「生きる」ことってどういうことなんだろう。
人はいつかは必ず「死ぬ」。いつかは必ず。
ついこないだ池袋で起きてしまった事件。死者が出た。30代の男性と小さい子供。
彼らはおそらくその日死ぬとは思っていなかったであろう。
そう、人はいつ死ぬかわからない。今まで20年以上生きてきた私も明日死ぬかもしれない。
でも、。。もし自分が1年後に死ぬって初めから分かっていたらどうするんだろう。
私には想像もつかない。
所詮「君の膵臓を食べたい」はあくまで小説の世界ではある。
でもこの本を読むと当たり前の生活ができるという事がいかに素晴らしいか。ありがたい事なのかが
伝わってくる。主人公、桜良はただ何気ない日常生活、高校生活を友達と過ごすために病気を死ぬまで隠した。
苦しさを外に一切見せずに。普通に人と繋がることで自分自身を保とうとした。逆に言えば人と繋がらなければ
自分で入れなかった。
私たちは「死」といういつかは訪れるものに普段は意識の目もくれないが、よくよく考えてみると私たちの日常生活
は常に「死」と隣り合わせだ。自動車、電車、飛行機。便利であればあるほどリスクも伴う。
桜良はこう言った。「生きるってのはね、きっと誰かと心を通わせること。そのものを指して生きるって呼ぶんだよ。誰かを認める、誰かを好きになる、誰かを嫌いになる、誰と一緒にいて楽しい、誰かと一緒にいたら鬱陶しい、誰かと手を繋ぐ、誰かとハグをする、誰かとすれ違う。それが生きる。自分たった一人じゃ自分がいるって分からない。誰かを好きなのに誰かを嫌いな私、誰かと一緒にいて鬱陶しいと思う私、そういう人と私の関係が、他人じゃない私が生きてるってことだと思う。私の心があるのは皆がいるから、私の体があるのは皆が触ってくれるから、そうして形成された私は今、生きてる。まだここに生きてる。だから人が生きてることには意味があるんだよ。自分で選んで、君も私も今ここで生きてるみたいに。」(「君の膵臓を食べたい」双葉社、住野よるp222 7行目、9行目 p222 15行目からp223 6行目までを引用)
人は一人では生きれない。当たり前のことだけど。
私が思うのは、時間が最初から限られていると人はそれをいかに有効に使うかを考えるようになる。
例えば、留学。1年しかないと最初から分かっているから1年という年間パスポートをいかにフル活用するかを
常に考える。そうなると「時間」というものを意識するようになる。日本にいたときは考えもしなかったことだ。
過ぎた時間は戻ってこない。「死」というずっと先に起こりうるもの、しかし確実に起きるものに対してそれがいつ起きるか
私たちは知る由もない。だから「死」までの時間は限られているけれども、無限にあるようにも感じる。
だから私も「今日」という日を精一杯生きたいなと思う。
英語で次のようなことわざがある。私の高校の時の英語の先生が大好きだった言葉だ。
Today is the first day of the rest of your life.
改めて当たり前だけどその通りでまさに名言だなと。
就活や卒論が怠くて、それらのことを考えるのに疲れて意図的に何も考えない時間を作るためにたまたま題名が目に止まって
読んだこの小説。
本来なら就活できている状況にも感謝しなければいけないのもしれませんね。
だからやっぱり、「健康」でいる事が第一。
毎年、お参りでは今年一年健康でいれますように。とお祈りするが来年以降もそうしようと改めて思う。