初めまして! | 庭の音(植木屋)・よしかずの穴

庭の音(植木屋)・よしかずの穴

yoshikazuPit(斉藤吉一/庭の音)

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庭木の剪定専科
植木屋♪庭の音
調布市富士見町4-32-23
斉藤吉一

植木屋になる前は、コンピュータのプログラマーだったんです。。

そのプログラマーのとき、胃潰瘍になりまして、

先輩に言われたんです。

「お前も、もうちょっとで一人前だな」って。

つまり、胃潰瘍になるくらい当たり前だって世界。


その後しばらく考えまして、

もっと健康的な仕事をしたいな~って、

身体を動かす仕事がしたいな~って、思ったんです。


それで、いろいろやってみたんですけどね、

私のやってみた身体を動かす仕事って、建物が建っていく仕事が多かったんです。


これから先、私が沢山仕事していったら

どんどん「建物」が増えていくのか~って思ったら、

なんとなく良い気持ちになれなくて、、


それでですね、、


植木屋だったら、どんどん木が増えていく。

それが良いじゃないか!って思って、

それで、植木屋にしようって思ったんです。


先ず職安にいって、「造園」の募集をいろいろ見ました。

だいたい造園の募集案内に書いてある内容は、おおざっぱな記述がほとんど。。

でも、

その中で、やたら詳しく書いてある募集があったんです。

「変わってるな。面白いな」って思って、そこに面接に行ってみました。



親方にいろいろ案内してもらったんですけど

そこでですね、、

その親方は土地を持ってなかったんです。

土地(場所)は全部、借りてやってる。


私の知ってる植木屋っていうのは

農家みたいに土地を持ってて、そこで商売してるっていうイメージで

それと全く違う。


私の親はサラリーマン、広い土地をもってるわけじゃない、

で、そんな私でも植木屋って出来るものなのか?

っていう不安が少しあったものですから、

その親方の話を聞いて、「この親方の真似をすれば、私にも植木屋が出来る!」って

なんか自信が涌いてきて、嬉しくなったんです。


私はその親方に入門することを決めました。

1994年、私が25才の時です。



しかし

仕事は厳しかった。。

親方は仕事となると人が変わり、鬼みたいでした。

面接で案内してくれた時は、あんなに優しかったのに、、、

あの時は、仕事モードじゃなかったのだ。。。

あ~、ダマされたと思いつつ、頑張りました。


親方は怖かったですが、人間的に素晴らしい人で、今でも尊敬しています。

そこで学んだことは技術はもちろんですが、道徳、礼儀といったことが多かった。

一番言われたのは「お客さまを大切にしなさい」ということ。

親方には感謝しています。



1998年、1月、

私は独立しました。

そのとき、2ヶ月分くらいの仕事は約束がありました。

しかし、それが終わると、、無し。

自分の仕事は全く無し。

そこからしばらく、私は先輩の手伝いをして食いつないでいました。

先輩から色々アドバイスをもらって、

初めて自分の新規のお客さまから、見積りの電話がかかってきたのが

1998年の10月。

その時は、本当に嬉しかったです。

飛び上がって、飛び跳ねて、喜びました。



そこから今までなんとか続けてくることが出来ました。

いろんな人に感謝しています。

お客さま

家族

親方を始めとする諸先輩方

助けてくれた同僚、後輩、弟子

いろいろな職人さん

いろいろなスタッフ

ほんと

感謝です。



2012年の2月、私は43才になります。

妻、小学校6年の長女、4年の息子、2年の次女と

東京都三鷹市、大沢というところに小さな建て売りの家を買い、

毎日、野川と天文台の山を眺めながら生活しています。

こんな私を、

どうか よろしくお願いします♪


㈱庭の音 斉藤吉一
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庭木の剪定/三鷹, 調布, 府中