われ思う、ゆえに我あり

 

デカルトさんが言ったとされる言葉。

これを初めて知った時は「なるほど、確かに『思っている存在』がある限り、その存在=我がいる事も証明されるよな」とか

妙に納得していました。高校くらいだったでしょうか。

 

けれど、

最近、違うなぁと思うようになりました。

理由は2つくらいあって、

1つは、人間だろうが人間以外の生物だろうが、思うとか思わないとかに関係なく、「存在」していると考えるようになったこと。

もう、なんやかや言わなくても、あるんです。いるんです。存在してます。理屈ではないのです。

 

そしてもう1つは、西田幾多郎さんの書いた本を読み始めたことで、上記が確信に変わりました。

なかなか難しくて、その本「善の研究」は、まだ読了できておりませんが、少なくとも、デカルトのように考える必要はないなと思うことに自信が持てました。

 

左脳と右脳。

その話と少し違うかも知れませんが、やはり左脳だけ使って生きていると

デカルト的な世界観に突き当たるのかも知れません。

それは、ジョン・ハンターが、全てを切り刻んで細かく分解すれば真理が見つかると考えた世界だと思います。

 

私は、左脳(理屈)で考えたり、切り刻んで(電子顕微鏡とか素粒子加速機とかまでいく?)ごくごく小さな単位に分解しても

真理は見つからない。逆に遠のいていくと思います。

 

世界は、すべてが繋がって、初めて世界として成り立っていると思います。

人間も、日本人も他の国の人も、動物も、昆虫も、木も、雲や雨も、台風も、火山も、地震も、

すべてが必要なもので、世界に欠かせないものなんだろうと思います。

 

恥ずかしながら、私は、その世界を知らなかった。

ようやく、知れたので、この真の「あたらしい世界」をワクワク楽しみたいと思います。