
1910年。日米堂芥河商店創業者・芥河洋造
――森永以前に「製造していた」日本人の存在
――
要旨(Abstract)
日本のチョコレート史において「日本初」という表現は、
販売史・企業史・宣伝史と混同されて用いられてきた。
本稿は、「近代的チョコレート製造技術の国内導入」という技術史的観点からその定義を再整理し、
1910年に芥河洋造が創業した日米堂芥河商店の歴史的意義を検討する。
検討の結果、日本における近代チョコレート製造の起点は、
芥河洋造による製造技術の導入と継続的実践に求められることを明らかにする。
1. はじめに(研究目的)
日本におけるチョコレート史は、
長らく大企業を中心とした企業史の文脈で語られてきた。
しかし、それらは必ずしも「誰が最初に製造技術を国内に導入したのか」という技術史的問いに十分答えてきたとは言い難い。
本稿の目的は、
「日本初」という概念を技術史的に明確化すること
芥河洋造の行動と事業内容を史料に基づき整理すること
森永太一郎との比較を通じて、従来の混同を正すこと
にある。
2. 「日本初」の定義整理
2.1 混同されてきた三つの「初」
従来の議論では、以下の三点が明確に区別されてこなかった。
日本人が最初にチョコレートを食べた事例
日本国内でチョコレートを販売した事例
日本国内でチョコレートを製造した事例
本稿では、産業史・技術史として決定的な意味を持つのは、
「国内で近代的製造技術を用いて継続的に生産したか」
という
第三の定義であると位置づける。
2.2 技術史における必要条件
本稿において「近代チョコレート製造」と認める条件は、以下の四点である。
海外で確立された製造技術の習得
原料配合・工程・温度管理の再現
国内における継続的製造の実施
市場供給を前提とした製品化
3. 芥河洋造と日米堂芥河商店
3.1 渡米の動機と技術習得
芥河洋造は当初、
薬剤師を志してアメリカに渡航した人物である。
しかし現地のドラッグストアにおいて、チョコレートおよびキャンディの製造工程に触れ、
これに強い感銘を受けた。
彼の特徴は、製品そのものではなく製造技術そのものを学習対象とした点にある。
3.2 帰国と創業(1910年)
1910年、芥河洋造は帰国と同時に、東京市小石川区表町二丁目七番地において日米堂芥河商店を創業した。
これは、アメリカで習得したチョコレート製造技術を国内に移植し、
継続的な製造と供給を前提とした事業であった。
この点において、試験的製作や一過性の販売とは明確に区別される。
4. 森永太一郎との比較
森永太一郎は、
日本菓子産業の発展において極めて重要な人物である。
しかし、彼の初期事業の中心はキャラメルであり、
チョコレート製造は後年に本格化した。
したがって技術史的には、
芥河洋造:近代的チョコレート製造技術の先行導入者
森永太一郎:チョコレート市場普及の立役者
と整理することが妥当である。
5. 結論
以上の検討から、
日本における近代的チョコレート製造の起点は、
1910年、芥河洋造が日米堂芥河商店を創業し、
米国で習得した製造技術を国内に導入したこと
に求められる。
「日本初」を誰に帰属させるかは定義の問題である。しかし、製造技術史という観点に立つ限り、芥河洋造を起点とする結論は揺るがない。