閑さや 犬にしみいる 風の声 | 知財業界で仕事スル

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知財業界の片隅で特許事務所経営を担当する弁理士のブログ。

最近は、仕事に直結することをあまり書かなくなってしまいました。

本人は、関連していると思って書いている場合がほとんどなんですが…

本日のRock Creek Parkでの犬の散歩は格別であった。

 

昔(4年前)、

http://ameblo.jp/yoshikunpat/entry-11414108258.html

ここで書いたように、うちの犬(Tommy。ドーベルマン。オス)を見失った歴史をもつトレールにまで足を延ばした。そこまで行ったのは久しぶりだ。たぶん1年ぶりくらい。

 

犬の迷子に懲りて、

http://ameblo.jp/yoshikunpat/entry-11441674715.html

このときに買った犬笛は今も常備している。本日も3度、利用した。どんな道具でも、いい道具はいい仕事をする。

 

ここまで足を延ばせた理由は簡単で、普段は一緒に散歩をする三人の子供たちが居なかったから。今日は、犬と私だけ。ハリケーンMatthewの影響で風が強く、安全を考えて、子供達は同行させないことにした。その代わり、子供たちはLiviちゃん(7月から来てくれている現Au Pair。ブラジル人)に公園(遊戯具が付いている子供の遊び場)に連れていってもらった。

 

普段より遠回りのその散歩ルートは、普通にトットと大人が歩いても1時間以上かかる距離の山道なので、途中何度か倒木に腰を下ろして休憩をした。

 

その時の一句がこれ(笑)。

 

閑さや 犬にしみいる 風の声

 

いうまでもなく、松尾芭蕉の「閑さや 岩にしみいる 蝉の声」の真似(笑)。

 

この芭蕉の句は、蝉がやかましく鳴いているそのやかましさの下で「閑さ」を感じた、というような意味だ。それと季節は異なるが、トレールを少し外れたところで、倒木に腰を下ろし、じっとたたずんでいる自分の周囲は、うちの犬一頭以外、深い森である。上のこずえは台風の影響で吹く風がやかましい。そこに私一人。

 

Rock Creek ParkはワシントンDCの中心に位置する大きな森だ。相当に広いのであるが、普段の犬の散歩時には遠くから救急車のサイレンが聞こえたりしている。また、6歳の娘と3歳の双子の息子たちは、絶え間なく歓声をあげる。

 

今日は一人。横で、森の中を走り回って遊び疲れた犬のトミーが寝ている。そして、台風の風が木々を通る荒々しい音が、人工の音を遮断する。

 

ああ、静かだ。

 

…と思った。

 

 

 

 

米国で新事務所を立ち上げる!

2015-04-19

http://ameblo.jp/yoshikunpat/entry-12016133449.html

 

上のエントリーなどで書いてきたが、旧米国事務所との間ではまだゴタゴタが残っている。先月、私の持ち分の買い取りに関してアグリーメントが成立したので、大きな一区切りがついた。

 

…と思ったら、今度はこちらの商標権についての取消審判請求が旧米国事務所からなされた。米国以外に関しては、彼らは手も足も出しようがないが、米国に関しては彼らも当事者と言えるので、取消審判を請求してきた。

 

ただし、登録から5年以上を経過しているので、取消理由として今も使えるのは「詐欺」行為を経て登録したという理由のみ。で、「詐欺」だ、という内容の取消理由で取消審判を請求してきた。

 

そのストーリーは、結論を「詐欺」とするしかないので相当に無理がある。人ではない会社は詐欺行為をすることはできないから、そのストーリーは私への個人攻撃の内容になっており、本人の私が読むと笑えるほどに無理がある。嘘八百のストーリーだと言ってよい。その上、詐欺についてのBurdon of Proof(挙証)のレベルは高いので、成功する見込みは無いに等しいだろう。

 

無理やりでも取消審判を請求することで相手にプレッシャーをかけ、商標の使用について、なんとか少しでも有利な条件で和解したい、ということなのであろうと思われる。が、それは米国流の理屈であり、日本の会社をほとんどのクライアントとしている状況では、米国事務所であっても本当はやってはいけない。私がパートナーとして残っていたなら、決して許さなかったと思う。申し訳ないけれども、そのアグレッシブぶりを、私は日本の皆さんに吹聴させてもらって、味方の団結をより固める道具とさせてもらっている。

 

私の方の問題は、法律的というより経済的である。米国は使用主義の国(登録が優先される日本とは異なる)。審判で登録の是非を議論するのに、侵害訴訟とほぼ同じ手間暇がかかる。ということは、勝ったとしても、それに要するお金は相当なものになる。

 

私は、「自宅が焼失した」とみなす覚悟をもって、これにあたることにした。それくらいかかるのである。この経済的負担が、「和解」を呼ぶ“毒の密”みたいなものであり、それを相手側は交渉手段の一つとして使ってきている。…バカにするな!「詐欺」の汚名を着せられた私は折れない。汚名を返上し、その商標権を維持することで守れるブランドバリューの価値は「自宅の焼失」以上なのだ。

 

どう考えても一方的な勝ち戦であり、それが答弁書を提出して一段落した。とは言っても、証拠集めのための作業は絶え間なく続けている。こちらの問題は、それにかかるお金だけ。しかし、折れない。

 

 

…というような状況で得た、本日の散歩時の静寂であった。

 

閑さや 犬にしみいる 風の声