朝起きると、離江の川くだりツアーに参加した。ツアーには英語が話せる女のガイド、リンダがついてきた。彼女には後でお世話になることになる。


まずボートに乗ると、フランス人のジジババの団体とスペイン人のジジババの団体、それから多数の中国人とアメリカ人がいた。さまざまなツアー団体が一緒のボートに乗って、川くだりをするというわけである。

僕らのツアーのメンバーは、アメリカの大学生二人と、中国人の4人組と、僕だった。アメリカ人の大学生は5週間上海で働いていたらしい。そして休暇で桂林に来ているとのこと。この後は香港に行き、それからニューヨークに行ってノースカロライナのロースクールに戻るのだという。将来の弁護士らしく、二人とも物静かで、出された無料のビールも飲まなかった。体もそんなに大きくなく、全然アメリカ人という感じがしなかった。それに対して元気だったのはフランス人のジジババどもだった。昼間からビールやワインをぐいぐい飲み、よくしゃべり、よく食っていた。

フランス人は明らかにアングロサクソンとは顔つきが違う。まず、肌の色が透き通るような白ではない。やや浅黒く、髪も金髪ではなかった。オーストラリアで見たようなアングロサクソンとははっきり言って全然違う雰囲気だった。イギリス系のオーストラリア人は透き通るような肌の白さと金髪碧眼でガラス細工のようであったが、フランス人はもっと粗野な感じだった。またフランスジジイは顔が明らかにエロかった。いかにもセックスが好きそうな顔なのだ。これは言葉では説明のしようがない。フランス人のババアはもうほとんど化け物のように醜い。それがあの耳に心地よいフランス語をしゃべっているのだ。

フランス語については、会う人会う人こう言う。勉強したが話せない、と。僕もフランス語について聞かれたら、そう答えるだろう。面白かったのは、フランス語やスペイン語を上手に操っている中国人のガイド。よくもまああんなに難しい言語をたかが観光のために勉強するなあ、と思った。いや、観光収入は彼らの生命線だから,たかが」ではないのだろう。金になるから必死に勉強するのだ。 


さて、離江下りだが、これは素晴らしかった。見渡す限り、山水画の世界が広がっており、緑色のきれいな川を船は蛇行していった。20元札の裏には桂林の離江下りの際に見ることのできる光景が印刷されているが、その20元札の裏と同じ光景を見ることができた。


離江下りが終わると、バンブーボートに乗って離江を悠々と眺めた。離江下りの終わりごろから雨が降り出し、バンブーボートに乗るころには土砂降りになっていた。アメリカ人の二人組みはどっかへ消え、中国人の一団と僕とリンダの6人で、2人ずつになりバンブーボートに乗った。中国人の一団は、男女のカップルと男のほうの近親男女の4人で構成されていた。カップルの男が一番としかさらしく、一団の中でも兄貴分といった感じだった。だが肌を見ればわかるが、彼もまだ若い。僕と同じくらいの年齢だろう。だが、タバコは吸うし、妙におっさんくさかった。そして女の子の方は、男に尽くす古きよき日本の女性といった感じだった。まるで団塊の世代のカップルを見ているようでおかしかった。

仲良くなり、みんなで写真を撮ったりして、最後にその兄貴分の男の名詞をもらった。どうやら、蘇州の電気メーカーの経理らしい。蘇州といえば上海に近く、彼らは中国では金持ち階級に属するのだろう。だいたい、このツアーの総額680元を払えることからも、相当な金持ちであることがわかった。

リンダは桂林は貧しい、働く場所が少ない、と言っていた。大体、平均月収が100USドルだという。僕は最初この街に来たとき、きれいな緑の川で泳いでいる子供たちや、川辺で家族で食事をしている光景を見て、なんと豊かな生活がここにはあるのだろう、と思ったが、実情はそうでもないらしい。リンダは若そうに見えたが、子供がいると言ったのでびっくりして年齢を聞いた。すると27歳だと言う。23、4にしか見えなかったが、僕が質問しなくてもしっかりと英語でガイドをこなし、写真をとろうか、ときを利かせてくれることから、いわれてみれば27歳は妥当かもな、と思った。ツアーのすべてが終わった後、僕は自分のPCをネットにつなげる必要があったので、リンダうちにいってもいいかと尋ねた。すると快く承諾してくれた。僕は初めて中国でバスに乗り、リンダの住むエリアへ30分ほどかけていった。リンダの家族はお父さん、夫、いとこ、兄弟、お母さん、そして息子で構成されており、みんなでテーブルを囲んで食事をした。僕は中国人の日常生活を垣間見ることができて、非常に満足した。結局PCについてはリンダの家では解決することができず、帰ることになった。

 リンダは非常に優しく、困っている僕を助けてくれて、僕は中国人に対する見方が変わった。桂林に来て本当に良かった。もし桂林に来ていなかったら、僕の中国人に対する見方は不快なもので終わってだろう。中国人の温かいもてなしに心が動いた。


 やはり、なにか中国に満足せず、桂林駅で途中下車したのは大正解だったようである。僕はリタイアしたら桂林に住みたいな、と思ったほどだ。それほど僕はこの街が気に入った。


列車は今、中国のものすごく豊かな穀倉地帯を走り抜けている。見渡す限り、田園と畑が広がり、時折小川が見える。遠くには山の稜線が見え、カルスト地形の岩山が見えるときもある。空は青く澄んでいて、農民があぜ道を歩き、水牛が草を食み、小川では子供が水浴びをしている。なんてすばらしい土地だろう、ここはまるで天国だ、と思った。時々見える道路にはトラックやバイクが走っている。こんなところでバイクに乗ったら最高に気持ちがいいだろうな、と思う。まるで僕の高校の時描いていた夢の土地が今目の前にある感じだ。これだけ豊かな穀倉地帯を抱えていればこそ、その富が中央に集まり、そして豊かな文化が花開くわけだ。

昨日寝る前の静けさの中、自分の人生を振り返ってみた。何かまるで高校から旅行に出るまでの10年の人生が、夢のように感じられた。自分の人生と言う感じが全然しなかった。まるで長い夢でも見ていたかのようだった。


ところで、列車が桂林につくと、僕はここで降りた方がいいのではという気が急にしてきた。そしてパソコンを開いてエクセルをちょっと見たら、降りる決心をし、最大限のスピードでバックパックを棚からはずし、列車が停車している間に桂林で下りてしまった。外は天気で、ものすごく暑く、湿気がすごい。熱帯に来たという感じだ。僕は桂林駅を出ると、旅行会社に入り、明日のリージェンの川くだりの予約をし、ホテルを探してもらった。それからタクシーで川岸まで行ってバンブーボートに乗り、象山公園に行った。ゆっくりと川を進むバンブーボートは極楽であった。快晴の空の下、ものすごく贅沢な時間をすごした。それからタクシーに戻り、小高い岩山へ行った。上るのに非常に疲れたが、ガイドブックにかかれている通り、東側の眺めが最高であった。僕は桂林で列車を降りて正解だったと確信した。


世界一周旅行記-川下り


 ただ、バンブーボートに乗る際、変なおばさんが象山公園を含む3つの場所に行くというので100元払ったのだが、結局ボートで行ったのは象山公園だけ。そのため僕は観光を終えると旅行会社に文句を言いに行った。結局40元戻ってきた。その際、旅行会社の女性たちが謝っていたのに驚いた。あの中国人が謝ったのである。僕はどうせ一銭も戻ってこないな、とあきらめていたので、40元戻ってきたのと彼女らのすまなそうな態度は僕を驚かせるに十分だった。


 ホテルは60元だったが、今までで最高のホテルであった。まず、エアコンがある。それからバスタオルとハンドタオルが2セットあり、歯ブラシとボディーソープ、シャンプーが2セットある。これで60元は安いと思った。少なくとも、今までのホテルのことを考えると、破格である。

 僕は西安から上海への夜行列車の旅に食料としてバナナときゅうりとパンを持っていった。この組あわせは大正解だった。きゅうりはパンを食べた後に食べるとみずみずしい感じでおいしいし、バナナはおなかがいっぱいになるで安上がりのデザートとしてはぴったりだった。これで夜飯は大丈夫だったのだが、朝飯がものたりなかった。見ると、列車内で知り合った家族の男はカップラーメンを食べている。おいしそうなにおいがしたが、中国のカップラーメンはまずそうでなかなか手を出しづらかったのだ。しかし思い切って買ってみると、これが非常にうまい。中国に来て、一番うまい食事を思いがけないところで取った。



話を上海に戻すと、僕は外難エリアに行き、租界時代に立てられた西洋建築物が並んでいる通りをそぞろ歩きしていたら、母親が小さな子供を必死に抱いて、大丈夫かと問いかけている光景に出くわした。

しかしこれも物乞いがよく使う演技のひとつであることがすぐにわかった。だが、彼女と小さな男の子の置かれた状況を、母親が必死に瀕死の男の子に話しかけていることで比喩としてあらわしていると言ってもいい。男の子には未来など最初からないのだ。あまりにも残酷な人生ではないか。

僕は物乞いにお金を請求されたときは、善人ぶらずに好きなときに、気の向くままに金をやることにしていた。だからいくら必死に頼まれても気分が乗らなければ一線たりともやらない。僕はそういう人間だ。だが、今目にしている状況は、僕の心を動かした。僕はすべての小銭を親子の前におかれているコップに投げ入れた。

それから、片腕が先細りしていて通常の人間の半分くらいの長さしかない男が、地下道で悲しげな歌を歌っていた。僕は吐き気を覚え、その場を立ち去った。あまりにも気持ち悪い光景で、お金をやることはもちろん、近づくことさえできなかった。中国は発展してきているとはいえ、まだまだ悲惨な状態の人間が多いのである。



上海テレビタワーは良かった。シドニータワーからの眺めなんて目じゃないほどきれいな上海の街が一望できた。中国人は派手好きだが、こういうところではその長所を発揮できるらしい。普段は翡翠の腕輪をしていたり、金の腕時計をしていたり、刺青を入れている人が非常に多く、はっきりいって見た目に不快だが。

川を挟んで対岸にあるビル同士が光を発すると言う光景は、まるで香港のようだった。と言うか香港だった。特に、外難にある約20の西洋建築物がオレンジ色に輝いているのが非常にきれいだった。