こんにちは、次郎です!

艱難は結局希望を生み出す、といった使徒パウロの言葉を前回紹介しましたが、


今回はその続編!

艱難を通して希望を実現した人物を紹介したいと思います!

旧約聖書に出てくる「ヨセフ」です。


実はこのヨセフ、自己啓発本の世界的ベストセラー「七つの習慣 (スティーブン・R・コヴィー氏著)」※においても、著者のコビー氏が模範的人物として紹介しています!


個人的に大好きな聖書の人物で、


その人生は、読むたびに目頭が熱くなります(ToT)

かれは、どんな人生を歩んだのでしょうか。


⭐ヨセフとはどんな人?

簡単にヨセフの人生を箇条書きしますと、

・12兄弟で、父ヤコブから最愛の妻の子供として寵愛を受けて育つ


・腹違いの兄たちから憎まれ、異国エジプトに奴隷として売られる(父ヤコブは、ヨセフは獣に襲われて死んだと知らされる)

・奴隷となっても一生懸命働き、主人の評価を得て全財産の管理を任される

・ヨセフに好感を持った主人の妻の誘いを断ることで逆恨みされ、異性的な濡れ衣を着せられて13年間も牢獄に入れられる

・獄の中でも監獄の長に認められ、監獄の管理を任されるようになる

・獄中で会ったエジプト国王の臣下を通して国王と面会し、その賢さが認められて大国エジプトの総理大臣に任命される。


・エジプトで父、兄弟たちと再開し、和解する。

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若くして奴隷として売られ、冤罪によって長年投獄されるという、踏んだり蹴ったりの人生Σ(-∀-;)

それでも、ヨセフは諦めずにいく場所いく場所で忠誠を尽くし、結局総理大臣になってしまうというドラマのような人生を生きたのがヨセフでした!w(゜o゜)w

自分を売った兄弟を憎み、濡れ衣を着せた女性を恨み、信じている神も恨み、人生を諦めるが普通ですよね。

しかし、ヨセフは自分の置かれた場所で働き、最善を尽くすのです。

この「回りの人・環境に不満を抱くのではなく、自分の出来ることに集中したヨセフの生き方」をコビー氏は称賛しています!

たしかに、そんな生き方できませんね。

エジプトにいくのは災難でしたが、エジプトに行かなければ大国の総理大臣にはなれなかったとも言えます。

まさに艱難を通して希望を成し遂げたヨセフでした!


⭐ヨセフはなぜ希望を持てたのか


なぜヨセフは艱難のなかで希望を持って生きることができたのでしょうか。


それは聖書にははっきりとは書かれていません。

ここからは推測になりますが、


「辛い状況だけど、神は今も自分と共にされ、希望ある未来へと導いてくださる」

と信じる心があったから、だとわたしは思います。


創世記 41:16
ヨセフはパロに答えて言った、「いいえ、わたしではありません。神がパロに平安をお告げになりましょう」。

これは、ヨセフが総理大臣になる直前の、エジプト国王との対話です。パロ王が見た夢の意味を解くのは、自分ではなく神です、と話しています。(詳しくは創世記を参照)


この言葉から、ヨセフは艱難の中でも神を信じる心(信仰)があったとわかります。



主(=神)もまた、艱難の中でもヨセフと共にいたと聖書に書かれています。


創世記 39:2~(ヨセフが奴隷となった時)

「主がヨセフと共におられたので、彼は幸運な者となり、その主人エジプトびとの家におった。」


創世記, 39:20~21(監獄に入った時)
「そしてヨセフの主人は彼を捕えて、王の囚人をつなぐ獄屋に投げ入れた。こうしてヨセフは獄屋の中におったが、主はヨセフと共におられて彼にいつくしみを垂れ、獄屋番の恵みをうけさせられた。 」



⭐聖書の中の「神」とは?

日本人にとって「神」というと感情がない、得体の知れない存在というイメージがあるかもしれませんが、

聖書の中に出てくる神は喜怒哀楽という感情がはっきりあります。


また、特に親が自分の子供を愛するように、「人間を愛する神」として出てきます。

○放蕩息子のたとえ話
ルカによる福音書 15章(一部抜粋)
「しかし、このあなたの弟は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのはあたりまえである。 」


→罪人が改心することを喜ぶ神の心を、放蕩した息子が戻ってくる父の喜びにイエスキリストはたとえて話しました。


ヨハネの手紙1 4:7,8
「愛する者たちよ。わたしたちは互に愛し合おうではないか。愛は、神から出たものなのである。すべて愛する者は、神から生れた者であって、神を知っている。

愛さない者は、神を知らない。神は愛である。 」



「神は愛である」と、イエスの弟子ヨハネは語りました。


自分を愛する神だから艱難の中でも共にしているし、大変だけどなにか神の計画があるのだろう、とヨセフは信じて頑張れたのではないかと思うのです!


結果、ヨセフは総理大臣となり、兄弟とも和解しハッピーエンド。

この結果をみると、ヨセフが信じた通り、たしかに人知では計り知れない神の計画がヨセフの艱難の中で進行していたのかもしれません。


総理大臣になって兄弟と再会した際にも、エジプトに自分が来たのは神の導きであったとヨセフは兄弟たちに話しています。


創世記 45:7~8
「神は、あなたがたのすえを地に残すため、また大いなる救をもってあなたがたの命を助けるために、わたしをあなたがたよりさきにつかわされたのです。
それゆえわたしをここにつかわしたのはあなたがたではなく、神です。神はわたしをパロの父とし、その全家の主とし、またエジプト全国のつかさとされました。 」

ヨセフの家族のいたイスラエルは激しい飢饉にあり、ヨセフのいるエジプトには食糧が豊富にあったので、家族がエジプトに移り住むことでイスラエルの人々は助かり、子孫が増えていったのです。

ヨセフが総理大臣になっていなければ、イスラエルの人々がエジプトに移り住み、養ってもらうのは難しかったでしょう。
だから、自分がエジプトに先に来たのは神の導きであったとヨセフは話しています。

ヨセフの艱難の中で、神の希望的な計画が進行していたということですね。

わたしたちも、大変なことがあってもそれは同時に希望的な未来が進行していることなのかもしれません!

本日はヨセフの人生を見てみました!


創世記37章からヨセフの物語が始まりますので、興味があれば是非読んでみてください(^_^)


最後までお読みいただきありがとうございました!



次郎プロフィール

大学院修了-金融機関勤務/二児のパパ/四季とは高校時代から親友/クリスチャン


☆以下は四季&次郎が通う教会HPです!

▼主真愛教会は日本一あったかい教会を目指してます!▼
主真愛教会公式HP:https://shushinai.org/ 

 

※参考文献

完訳 7つの習慣 人格主義の回復 著者:スティーブン・R・コヴィー 著 

出版社:キングベアー出版