翌日、A子はある人に電話をかけることを決意した。
その人とは、夫の先輩に当たるB氏だ。
A子は、B氏とは話したこともないのだが、1週間前に夫か
らB氏の名刺を渡された。
B氏は、夫が高校時代に通っていた剣道の道場の先輩である。
夫も20年くらい会っていなかったらしいが、夫が最近街を
歩いていたら、たまたまばったりと出会ったということだっ
た。久々の再会に盛り上がって喫茶店に入り、2時間も話し
たらしい。B氏は、今は経営コンサルタントを仕事にしてい
るそうだ。夫の話では、B氏は心理学にも詳しく、企業や個人
の問題解決を得意としているとのこと。そこで夫が息子のこと
を少し話したら、「力になれると思うよ。」と言って名刺を
渡してくれたそうだ。

夫は、その日、「お前の方から直接電話してみろよ。話を通し
ておいてやったから」と、その名刺を渡してきた。
A子「どうして私が、そんな知らない人にまで相談しなきゃ
いけないの。あなたが直接相談したらいいじゃない。」
夫 「俺が心配なのは、お前のほうだ。○○のことで、ずっ
と悩み続けてるじゃないか。だから、そのことをBさんに相談
したんだ。」
A子「私に問題があるっていうの?私が悩むのは当然よ!
親なんだから。あなたは一日中トラックに乗ってりゃいいん
だから気楽よね。実際に○○を育ててるのは私なんだから
ね。あなたはいっしょに悩んでもくれない。そのBさんに相
談なんてしないわ。どうせその人も、子育てのことは何も分か
らないに決まってるわ。」
そう言ってA子は、その名刺をテーブルの上に投げた。

しかし、昨日の出来事(近所の奥さんから聞いた話)があっ
て、A子はすっかり落ち込み、わらをもすがるような気持ち
になっていた。
「こんな辛い思いをするのはイヤだ。誰でもいいから、助け
てほしい。」
そう思ったときに、B氏のことを思い出したのだ。
幸い名刺はすぐに見つかった。
息子が学校に行って1時間くらい経ったころ、意を決してB氏
に電話をかけた。その時A子は、その日に起きる驚くべき出来
事を、想像だにしていなかった。

受付の女性が出て、B氏に取り次いでくれた。
A子は自分の名前を告げたものの、電話に出てきたB氏の声が
とても明るかったので、「こんな悩み事を相談してもいいの
か?」という気持ちになった。次の言葉がなかなか見つからな
かったのだが、B氏のほうから声をかけてきてくれた。

「もしかして○○君の奥さんですか?」
「はい、そうなんです。」
「あー、そうでしたか。はじめまして。」
「あのー、主人から何か聞かれてますか?」
「はい。ご主人から少し聞きました。息子さんのことで悩ま
れてるとか。」
「相談に乗っていただいていいのでしょうか?」
「今1時間くらいなら時間がありますので、よかったら、こ
の電話で話を聞かせてください。」

A子は、自分の息子がいじめられたり、仲間はずれにされて
いることを簡単に話した。そして、前日にあった出来事も。
ひととおり聞いて、B氏は口を開いた。

「それは辛い思いをされてますね。親としては、こんな辛い
ことはないですよね。」その一言を聞いて、A子の目から涙
があふれてきた。
A子が泣き始めたのに気づいたB氏は、A子が落ち着くのを
待って続けた。
「奥さん、もしあなたが、本気でこのことを解決なさりたい
なら、それは、おそらく、難しいことじゃありませんよ。」
A子は、「難しいことじゃない」という言葉が信じられなかっ
た。自分が何年も悩んで解決できないことだったからだ。
だけど、B氏の言葉が本当であってほしいと願う気持ちも
あった。

「もし解決できるなら、何だってやります。私は本気です。
だけど、何をやれば解決するんですか?」
B氏「では、それを探りましょう。まず、はっきりしているこ
とは、あなたが、誰か身近な人を責めているということです。」
A子「えっ?どういうことですか?」
B氏「話が飛躍しすぎてますよね。まず理論的なことをじっく
り説明してから話せばいいんでしょうが、それをすると何時間
もかかるし、私もそこまでは時間がないのです。
なので、結論から話します。理論的には根拠のある話なんで、
後で、参考になる心理学の本など教えます。

結論から言います。
あなたが大事なお子さんを人から責められて悩んでいるという
ことは、あなたが、誰か感謝すべき人に感謝せずに、その人を
責めて生きているからなんです。」
A子「子どもがいじめられるということと、私の個人的なこと
が、なぜ関係があるんですか?何か宗教じみた話に聞こえます。」
B氏「そう思われるのも、無理もないです。われわれは学校
教育で、目に見えるものを対象にした物質科学ばかりを教えら
れて育ちましたからね。今、私が話していることは、心理学で
はずいぶん前に発見された法則なんです。昔から宗教で言われ
てきたことと同じようなものだと思ってもらったらわかりやす
いと思います。私自身は何の宗教にも入っていませんけどね。」

A子「その心理学の話を教えてください。」
B氏「現実に起きる出来事は、一つの『結果』です。『結果』
には必ず『原因』があるのです。つまり、あなたの人生の現実
は、あなたの心を映し出した鏡だと思ってもらうといいと思い
ます。例えば、鏡を見ることで、『あっ、髪型がくずれてい
る!』とか『あれ?今日は私、顔色が悪いな』って気づくこと
がありますよね。
鏡がないと、自分の姿に気づくことができないですよね。
ですから、人生を鏡だと考えてみて下さい。
人生という鏡のおかげで、私たちは自分の姿に気づき、自分を
変えるきっかけを得ることができるのです。
人生は、どこまでも自分を成長させていけるようにできているのです。」

A子「私の悩みは、私の何が映し出されているのですか?」
B氏「あなたに起きている結果は、『自分の大切なお子さん
が、人から責められて困っている』ということです。
考えられる原因は、あなたが『大切にすべき人を、責めてし
まっている』ということです。感謝すべき人、それも身近な
人を、あなた自身が責めているのではないですか?一番身近な
人といえば、ご主人に対してはどうですか?」
A子「主人には感謝しています。トラックの運転手として働い
てくれているおかげで、家族が食べていけてるのですから。」
B氏「それは何よりです。では、ご主人を大切にしておられま
すか?尊敬しておられますか?」
A子は、「尊敬」という言葉を聞いたときに、ギクッとした。
A子は、日ごろから夫のことを、どこか軽蔑しているところが
あったからだ。A子から見て、楽観的な性格の夫は、「思慮の
浅い人」に見えた。
また、「教養のない人」にも見えた。
たしかに、A子は四年制の大学を卒業しているが、夫は高卒である。
また、それだけではなく、夫は言葉ががさつで、本も週刊誌く
らいしか読まない。読書が趣味のA子としては、息子に、「夫
のようになってほしくない」という思いがあったのだ。
A子は、そのこともB氏に話した。

B氏「『人間の価値は教養や知識や思慮深さで決まる』と思っ
ておられますか?」
A子「いえ、決してそんなふうには思いません。人それぞれ強
みや持ち味があると思います」
B氏「では、なぜご主人に対して、『教養がない』ことを理由
に軽蔑してしまうんでしょうね。」
A子「うーーーん。私の中に矛盾がありますね。」
B氏「ご主人との関係は、どうなんですか?」
A子「主人の言動には、よく腹が立ちます。喧嘩になることも
あります。」
B氏「息子さんの件で、ご主人とはどうですか?」
A子「息子がいじめられていることは、いつもグチっぽく主人
に言っています。ただ、主人の意見やアドバイスは受け入れら
れないので、主人にちゃんと相談したことはありません。おそ
らく、私にとって主人は、一番受け入れられないタイプなん
だと思います。」

B氏「なるほど。もう一つ根本的な原因がありそうですね。
ご主人を受け入れるよりも前に、そっちを解決する必要があります。」
A子「根本的な原因ですか?」
B氏「はい、あなたがご主人を受け入れることができない根本
的な原因を探る必要があります。ちょっと伺いますが、ご自分
のお父様に感謝しておられますか?」
A子「えっ?父ですか?そりゃもちろん感謝してますが・・・」
B氏「お父様に対して『許せない』という思いを、心のどこか
に持っていませんか?」

A子は、この「許せない」という言葉にひっかかった。
たしかに自分は父を許していないかもしれない、そう思った。
親として感謝しているつもりであったが、父のことは好きにな
れなかった。
結婚して以降も、毎年の盆・正月は、実家に顔を見せに家族で
帰っている。
しかし、父とは、ほとんど挨拶ていどの会話しかしていない。
思えば、高校生のころから、父とは他人行儀な付き合いしかし
てこなかった。

A子「父を許してないと思います。だけど、父を許すことはで
きないと思います。」
B氏「そうなんですね。じゃあ、ここまでにしますか?お役に
立てなかったとしたら、申し訳ありません。それとも、何か
やってみますか?」
A子「私の悩みの原因が、本当に父や主人に関係しているんで
しょうか?」
B氏「それは、やってみたらわかると思いますよ。」
A子「わかりました。何をやったらよいか教えてください。」
B氏「では、今から教えることをまずやってみてください。
お父様に対する『許せない』という思いを存分に紙に書きな
ぐって下さい。怒りをぶつけるような文書で。
『バカヤロー』とか『コノヤロー』とか『大嫌い!』とか、そ
んな言葉もOKです。具体的な出来事を思い出したら、その出
来事も書いて、『その時、私はこんな気持ちだったんだ』って
ことも書いてみてください。恨みつらみをすべて文章にして、
容赦なく紙にぶつけてください。気がすむまでやることです。
充分に気がすんだら、また電話下さい。携帯の番号も教えてお
きます。」