五木寛之さんは、現代を鬱(うつ)の時代、老いの時代、非常時のとき、と見て「どんなにみっともなくても死なずに生き続ける。豚のようにでも生きる。生きていなければ話にならない」、「うつも力。不安も力。無気力な人間はうつにならない。鬱という漢字は、鬱蒼(うっそう)と茂るという言葉のようにエネルギーにあふれている」と語っている。
鬱を「気分がふさがる」という病いの反対の意味もあると、うつをマイナスにとらえずに、「積極性」のプラスで考える見方はすばらしいと思う。
そして、鬱の時代は「明るく覚悟する」、非常時、嵐のとき、灰色の時、苦境の時に、明るく覚悟をきめなければならないと言う。
五木さんは、覚悟とは「諦める」こと。あきらめるとは「明らかに」、「究める」こと。
諦めるって、望んもかなわないことがわかって、望むことをやめる。
「助からぬものと諦める」の意のように理解していましたが、ここでも積極的な解釈をされている。
五木さんは、「不安や不信、期待感に目をくもらせることなく、現実を真正面から受けとめることだ」と提言される。
人間が老いること、病気になること、痴呆になること、うつになること、を暗くマイナスに見ないで、「どんなにみっともなくとも死なずに生き続ける。そう覚悟を決めれば、下山もまた楽しということになるかもしれません。私は腹をくくって口笛を吹きながら下ってゆくつもりです」
高校生のころに見た『青春の門』を懐かしく思い出しながら、五木寛之さんに感動した話でした。
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