産業としてのデザイン事務所 | 知財業界で仕事スル

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知財業界の片隅で特許事務所経営を担当する弁理士のブログ。

最近は、仕事に直結することをあまり書かなくなってしまいました。

本人は、関連していると思って書いている場合がほとんどなんですが…

ほうぼうで書かれまくっているし、今さら、という気もしないでもないが、妻が何か書いておけというので、書いてみる。一応、弁理士だし。

ついに白紙撤回。五輪エンブレムはなぜ炎上したか?
ガソリンを注ぎ続けたデザイナーの権利意識の甘さ

ニュースを斬る 日経デザイン・オリンピックエンブレム取材班
2015年9月2日(水)
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/110879/090100076/

>あらゆる出来事、施策すべてが事態の悪化につながった。そんな印象だ。

>デザイナーの佐野研二郎氏が手がけたオリンピックエンブレム。これがベルギー・リエージュの劇場ロゴに似ていると同国のデザイナー、オリビエ・ドビ氏が訴えたことに端を発した事件は、佐野氏によるデザインの「取り下げ」という形で一旦幕を閉じた。
(以下、省略)


この問題で考えなければいけないのは、(1)デザイナーとしての佐野氏と、(2)デザイン事務所経営者としての佐野氏。そして、デザイナーとしての佐野氏については、(1-1)著作権法上の問題と、(1-2)商標法上の問題と、(1-3)アーティストとしての問題とがある。

以下、順を追って書いていく。


(1)デザイナーとしての佐野氏について
(1-1)著作権法上の問題

今回の東京オリンピックエンブレムで最初に問題になったのは、それがベルギー・リエージュの劇場ロゴに似ているという点。これに対して、佐野氏がやるべき反論は、「似ておろうが似ておるまいが知ったことではない。私は独自にこのデザインを創作したのであり、劇場ロゴを参考にしたことはない」となるべきところだ。佐野氏が参考にしなかったのなら、当然に誰も彼がコピーしたことを証明できないのだから、それでこの話は終わり。

著作権は、コピーしたか否かだけしか問題にせず、似ていても、独自に創作したのであれば法的に問題はない。佐野氏は堂々としておればよいのだ。ということで、佐野氏には著作権法上の問題はない。

ベルギーで訴訟沙汰になっているようだが、勝ち目とは関係なしに訴訟すること自体は勝手だから仕方ない。これは、そのまま最後まで争ったとしても、佐野氏の勝ちで終わることになっただろう。

(1-2)商標法上の問題
今回の一連の出来事の中に、最終バージョンに至るまでのデザインに対して類似する登録商標がみつかったので、デザインを変更したという話がある。これが上の著作権の問題とからみあって一般人が理解しにくくなったが、商標権は著作権とはだいぶ違う。

他人のデザインと似ていても独自に創作したのであればエンブレムは著作権侵害にはならない。これに対し、他人の登録商標をまったく知らずに独自にエンブレムのデザインを創作した場合であっても、その登録商標に似ておれば商標権侵害になる。

他人のデザインを盗まず、独自に創作をしたのだが、他人の商標に類似していることが後にわかったので、佐野氏は自己のデザインの修正を余儀なくされた。

そして、登録商標に類似しないように変形を加えたのであるから、そのエンブレムデザインは商標法的にも問題がなくなった。

(1-3)アーティストとしての問題
佐野氏がアーティストとして優れているか、彼のエンブレムのデザインが高い芸術性を有しているかとかといった問題は、佐野氏の関知するところではない。佐野氏は自らの才能を駆使してデザインを作り、コンペティションに応募しただけだ。

その応募作品を選んだのは選考委員である。「できレースだった」との批判があるが、それはそれで日本社会全体の由々しき問題であり、伝統的な絵画コンクールなど他の芸術コンクールも含め解消していくべきものであって、ここで佐野氏を叩く根拠にはならない。

以上の次第で、デザイナーとしての佐野氏個人が世間から批判されなければならない根拠はどこにもない。


(2)デザイン事務所経営者としての佐野氏について
佐野氏の会社MR_DESIGNのウェブページは実質的に閉鎖されている状態だし、どのくらいのサイズか(従業員数とか売上高とか)はわからないのであるが、そこで生じた問題の責任は、会社代表である佐野氏に帰結するのは間違いない。

おそらく東京オリンピックのエンブレムについては本人が創作したものと考えられるが、産業デザインの提供会社としてのMR_DESIGNからでてくるデザインについては、多くが実質的に従業員の作品だったのだろうと思われる。特許事務所業界で、無資格の特許技術者が明細書を書き、それを“監修”した弁理士が自分の名前でクライアントにその作品を提供したり、特許庁に手続きをしていくのとほぼ同じ構造がそこにあると思われる。漫画家の業界なども似た構造になっているようだし、同じ構造を持つ業界は探せば世の中にいくらでもあるだろう。したがって、それを根拠にデザイン事務所産業や、その中にある佐野氏の会社を叩いたりするのは的を射ていない。

問題は、アシスタントを使っていることではなく、アシスタントに対する管理監督責任を適切に果たしていたか否かにある。私は、佐野氏に個人的に批判されるべき問題があるとすれば、唯一この点だと考えている。

トートバッグのコピー問題や、エンブレムの使用状態を示す内部資料の背景写真のコピー問題などは、アーティストとしての佐野氏がおこしたものではなく、アシスタントによるものである。そして、従業員がおこした問題は、社長の責任に帰結する。その意味で、佐野氏は全責任をとらなければならない。

ただ、この佐野氏のビジネス上の責任と、アーティストとしての佐野氏の問題とは、性質のまったく異なるものである点を忘れてはならない。佐野氏の管理監督責任問題をもって、アーティストとしての佐野氏を無能扱いすることは間違っている。ビジネスマンとしての才能とアーティストとしての才能はまったく別のものであり、そこをわざわざ混同して佐野氏を批判する人々には、唾棄すべき悪意を感じざるを得ない。