私はこれまで、ずっと「生きにくい」と思って生きて来ました。

辛い時代を生きて来れたのは、初めて出来た幼稚園からの友達が小学校四年生で肺炎で急死したのを受けて、「きっと死にたくなかったろうな」と思いを馳せ、人生の理不尽さにショックを受けつつ「生きたくても生きられない人がいる」だから命を大切にしなくては。それが生きてる者の礼儀だ、義務だ、と子供ながらに思ってきました。

そのことがあったから、これまで死にたくても自殺しなかったのだと思います。

今でも辛くて死にたいと常日頃思う時も多々ありますが、そもそも人間必ずや死ぬものなので、その時を楽しみに生きてる方がお得なのではと思うものです。
そんな私も生に執着してるんだなと、病気で死ぬかも知れない時に思い知らされたり、死ぬことが怖い死にたくないと、苦しんだりして、その「生命の業」の様に植え付けられている生きようとする命に対する残酷さに言葉を失います。神さまって与えておいて奪うんですもの。

そんな私ですが、残酷なサバイバー中学時代に、虐めっ子達を殺そうかなと思った時があります。穏便な話じゃありませんね!
しかし当時の私はそれくらい追い詰められた生活を送っておりました。毎日のように虐めで線路に飛びこんだりして自殺する同士のニュースを聞きながら、私は納得がいっておりませんでした。
「悪い」のは虐める奴らであって、私は何もしていないのに何故自殺に追い込まれなければならないのだろう?と。悪いのは奴等なのだから、死ぬのは奴等であるべきだろう、と。悪人どもに生きてる価値は無い、位思っておりました。極端思考ですね!
そのくらい登校するのが辛かったけれど、当時は「学校に行く」か「死ぬか」の二択しか与えられていませんでした。そのくらい私の両親は厳しかった。思えば両親も極端思考。発達障害って高確率で遺伝しますよね。

死ぬべきは「悪人」の「虐める奴等」であって何も悪いことはしていない私ではない。死ねといわれる覚えは無い、お前が死ね。

と言うわけで当時中学2年生の私は彫刻用の小刀を持って学校へ行きました。

が、思い留まったんですよね。

それは「あいつら」は悪人で私にとっては生きる価値も無いけれども、あいつらにも両親が居て、親は子が死んだら泣くものだから、それは良くないな。と。親は無関係だから巻き込めない、と思ったんですね。
そして冷静に考えて、この生活は永遠では無く「卒業」すれば終わる、と言う事を認識して、

「仕方ない、卒業まで耐えるかぁー」と、やれやれと溜め息を付いたところでラッキーなことに家の都合で転校になり、私は酷い虐め地獄からは脱出することができました。

しかしながら人生の苦難は続きます。
性格がアメリカンなのか?躁鬱病なのか?
それから心理学の勉強をしたりして、どうしたら人に馴染めるのか?うまく生きていけるのかをいつも考えて来ました。

発達障害だと言う事を認識できたのは、どうにか社会人ができるようになり、結婚出産し、子供達が学校で問題をおこすようになってからです。

長いので続く!