壇上から平和平和と仰々しく語る彼らは明治以来、日本が実は幾度となく戦争を繰り返していたという歴史の真実には一顧だにせず、戦争というものの本質を忌避し、美辞麗句を並べ空理空論に走る。

舞台に上がった名役者よろしく、自分のセリフ、演技に酔う。それ以上はない。

実のところ舞台に戦場の雨あられとふる爆弾も鉄砲の弾もない。

爆撃で腕、足が吹っ飛んだ戦友を見ることもない。

場内に戦場はない。あるのは聴衆と熱いセリフがあるのみだ。

演壇に立った者も聴衆が求めるのもは「感動」である。

芝居の舞台と何ら変わらない。

 

終戦まじか、故国から遠く離れた満州のとある防空壕、兵士から、民間人の女子供まで敵の捜索を逃れ、その防空壕に音一つたてないようにして身を潜める。

乳飲み子が突然泣き出す。食い物がない。親の乳もまともに出ない。

上官が母親に泣き止むようにしろと厳命。

母親は鬼の形相となり、我が子の首を捻った、泣き声はそれを最後に止んだ。

 

戦場での極限状況にあって、誰もが至った異常心理。

戦場とは生死が日常化した中で正義も悪も、大志も狂気も、優しさも冷酷さも、勇気も臆病も規律も無法も全ては極限まで誇張された異常な世界。

 

昨日まで鋤鍬を担いでいた新兵にこれからの軍隊生活での肝を養うため、敵兵捕虜を殺させた。

やらねばやられる世界。

ゲシュタポの異常さは広く伝えられるが、日本帰還兵が、所属部隊の異常さを話すことはない。平和な時代、心の奥にしまい、忘れている。

誰もが一言、「時代は変わった」と言う。

 

会場を出れば、演者も聴衆もそれぞれ、「平和」な生活が待っている。

火を触ったことのないものに、火がどれだけ熱いかを説くことに何の意味ありや。

「戦争もその真実は体験してみなければわかりようがない」