不動産屋が言うのだから、きっとそうなのだろう、と思った。
不動産屋との約束の時間まで少し時間があったので、仕方なくこの物件についていろいろと思いを巡らせてみた。
どんな人が住んでいたのだろうか、どれくらいの間放置されたままだったのだろうか、なぜ放置されたままだったのだろうか、近所の人はこの物件をどう思っているのだろうか。
雪が降る寒い夜にはホームレスが迷いこんで、この空き家で寒さを凌いだ歴史がある、という事実が仮にあったとしてもそれはもはや驚くべきことではない様に思えた。
まさにそれくらいの放置具合だった。これは廃墟だ。
そうしているうちに左のポケットから電話が鳴り出した。
つづく