○私の闘病記

♦︎三田市民病院での入院生活

 私は平成四年の8月6日にアルバイト先(ダイエー三田店 電器課)で作業中救急車🚑で運ばれました。救急車🚑の中では意識がなく気がついたら集中治療室のペットに寝かされていました。

♢私の病気は脳卒中(脳内出血)と言う病気でした。手術はその日に一回、その日から一ヶ月後の9月7日に一回と合計二回行われました。一回目は左脳上部を切り開き出血した部分を取り除くと言うものでした。
外した骨💀は元に戻せないと言う事で、そのまま縫われました。
二回目の手術は、人工の粘土みたいなもので本物の骨💀より硬くなっているそうです。それぞれの手術で二回とも約180針縫われました。
手術が終わった後流動食が暫く続きました。そして二回とも酸素マスクと点滴が暫く続きました。一回目の手術の後は流動食を入れる為、看護婦さんに丸坊主にされました。
手術が終わった後流動食は一回目は長期間続きましたが、二回目は短期間でお粥さんに変わりました。
その管があまりにも長いものだから、看護婦さんがいない時を見計らって二回程外してしまいました。その管が予想以上に長かったので再度鼻から入れる時とても苦しかったの遠覚えています。

一回目の手術の後は寝たきりで暫く声が出ず、右手でグーやパーで身振り手振りで言いたい事を伝えると言う日が何日も続きました。画用紙に書いてある五十音順の文字列を一回一回押さえて言いたい事を伝える日々が何日も続きました。何日か経って、何とか喋る事が出来る様になったのですが、お母さんと言う言葉が言えず苦労しました。(お父さんは言えたのですが…)。

周りに頭を打たないようにペット柵にタオルケツトが巻いてありました。熱が出ていたせいもあり暑くて我慢が出来なくなり、後で聞いた話ですが、父親が風邪🤧を引いたと言ってました。昼は母🤱と姉が、夜🌉は父親と兄が交代で看病してくれました。