最近、ツイッターを始めてみました。
時間のある時に、ただ適当に思ったことをつらつら打ち込むだけだから
すごい気軽で、オレにあってるんじゃないかなと思ってる。
一日一回じゃ飽き足らず、何回もツイートしてたら、さすがに多すぎと先輩からリプライされてしまったけど。
実際、つぶやくというか、ちょっと思ったことを書き込んでたらきりないよなぁ。
早く自己満の領域を脱出しないと・・・
個人情報保護法が施行され、もうずいぶん経つ。当時世間は自分の情報が公開されることに対して
センシティブであったように感じる。まぁ、個人情報といっても、携帯番号や住所、その他口座番号が取り糺されていたけど、それ以上に繊細になっていた気がする。
ただ、それより前からアメリカハーバード大学の20歳の少年が発明したfacebook所謂SNS(ソーシャルネットワークサービス)が全世界で広がっていた。日本でも同様のSNSミクシーが若者の間で話題を呼んだ。SNSの世界では、個人情報保護法が施行された背景における感覚とは、真逆の世界が広がっている。自分の情報をさらけ出すことで、ネット上の無数の相手とコミュニケーションを通じ繋がることができる。(難しい理論的なことは長くなるから省略というか、分からない部分も多い)
人間はやはり突き詰めていくと孤独であって、家族や友達、他人と繋がっているから生きていける。繋がっているから希望が持てる。自分は他人の中で生きることができる。知識や経験、幸せや悲しみを共感できる。実は、一見無機質なネットの世界の方が、現実の世界よりも温かく、素直な交流ができるのかもしれない。
自分の重要な情報を、知られたくない情報を公にする義務もされる権利もないのは当然。そんなことは分かっている。だけど、SNSの社会のようにもっと現実の世界でも自分をさらけ出してもいいんじゃないだろうか?日本人の本質的性格が閉鎖的な部分は否めないが、それ以上に社会がそうさせているんではないだろうか?会社や学校や様々な組織の中で、無関心が蔓延してないだろうか。それが原因で自分に偽って生きていないだろうか。
そんな人生はどうなんだろう。ある程度の所得とある程度の社会的地位を求め、それ以上を犠牲にしていないか。
個人情報からなる偏見や犯罪、いじめ等は絶対に許せない。だけど、逆の公開することでのメリットをもっと共有することができれば、世界はもっと広がるはず。
