妻と出会ってよかった。

同じ考え、同じ感性。笑うポイント。時にはハモる。双子?って勘違いしそうなくらいです。

二人とも双子で、妻は女・女で、私は男・女。

結婚したら確率的に双子の子供?って笑っていた。

結婚しても子供は授からなかった。

夢は叶わない事もある。努力してもダメなときはある。

でも、今は違う形で子供がいてる人生を過ごしています。

 

妻とはS教会で知り合った。

私自身は、父が精神疾患で少しでも良くなるんならと入信。家族皆が入った。

妻は、親から言われて入信。もちろん家族入信。

青年グループで良く布教もし、よく遊びにも行った。

私は別の女性と付き合っていましたが、ある時、彼女を自宅に送っているときに

交差点を信号無視した車と衝突。大けがを負った。

彼女は頬骨を複雑骨折。私は幸い足の靭帯と骨膜損傷。

彼女の両親からは反対されていた。もちろんご両親には挨拶をしていましたが。

胸ぐらをつかまれて猛反対されていました。

反対理由はS教会が嫌だったから。

勿論、自分たちも家族で入信していたが、脱退した為の反対でした。

相手は、自賠責のみ保険がない為、第3者行為による保険で私の保険で彼女の治療なども

保証した。

しかし、彼女の両親は、私をターゲットにしてお金を要求するようになった。

初めは渡していたが、段々とエスカレート。母もノイローゼの手前まで追い込まれていた。

彼女共連絡が取れなくなり、病院に行っても門前払い。

私自身は、結婚を考えていたが、会えない、連絡のない為。母の事もあり

裁判をおこした。

そのあとは、弁護士を通じて事件としてあつかった。

その事故の時に毎日見舞いに来てくれたのが妻だった。

3年ほどしてから、妻から告白を受けたが、事故の事が決着つくまでは付き合えないっと

断っていたが、いつになるかわからない事件なので、私自身妻とはあった時から

なぜか感じるものがあり惹かれていましたので、1年後付き合った。

本当にいい子です。

私にはもったいない。

でも、妻は白斑症を患っています。っと告白されましたが、私は全部ひっくるめて愛しています。

って伝えました。今はどんどん進んで変わってあげたいですが、無理なので

化粧品等何でも買ってね。っと言っています。

それからは、二人三脚で人生をあゆみ、今では特別養子縁組で二人の男の子の母親です。

一度は子供を諦めて20年ぐらい経ちましたが、今では4人家族とワンコ一匹。

人生は面白いですね。

S教会に入信していなければ、今の人生はありません。

とっても幸せです。

 

悩み苦しみあれば連絡下さい。

S教会は、奇跡奇瑞ラッシュです。

病気で苦しんでいる。人生を変えたい方連絡下さい。

私は、待っています。次は、特別養子縁組に至るまでを細かく話していきたいと思います。

 

写真は我が家の雄の笑(しょう)です。

 

 

私は3人兄弟の次男で、兄と妹がいます。

 小さい時、当時知恵遅れと言われ、小学校に上がる時に、養護学校の方にっと、母は勧められたそうです。

 しかし、私は男と女の双子で(いわゆる二卵性)産まれたので、母は「隣同士の教室にして下さい。そして私が毎日学校に通い外で様子を見守りますので」っと訴えたそうです。

 そのおかげで、普通に学校に通いました。

 しかし、勉強はついていけず、毎日夏休みも学校に通っていました。妹も一緒に学校に行っていたそうです。

 あまり小さい時の記憶がなく小学2年生ぐらいからうっすらと覚えているぐらいです。

 そのおかげで今まで0点だったのが、小学校2年の時に算数で100点を取ったのです。先生はうれしくて家に電話をくれて母がいっぱい抱きしめて褒めてくれました。

それから、徐々にみんなについていける様になりました。

 

小学校4年~高校3年まで剣道を習いました。

私だけ未熟児だった為、体が弱く薬漬けで何度も亡くなりかけたそうですが、なぜか自分から兄が剣道していましたので剣道したいと言い、妹と一緒に剣道をはじめました。

まぁまぁ頑張りました。

府内で代表選でベスト8が最高でしたが、充実していました。

そのおかげで体も丈夫になり身長ものびたかなぁ。

132センチ~中学卒業の時には158センチになっていました。

でも162.5センチで止まりましたが。。。

 

 そして、父が精神の病に侵され18歳の時に事故で亡くなりました。

私は、家にお金がないのは知っていたので高校卒業後、就職し、家に給料を全額渡して小遣制で生活していました。

母は、まっすぐな女性で、間違ったときはとても怖いぐらいでした。

でも愛がとてもあり大好きです。

父は、優しいかった。怒られた記憶はありません。

 

 デートも恋もいっぱいしました。

 

 色々あり、今の妻と28歳の時に結婚しました。妻は一つ下です。

 

今の妻は、私以外の男性とは付き合った事がない真面目な女性です。

 私は時々、過去の恋愛の事でチクチクといじめられます。

 愛されている。っと思います。

 

でも私達には子供ができませんでした。

 二人で生きて行こうって決めたのですが。

 色々あり(前に書いた通りです)、特別養子縁組で、

今では4人家族で雄をワンコと暮らしています。

 

次回は、妻との事を書きたいと思います。

  

 

 

 

 

 

 

あるブログを読んだ。

それは、特別養子縁組をした産みの母でした。

その中で、「まわりの人から、自分の子を捨てるのか。」と。

世間ではそうなんだと。

でも、その子の母は「少しの間だけどおばあちゃんにしてくれてありがとう。」っと。

その生みの母は、5ケ月精一杯がんばって迎えに行くために週1のペースで我が子に乳児院に会いに行ってた。

 

ある日。

お母さんのおもうこどもの幸せはなんですか?と調査官さんより聞かれたそうです。そして答えたそうです。

お父さんとお母さんがいて
ご飯をみんなで囲んで食べて
ほしいおもちゃが欲しいと言えて
行きたい場所に行きたいと言えて
習いたい習い事を学べて、
進みたい進路を選べて、
たくさんの夢を並べて選びとることが出来る環境にいれること。
短く言うと

たくさんの選択肢や可能性が目の前に並んでいること。そしてそれをちゃんと理解できる環境にいられること。

私にはその環境がなかった。
そして私自身が息子に叶えさせてあげられないのが目に見えていた。

 

そうして、「なんてことをしてくれたの?」
といつか息子に思われるかもしれないという悩みは特別養子縁組を選択肢し受け入れた側も託した側もどちらもがもつ悩みということだと。

「お母さんが二人いる、それをなんで悲しいことのように伝えなきゃいけないのかな」
この言葉でかなり気持ちが救われ、そして私自身の考え方も大きく変わったように感じています。
勝手に自分のことを私自身が悪者のように感じていたのもあり、ひたすら罪悪感、申し訳なさばかり身にぶつけて俯いていましたが自分の子を受け入れてくれた養親の方もこんな風に思ってくださってるかもしれないと思うと、涙が止まらなくなります。
もっと自由でもいい。

 

そう思えたそうです。

 

この下の記事では、

 

障害のある子供を養子として育てた葛藤が書かれてありました。

 

ロッカーに閉じ込めてしまった産みの親の葛藤はどうだだったのか。

男の私では想像がつきません。

ある方が、子供は親を選べない。

だから養子縁組をもっと知ってほしい。と言っていました。

 

私は、違うと思っています。

 

どんな形になっても育てる親が親。それは必然。

ロッカーで亡くなった子も、母のSOSを受け止める社会なら救えたし、必ず幸せになる権利があると思います。

 

子供は親を選んでこの世に生を受けてきてるんだと思います。

日本社会がもっと待機児童をなくす取り組みをすべきだと。

 

みんな当たり前に子供ができると思っています。違います。

子供はどんな形であれ神様が授けてくれると思います。

 

産みの親・育ての親。

どちらも立派な親です。

 

男がだらしない。

子供ができると逃げる。

結婚して子供できると、性格の不一致で別れシングルマザーにする

養育費は払わない等

(あくまでも一部の人で個人の見解です)

 

女性は子供が出来た時点で親になる。

男性はそのきっかけがない。

 

だから、まったく覚悟が違うと思います。

 

私は、これからも、産みの親の気持ちを忘れずに何があっても立派に育て上げ、いつかきっと自分のルーツを知った後も。

自分は幸せな人生だと言ってもらえるように頑張りたいと思います。

障害を持ったとしても自分の子供だから。

 

 

 

私たちは、長い間2人で生活していました。


不妊治療は最初の段階で止めました。


私が付き合って不妊治療行った時に、妻が診断から帰って来た時、
車いすに乗って出てきました。


その時にそんなに辛い治療なら止めよ。って言って止めました。


それから、2人だと妻が昼間は一人なのでワンちゃんを飼って生活していました。


でも、13年ほど経ってから、わんこが老犬になり、また妻一人になると。


一人だとロクな事を考えないので心配でした。


また、今になって「子供がいないなんて幸せだよ。」って言ってきた
知り合いのおばちゃんがいました。


妻は泣きました。


そんな時、ニュースで特別養子縁組を知りました。


世の中にはこんなに沢山の子供が施設で育っている事をしり、
また、養子はいつか自分達から離れるし、世継ぎの為の制度だと思っていましたが、
特別養子縁組は、実子になる制度だと知り、調べ始めました。


そして妻にどう?思うと聞くと見ていたらしく。


気になると言ったので調べました。


それから、府の管轄のNPOにたどり着き、二人で行きました。


その時の担当者から、わんことの生活でいいんじゃないんですか?っと言われ
妻がショックを受け、私たちは年齢も45歳超えていましたので4~5歳の子供になります。
っと聞かされました。


そして妻が、子供が欲しいなら離婚するから新しい女性としてね。


っと。私は妻が賛同しないのであれば、ダメなので止めました。


そしてわんこが亡くなり半年経ちました。
私は妻が鬱になるんじゃないかと思い、わんこ飼う?って聞くと「うん」っと。


そして2代目のわんこを里親で譲って頂き、妻からも笑顔が戻ってきました。


半年ほど経った時、妻の方から民間で特別養子縁組をしている所がある。
って言ってきました。


私は進める?って聞いた時「うん」と。


養親になる為には、里親の修了証のことがあり、優先的になりそうなので
研修を受けながら、民間団体にも応募しました。


2件ほど断られましたが、2件ほどOK頂き、両方とも研修を受け、
そのうちの1件から連絡があり、今は同じ団体さんより連絡があり
2児の父親となりました。


結局里親修了証は実地のみで止まっています。


それぞれの団体で研修制度を受けないとダメです。

今になって思うことは、
① 夫婦で同じ方向に向かう事
② 子供の為に動いた事
③ 子育てがしたかった事
④ やはり子供が欲しかった事
⑤ 縁がある子供は、自分たちの子供であると
  お互い思っていた事


だと思います。


後、団体さんの面談では、こちらも面談していると考えて下さい。
だって、長い間お世話になる団体さんですから。


長い文書読んで頂きたいありがとうございます。


因みに
現在は51歳。妻も同い年です。
1歳8ケ月と5ケ月の男の子です。
やんちゃ坊主です。