癒されたあとに味わった感覚 | あるがまま♡瞑想・ファシリテーター

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真実に出会う旅
自分の真実を自分自身でみつける、思い出す
そのきっかけづくり、場づくり

瞑想会開催しています(オンライン/横浜市緑区)

よくやってるよ

がんばってるよ

素晴らしいよ

素敵だよ

輝いてるよ

美しいよ

って自分で自分に言ってあげる

 

悲しかったよね

寂しかったよね

辛かったね

抱きしめてほしかったよね

愛情がほしかったね

って自分で自分に言ってあげる

 

褒めて欲しかったよ

すごいね

さすがだね

一番だね

よく見えるお目目だね

器用なお手手だね

って。

 

だから自分で自分をほめる

 

 

この前、小さい頃の褒めて欲しかった自分を褒めた。

もうね、ほんとにね、もっともっと私は褒めてほしかった。

蓋をしていたその気持ちに寄り添った。

たくさんたくさん自分で自分を褒めた。

 

そして、

私は人を褒めるのって苦手だった。

自分の子どもを褒めるのも含めて。

なんか、褒めているようで、褒めてない感じ。

それはどこかでなんで褒めなきゃいけないの?

みたいな感じで思ってるから。

 

で、この前子どもが

「自転車で立ち漕ぎできるようになったんだよー!」

って言ってきて、

 

わたしから出た言葉

「すごいねー!」

 

この「すごいねー」

が本当にパワフルだった

 

褒めなきゃいけないから褒めている訳ではなく、

純粋にすごい!って思ってすごい!って言う。

言葉が出た後に

自分の身体が中心からじわーんとしてきて、

あつくなった。

湧き上がってくるものもあったし、

流れているものもあった。

え?何この感じ?という

はじめて味わう感覚があった。

やさしくて、

でもしっかりとした感覚だった。

 

私の褒められたい、褒められたいと思っていた気持ちが

とっても癒されたから、

相手を純粋に、ただただすごいと思えたんだなって。

はじめて感じる感覚が味わえたんだなって。

 

子どもとひとつだった

つながってる感じだった

2人で1つだった

 

 

褒めること。

私にとって苦手なことだった。

そして、褒められること。

それも全然受け取れなかった。

こんなに褒めて褒めてと思ってるのに、

褒めてもらうと

ほんとにそう思ってる?とか余計な疑いが常にあったし、

別にすごくないしとか、普通だしとか、否定の気持ちもあった。

 

で、褒めること。

まず、私がわたしを褒めることだったなーって

自分で自分を認めること

自分で自分を批判しないこと

自分で自分を受け止めること

そして、愛し、癒すこと。

 

そして、

他人から褒められた時、

なんか褒めてもらうのがうれしくて。

ものすごく自信にもつながるし、

新たなパワーがわいてくる。

 

そして、

人を褒める。

そこに純粋な褒めがある。

ただただ、すごいね!がそこにあるダイヤモンド

 

 

ナマステお願い