「MINOLTA α-101si」です。
なんかぁ、上級機もいいんですが
「お前は、入門機からやんなさい」とあの世から親父に言われてる気がしてね。
んで、リサイクルショップで購入しました。
1995年、平成7年の5月の販売とのこと。
中金生活も東京で5年目となり
すっかり東京の人となってしまいました。
中金の女の子ら3人と丹沢の方の七沢の森林公園に行ったっけね。
両親の病気のことなどで落ち込むこともあったんですが、励ましてもらいました。
神奈川県の古民家などをバックに写真を撮りましたが
いわき市の「ふるさと伝承郷」などとそっくりです。
公園行政の流行りだったのでしょうかね。
東京って人情味があり、飽き・暇が来ないので
住むところであり、働くところばかりではないなぁと
普通語られることとは逆のことを感じました。
東京蒲田の「魔裏鈴(まりりん)」では
初代まみちゃんが去ってから、京ちゃんや娘のまみちゃんと馴染みになりました。
京ちゃんと夜に湘南をドライブしたりしました。
砂浜を二人で歩きました。
親子ぐらい年齢が離れていても恋人みたいにはなれるんだなぁと思いました。
HONDA MTX50Rでお忍び通退勤したときなど
「魔裏鈴」に立ち寄り
お茶と世間話で時間を費やすこともありました。
酒を出すところ=酒飲み運転ばかりではありませんと
東京では警視庁も公認のようです。
東京西蒲田は漫画「750ライダー」でまちづくりしてますね。
私は「ゼロハンライダー」だったんですが、主人公のようにいい青春でした。
(福島県ならバーの前のオートバイなどは風紀を乱すとして職質モノですけどね)
結婚相手も東京の女性がいいなぁと思ってた頃です。
田舎では国体の準備どうのこうの大変だったらしいですが
勿来の関の上の遥か彼方のことであるし
関所破りは御法度ですし
仕事上、福島県の工業団地やスキー場開発、シティセールスのお店出展などが
東京に媚びを売ってる気がして、大資本の植民地のような感じもしてきました。
東北で青春を送り、お上りさんがそれではいけないなぁと反省はしたものでしたが。。。
一度、新橋のいわきのテナントショップで干物を買い
「魔裏鈴」で皆に御馳走しましたっけな。
でも、いわきの知名度はなかなか上がらんものでした(汗;)