蓮の花とねむの花
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南越前市花はす公園の朝6時の音楽は野ばらでした。。。
7月2日鶴ヶ峰"陽のあたる道"にて
小さな音楽会というタイトルで開かれてきたライブは145回目。私が唄うのは8回目です。
主のわんさんが精鋭のお客さんですよと、事前にメールしてくださった通り、時間よりずっと前にそろってしまった客席の顔顔顔。
ああ!聴いてもらいたい気持ちが溢れて止まらない。
この店で必ず会える人、そして初めて来てくれた人、50年前に出会った人、それから偶然珈琲を買いに来た人も。
私は前日に聴きに行った高石ともやさんのコンサートの余韻もあり、フォークソングというものに出会った頃の話をしました。
中学1年生の夏休みの登校日に体育館で見たフーテナニーと呼ばれたステージ。それからしばらくして知った高石さん、岡林さん、それからまた少しして渡さん。。。五郎さん。。。
その人たちから教えてもらった「うた(フォークソング)という川の流れ」
上ったり下ったり、立ち止まり、また流れに沿って歩いています。
そんな話を分け合える客席でした。
皆さん、またここで会えますように。
7月3日柏"studio WUU"にて。
当初、バイオリンの太田恵資さんとのステージを予定していたのですが、急遽ソロに。
太田さんとはまた改めてお願いします。19年前の録音のセッション以来ですから。
立派なステージの上ゆったりした客席に向かって気持ちよくうたいました。
一緒に演ってくれたのはワントリックポニーのサイモン&みゅう。二人には今までいろいろなところで会っていたけれど、一日一緒にいるのは初めて。オープンマインドな彼らのステージと同じテンションで私の物販の売り子までしてくれて、そのおかげで持って行った色々なものがみるみる売れていきました。ありがとう!
声をかけてくれてお客さんを呼んでくれた古くからの友だち、そして集まってくださった皆さんありがとう。また会いましょう。
7月6日国立劇場小ホールに古い友人が出演する日本舞踊の会を見に行きました。同い年の彼女とは20代の後半に同じ仕事場で出会いました。40代はそれぞれの暮らしに忙しく、50代も半ばになろうとする頃、連絡を取り合ってみれば、
私が歌をうたいだしたことに驚く彼女、彼女が踊りの家元になったことに驚く私。お互いによく生き抜いてきたものです。
全国から家元が集まっての舞台は見応えがありました。
新舞踊と呼ばれるもので、踊りに使われる曲がバラエティに富んでいます。三波春夫の豪商紀伊国屋文左衛門などは、壮大なストーリーソング、物語に引き込まれました。彼女は南こうせつのヒット曲の夢一夜で踊りました。妖姿にほれぼれします。
7月8日東海市太田川"atelier nora"にて。
平田久子 青い世界「生命のDance×天使のあしもと」
出会って20年近く。私が出会ったときには20代だった久さんと娘たちの生き方に、触れるたびに感動して、きづきをもらいます。
彼女の個展で唄わせてもらうのはとてもうれしいことです。
青い絵はどんどん深く広い世界へと旅を続けています。宇宙に果てがないように。
金沢の雪で描いたクラゲの絵は新鮮でした。雪がキャンバスの上で溶けて出来上がっていく色は生まれる前から約束されていたことと、未来への願いのふたつが溶け合っているのかなと思いました。
久さんのおかげでいつも素敵な人たちと出会うことができます。
このアトリエの主であるasacoさんとも言葉を交わすのは初めてでしたが、二日間お世話になって、よい時間を分け合いました。
ちょっとだけ似たような育ち方のasacoさんが描いたおかっぱ頭の女の子は私の中に今もいる子とちょっと似ていました。
7月9日名古屋"ぱんとまいむ" にて。
2年以上ぶりで会う岐阜の戸谷さんが名古屋まで送ってくれました。
土砂降りの雨です。ライブ時間に近づくほどに雨は強くなって前も見えないくらい。その雨の中、ぱんとまいむには予約してくれていた全員プラス飛び込みの人まで集まってくれました。
もう唄うまえから感激で泣きそうな気持になりました。
約束は必ず守る~そういう人たちに歌を聴いてもらうのです。
今日の特別の気持ちでShe said NO!をうたいました。
明日は参院選の投開票日です。私の苦手な政治。理想と現実を考えるといつも胃が痛くなります。でも最近はちょっと変わってきたかもしれません、ちょっとだけれど。。。政治にやられたら悔しいじゃない。。。自分の感じたことが優先です。様々な情報に振り回されずに、直感的に感じたことを優先です。
根底にあるのは生命尊厳と絶対に平和。
そのために仕事をする人間をどこまで増やすのか。。。自分を含めて。
かけひき渦巻く世界にやられてたまるか!100%正しい政党なんてない。だから私は監視する。そしておかしいことにはおかしいという。いくら応援している人でも、党でも、そうでない人でも、そうでない党でも。
元首相が殺害されて、国民の関心が選挙に向いているというのですが、それはそれ、これはこれ、風に左右されるような政治にも人の心にもNO!です。
NO!というためにやっぱり私は苦手でも政治に身近に触れていたいと思います。
ぱんとまいむに集まってくださった皆さん本当にありがとう。そして真野さん直美ちゃん、またね!
また振り出した大雨の中名古屋から福井まで車に乗せてもらいました。本当に助かりました。
7月10日福井"kimamaカフェ"にて。
何年も来ることのなかった福井で唄えるようにしてくれたのは、東京のじみへんで知り合ったフォーキー&masumiの二人です。
kimamaカフェは畳の部屋ですが音響をしてくださる人も頼んでくれて立派なライブが始まりました。
藤田育代さんは古いスタンダードジャズや日本の歌の弾き語り。
選曲に心が揺さぶられます。フォーキー&masumi(FWM)はこの日に準備していた私のレパートリー2曲。"ridin'high"にウクレレがかっこよかった。"モンゴメリーの天使"のギターのコードが私と違う響きで新鮮でした。終わってからフォーキーさんに「あのコード何?」と聞いたら、なんでも私の弾いているのをコピーしたというのです。でも違うから。。。そのコードのほうがオシャレです。
たくさんの人に声をかけてこのライブを開いて開いてくれた二人に感謝です。
7月11日午前4時半に出発!と前夜masumiさんと約束しましたが、私は寝坊しました。
南越前市の花はす公園に蓮の花を見に行くのです。花が開く瞬間の音を聴きたいねということでしたが、花は半分以上は開いていて残念でした。
今度はちゃんと起きるから。
大急ぎの移動でしたが、東尋坊でイカ刺し、イカ焼き定食を食べて米原まで送ってもらいました。
夏休みの匂いの山や田んぼ海を眺めながら車に乗せてもらうだけでご褒美のような旅です。
戻ってから、蓮の開花音をyoutubeで見てみると、想像していたような鮮やかな「ポン!」という音とは違ってもっと軽いガサっという音でした。
7月16日枚方"ワークショップ虹"にて。
1年に一度唄える場所です。
2曲目に砂の唄を唄いはじめると、誰かが一緒にうたっています。それも歌詞もうたいまわしも全く同じように。いつもお父さんと一緒にこの虹のライブに来てくれるワークショップ虹の入所者のRちゃんでした。彼女はいつも私のCDを聴いているようで、好きな曲はすっかり覚えているらしいです。
よくっとる歌声に仲間を得たような気分です。ありがとうRちゃん。
今夜の虹ライブはいつもより多くの人たちが参加してくれました。あまり声を出して一緒にうたってはよくないということでしたが、それでも最後は皆で”虹の王国”と、”幸せハッピー”をやります。
障がい者の作業所ワークショップ虹の運営をしている「であいの会」の発足から40年ということです。
他の施設のことは私にはよくわかりませんが、ここには自由な空気が満ちています。音楽も溢れています。施設を運営する人たちと支える人たちと、家族や友人たくさんの愛情を感じます。
顔と名前も覚えた人が増えましたが、容易に心の交流は難しいと感じることもあります。彼ら彼女らに会うことで教えてもらうのは自分の心の中のいろんな自分です。
7月17日”桃谷マルコハウス”にて。
どうしてもここに来るとたくさん唄おうと思ってしまいます。
これもあれも、急に思いついた曲も。それでちょっと失敗もしてしまいます。どうしても歌詞が出てこない曲とコードが迷子になった曲がありました。
毎年誕生日をここでお祝いするママことNさんは高齢者のパスをみんなに自慢したりするけれど、幾つになっても少女を忘れない。
此処の常連のDさんもそう、フォークロック少女です。
この店ではなじみだったやなぎくんのこと、彼への思いを抱えて集まってきている人たちもたくさんいました。
終わってから、ギターを手に彼の歌を唄う人。それから少し静かに話ができた人。行く先々でこういう時間が待っていてくれます。
小さく話す声を感じながら、ギターの爪弾きを聴きながら、賄のご飯を食べます。
また一緒にこの場所で会いましょう!また元気にここで唄って、皆と語って、ご飯やケーキを食べて、そうありたいです。
7月18日富田林”yayaトキヲコエテ”にて。
初めての場所です。迎えに来てくれた奥野さんから道々聞きました。
障がい者の作業所としてカフェや仕出しなどもしていフル回転の場所であるということ。ライブスペースとしてはついこの間オープンしたばかりということ。
立派なステージと音響照明。それからスタッフとして働いている人が料理を作り、さっきまで唄っていた人が奥で皿を洗っていたり。
そんな雰囲気があたたかく、初めてとは思えない親しみの中で唄わせてもらいました。
KEIKO&とおる、鴨川コンバース、私の順番に。
KEIKOさんはちょうど7年前の今日、私のライブに来てくれたそうです。言われて蘇ってきたのはその7年前のライブ、声をつぶしてしまった時だから。そして台風で梅田の駅も水が出た夜でした。
鴨川コンバースとは最後に一緒にうたいました。ダルシマーで”夕暮れ飛行”、ショウボウさんのギターで”子供にはこういってやんな”。夕暮れ飛行をりえさんと二人で唄うのは稀なこと、かけがえのない時間でした。
7月20日東中野"じみへん"にて。
瀬戸口修さんと一緒に。
修さんのつくる歌、大好きな曲がたくさんあります。
もうひとつの世界、ある時代のバラードを一緒にうたいたいと思いました。ピーっと緊張の糸を張り詰めたようなハーモニーでなくて同じ音程や少し遅れたテンポとか、修さんの優しい気持ちと一緒にうたえたらよいなあと思いました。
私は自分の出番を終えて目の前の修さんのギターの指使いに、お客さんたちと一緒に引き込まれていきました。
家でご飯以外はずっとギターを触っているのが思い浮かぶような音です。
じみへんでは、どなたかが必ず一杯二杯とごちそうしてくれます。一杯分は修さんに譲りました。ごちそうさまでした。
7月23日松本中山地区上和泉構造改善センターにて。
早朝に辻井貴子~貴ちゃんが車で迎えに来てくれました。初めての二人旅は松本まで、やなぎくんの追悼コンサートです。
彼女の車の助手席に乗っていることがちょっと不思議です。
早くから準備で集まった人たち、私のよく知っている人たち、そして初めて会う人たち。やなぎくん、やぎたこが沢山の人たちに愛されているのがわかります。
午前中から昼を挟んで3時過ぎまで。たくさんの出演者です。それぞれに思い出を語ります。
丸山俊治さんは81歳のつやつやした歌。「ぼんぼん」という歌が心に残りました。女の子だけでするお祭り「ぼんぼん」行列の中に満州で亡くなった丸山さんの幼い二人の妹さんたちもいる歌です。
ましゅまろままというアルパと歌という組み合わせを初めて聞きました。うつくしい母と娘は、やなぎくんから素敵なアドバイスをもらって演奏の幅が広がったのだと語ります。みんな彼からの贈り物について語ります。
ぽこあぽこの選曲にはため息が出ました。”なんという胸の痛みだろうか"”ネムの花咲けば” "私に人生といえるものがあるなら”
貴ちゃんと一緒にダルシマーアンサンブルとおやすみ愛おしいひとのデュエット、やぎたこでいえば私がやなぎ君の位置に立って。
後から聞いた話では、終わりころに蛾のような蝶々のような、大きいけれど地味な色のヤツが会場に飛んできたのだそうです。
大きいけれど地味な奴というキーワードはやなぎくんらしいね。
やなぎ君が通い唄い続けた店マイシャトーのおけいさん、その仲間たち、そしてびっくりするほど遠くからも、一緒に過ごした夏の一日、ありがとう、やなぎくん。
翌日、貴ちゃんの運転で山道を下りながら二人で同時ににみつけたネムの花。
咲く時期がとても短い花だという。誰か?の計らいのように帰り道を飾ってくれました。
7月28日下北沢”lown”にて。
遠くで雷が鳴っていました。夕立が来そうな重たく湿った空気の下北沢をきょろきょろしながら歩きます。どんどん店が変わるからびっくりします。
しばらくぶりのlownのカウンターには、店のレギュラーでこの2年間にこの世を去った人たちの写真が飾られていました。
南正人、中野督夫、日倉士歳朗、SHIME、
一緒に演ったらスーパーバンドです。
数日前に見たニューポートフォークフェスティバルでのジョニ・ミッチェルの姿に心揺さぶられて、出がけに思い立ち彼女の曲を。both sides now,big yellow taxiは英語で。ちょっと怪しいところもあったけれど、こういう歌をうたうと気持ちはあの頃に帰ります。あの頃とは、実家の小さな部屋の押し入れのコーナーで小さなプレーヤーにのせて聴き続けたレコードたちとの日々です。西向きの小部屋とレコードジャケットの少しかび臭い匂いも蘇ります。
私の音楽はやはりどうしても夏休みと一緒に生きています。
片づけ終わり、lownをでると道に水溜まり。雨は一気に降って駆け抜けていったのですね。
ネムの花を写真に撮れませんでしたが、真夏の信州、こんな青空にひょこっと姿を見せてくれた薄紅の花。また会いに来よう。
長く病を抱えながら小さな店をやり続けている岡山の友だちから大きな美しい桃が届きました。
桃太郎が生まれたんだもの、桃は力があるんだよね。ありがとう。お互いにやれるところまでやろうね。また会いに行きます。





