以前、『子は親の鏡』という詩について触れ、

子供が育つ魔法の言葉という本を読んでいるとブログで紹介しました。

 

この本を読んで、

私は、子供に会わない方が良いかもしれないという気持ちが芽生えてきました。

なぜなら、私は、この本で言われる理想に程遠く、

本に書いてある一例と、全く同じシチュエーションが起これば、

理想に近付ける努力ができるかもしれないけど、

現実に対する臨機応変な対応ができる自信が全くないですから。

 

どうしても、その時々に親にどうされていたかという過去が、

脳裏によぎって、子供を傷つけない言動ができる自信が全く起こらないんです。

正直言って、自信喪失です。

 

 

 

 

 

 

私の家庭は、

この本で理想とする育て方とは、真逆の環境でした。

反抗期に入った時期には、私も弟も同じことを口にして親を罵ったものです。

「家の血筋は、俺たちの代で終わらせるんだ!」

それほど、自分のことも家族のことも嫌っていたんです。

そんな家族の中にいても観照されないようにゲームの世界に引き籠った弟と

嫌いな自分を変えるために家族から離れて幸せを探し求めた私。

 

私は、弟に手を指し伸ばし引籠っている世界から連れ出して、

一緒に幸せを探す仲間になってほしかった。

そうなれていれば、きっと、世界で唯一理解し合える存在に成れていたかもしれない。

でも、現実は、私の考えは、受け入れてもらえず、キレられ、嫌われ、軽蔑されるようになった。

たぶん私の言い方、話し方が、悪かったのでしょう。

 

それでも、

弟のことを心配して、

親に何とかするべきだということを相談、お願いをしても

父は、

「お前は、偉そうにうるさい。」

「家は良いんだ。」

「馬鹿野郎!」

と言われ、

母には、

「信じているから大丈夫。」

「あなたは、何言っての?」

「ほっときなさい!」

「また、そうやって…」

「人の事ばっかり言って、自分はどうなの?」

「あなたが、帰ってくるといっつもそう…嫌だから帰ってこないで」

「もう、いい加減にして!」

ちゃんと聞いてくれたことは、一度もなかった。

家族の中で、私だけ考え方と価値観がズレたおかしな人扱いだった。

あれ以来、私は、『信じている』という言葉が嫌いになった。

信じることは、無駄なことだと思うようになったんだ。

 

それから25年たった今でも状況を変えることができないまま、

歳とともに、諦めからどうでもよくなった。

親も私の言葉は、 気違いの戯言としかとらわなくなってしまって、

他愛もない世間話すらまともにかわせなくなって、

会話を避けるようになってしなまった。

 

そんな私も離婚してしまってから

実家に戻り、自分の殻に閉じこもるようになった。

こうなってから分かったことは、

私と弟は、

社会に適合できないことを受け入れた弟と、

それに抗ってきた私という違いがあっただけで、

中身は、コピーしたかのようにそっくりだったってことだった。


 

笑っちゃうよね。