離婚してるけど「×」じゃない!!

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UWFの「功」の部分は、総合格闘技ブームを起こすきっかけを作ったことと、(あえて否定したはずの)従来のプロレスを盛り上げることにも繋がったこと。

だと思う。

 

じゃ、UWFの「罪」の部分は?

 

これ、こう言っていいものかどうかってところもあるんだけど、あえて言うと

「UWFプロレス自体を否定することになったこと」

なんだと思う。

 

どういうことかって言うと「中途半端を許さない雰囲気を作った」こと。

 

UWFって突然発生的に言われてることも多いけど、今から当時を振り返ると、結構徐々に変えていってるんだよね。

少しずつ変えていって、現在の総合格闘技の原型を作った。

 

反面、従来のプロレスは「プロレス」として確立されてるから、(時代と共に新しい技や派手な大技や危険度の高い技は出てきたけど)これが崩れることはなかった。

 

そうすると、U系の各団体が活動休止したり方針転換せざるを得なくなった理由は「総合格闘技でもなくプロレスでもない、中途半端な存在になった」からだと思える。

 

ただ、プロレスと総合格闘技の人気が両立したのは90年代後半から2000年代前半まで。

そこからしばらくは総合格闘技がブームになって、いろんな理由で総合格闘技ブームが下火になった頃、今度はプロレスがまた再燃してきた。

とはいっても、プロレス界で人気が再燃して、現在も隆盛を誇ってるのは、新日本プロレスだけってのが、ちょっと残念だけどね。

 

このパターンだと、もうあと何年かしたら、今度はまた総合格闘技ブームが起きてくるのかな。

U系の会場独特の「シーン現象」で人気の高かった選手たちのその後を見ると、参戦時期は異なるものの、みんな総合格闘技の試合をしてるんだよね。

 

また、U系の団体が活動休止や方針転換をする時期と、総合格闘技イベントが台頭してくる時期は、実は全く同じ。

 

それまでのU系と入れ替わるように、PRIDEをはじめとする総合格闘技イベントが一大ブームを巻き起こす。

 

過去にいろんなメディアで語られたことだけど、UWFの出現が無かったら、総合格闘技のブームはなかったんじゃないだろうか。

UWFがあったからこそ、そこから総合格闘技を突き詰める流れになったんだと思う。

 

最初のほうで初期の「無限大記念日」が「UWFを方向付けた」って書いたけど、今から見ると割と普通のプロレスなんだよね。

おそらく今は「格闘系」も当たり前にあるから普通に見えるんであって、そういう素地が無かった当時だと、あまりにも画期的だし、あまりにも衝撃的に映ったんだろうね。

 

ちなみにこれもプロレス界では有名な話なんだけど、旧UWFに参加してた佐山は、タイガージム(当時)で基礎を作ってリング上で見せていた格闘系の試合を「シュート」「シューティング」って言ってた。

この言葉が目新しかったこともあって、UWFの人気が盛り上がったんだよね。

 

これに対して、プロレス界の御大中の御大、ジャイアント馬場さん(ここだけなぜか「さん」付け)はいくつか名言を残されてる。

「あんな道場でやるようなことをお客に見せてどうするんだ」

「シューティングを超えたものがプロレス」

「みんながシューティングに走るので、私はプロレスを独占させてもらいます」等々

 

で、面白いのはこれで従来のプロレスが衰退するんじゃなく、特に全日本プロレスは「四天王」で大いに盛り上がったこと。

 

そう、UWFの功罪の「功」の部分は、UWFの出現で、総合格闘技のブームを作るきっかけになったことと、一方で従来のプロレスも盛り上げることになったこと。

だと思う。

 

「罪」の部分はというと…。

新生UWFが分裂しても、それぞれの団体は大会ごとにかなりの観客動員を誇り、栄華が長く続くものと思われたが、「UWFインターナショナル」はその後の「キングダム」を経て、90年代半ばに活動休止、藤原組はパンクラスへの分裂前後からの入団選手も離れ、藤原一人で「藤原組」を名乗るも、事実上の活動休止、「リングス」は前田が開拓した選手たちが新興格闘技イベントのに引き抜かれる事態に陥り、やはり活動休止。

 

唯一、現在も残っているのは「パンクラス」のみだが、現在は総合格闘技団体となり、他団体でプロレス参戦している鈴木みのるが「パンクラス・MISSION」を名乗っているものの、実質的な繋がりは現在はなく、船木に至ってはすでに退団しており、旗揚げ当初とは全く別の団体となっている。

 

注)スーパータイガーは旧UWF(第一次UWF)のみの所属でした。ごめんなさい。

 

 

と、ここまで長々と書いてきて、ここからが本題。

 

UWFの出現は、それまでの「ロープに振って、相手の技を綺麗に受ける予定調和」のプロレスに慣れていた人たちにとって、まさに「青天の霹靂」だった。

かくいう俺のその一人だったな。

旧UWFにハマって、少ないテレビ放映を何とか視聴し、新日本に戻ってからも「UWF派」だった。

87年6月の前田VS藤波、流血のWノックダウンや前田VSドン・中矢・ニールセンの異種格闘技戦を見て、熱狂していた。

 

「これぞリアル」と言っていたりもしたけど、「これも全部プロレス」だと分かっても、全く落胆はなかった。

「プロレスだったとしても、『どちらが強いか』により近い」と考えていたから。

そうでなかったとしても、大技バンバンもいいけど、見てるだけで息が詰まりそうになる試合展開が本当に面白かった。

新生の頃から会場に足を運ぶようになって、その後のUインター、パンクラス、リングスも観に行った。

 

当時、新日本や全日本と明らかに違ってたのは、リング上だけじゃなかった。

あえて言えば、観客の「質」が全く違ってた。

その時に出てくる選手にもよるんだけど、当時、雑誌でも取り上げられた「シーン現象」がたびたび起こってた。

 

KOとかだと一気に「ワーーーーーーーッ!!!」ってなるんだけど、その反対に、息が詰まるような関節の攻防を見てるときは会場内がシーンと静まり返るって現象。

関節技の攻防の時に、観客の一人がふざけたような野次を飛ばしたら、他の観客が「うるせー!!黙れ!!出てけ!!」って言うような雰囲気。

 

こんな中で人気があったのが、船木誠勝、田村潔司、桜庭和志など、後に総合格闘技の試合で活躍する選手たち。

ワーってなる試合では鈴木や高山も人気は高かったけど、関節技合戦みたいな試合だと、船木、田村、桜庭が人気は突出してたね。

88年5月12日、後楽園ホールは、わずか3試合のために2300人超満員札止めになった。

ここから「新生UWF」の一大ブームが起きる。

 

ここから1年以内に、藤原喜明、木戸修、船木優治(現船木誠勝)、鈴木実(現鈴木みのる)らが相次いで移籍し、そこから「UWFスタイル」が確立されるようになる。

 

また、佐山も「スーパータイガー」として、スポット参戦するようになる(一時は正式に入団して、ルール等の作成も行っていた)。

 

それまでのプロレス興行とは異なり、月1回の開催やロープに飛ばず、キックや関節技主体の試合形式など、「リアルな試合」がブームの要因だった。

 

けど、新生UWFも長くは続かず、90年12月を以て活動停止(事実上の崩壊)になる。

 

そして、UWFが3派に分裂する。

実質は4派に分裂することになるのだが…。

 

高田、山崎、安生、中野、宮戸らによる「UWFインターナショナル」、藤原、船木、鈴木らの「プロフェッショナルレスリング藤原組」、一人になった前田がロシア、ヨーロッパルートの格闘技選手を開拓した「リングス」。

そこからさらに“究極”を求めた船木、鈴木らが藤原組から独立した「パンクラス」。

 

新生UWFの頃のような一大ブームとまではいかないまでも、それぞれにコアなファンがつき、大会ごとにかなりの観客動員を誇るようになる。

ずっと以前から書きたいと思ってたネタ。

かなり長く更新してなかったのに、何だろう、急に書きたくなった。

 

今から34年前のこと。

1984年、新日本プロレス所属だったプロレスラーがそれまでの「母体」を離れて“独立”した。

後に語られた話によるとアントニオ猪木が「俺も後で行くから」とのことだったらしい。

 

当時25歳だった前田日明をエースとして、「格闘プロレスユニバーサルレスリング」として、

1984年4月11日に埼玉の大宮スケートセンターで旗揚げ。

 

最初の頃はUWFも当時の新日本や全日本とそんなに変わらない試合、

即ち、「普通のプロレス」をやってた。

 

後に「U系」と呼ばれるようになる試合スタイル(所謂「プロレス」とは一線を画した、今で言うところの

総合格闘技に似た試合スタイル)の方向性を決定づけたのは、同年7月23、24日に開催された

「無限大記念日」大会だったと言われる。

 

この日は、先に新日本を対談していた佐山聡(初代タイガーマスク)がザ・タイガーとして、

当時佐山が経営していた「タイガージム」のインストラクターになっていた山崎一夫と共に

「この大会だけの約束」で参戦した。

 

当時の佐山は「新しい格闘技を開拓し、広めたい」との思いがあったとかで、連れて行った山崎には

「普段、ジムでやってるような試合をすればいい」と指示を出し、佐山と山崎とで、当時としてはかなり異端に映るような

所謂「格闘技スタイル」の試合をした。

 

これに感化された前田や当時の若手メンバーは、佐山を師事してこの大会以降「格闘スタイル」の

プロレスを展開したけど、このスタイルに拒否反応を示したラッシャー木村、剛竜馬、マッハ隼人らは

これから数ヶ月以内に相次いで退団。

 

退団したラッシャー木村らと入れ替わりでシリーズごとに参戦するようになった佐山、山崎と

残った前田たちは、より格闘技色を強めるようになっていく。

 

が、

 

当時はまだこのスタイルがかなり前衛的だったんだな。

結局、このときの「U.W.F.ユニバーサルレスリング」はわずか1年半で崩壊。

前田たちも元いた新日本にまた舞い戻ることになる。

 

ただ、以前の彼らと違ったのは、新日本に戻っても従来の「プロレス」ではなく、

格闘技色の強い試合を貫いたこと。

 

新日本内部ではかなりの拒否反応もあったが、表向き、一時的には新日本とU.W.F勢との和解とも取れる言動もあった。

が、猪木や当時、一時的に全日本に参戦した後に新日本に舞い戻ってきていた長州力らによって、

U.W.Fは新日本を離れざるを得なくなる。

 

そして、88年5月、前田について行った高田、山崎、安生、中野、宮戸のわずか6人で

「新生UWF」を旗揚げ。

このときは、新日本参戦時のテレビ放映の影響で、前田らにもかなりのファンがつくことになり、

結果、旗揚げ戦の後楽園ホール2300枚のチケットがわずか15分で完売した。

ここしばらく食べログで投稿するようになったんだけど、

それで気が付いたこと。

色んな人がいるよね。

当然だけど。

だから、あえて言えば

「こういう人は口コミ投稿する資格はない」

って人もたまに目につく。


某ラーメン店の口コミ。

老舗と言われる超有名店。

「老舗という名前に胡坐をかいてサービスを忘れてる」

などと書いてるから何事かと思えば…


そのお店はデフォルトで2玉入れていることで有名。

暖簾分けしたお店は麺少な目とかやってるけど、

本店であるそのお店では一切やっていないことも有名。

また、麺の茹で加減もお店任せ。


なんだけど…


そのお店に初めて入って

「麺を一玉で固めで」

って注文したらしい。

当然、お店の人は

「すみません、そういうことはやってないんですよ」

と答える。

自分の思い通りに行かなかったから、

この男はそこで逆切れしたんだな。

「今どき麺の茹で加減を客の好みにしない店があるなんて」

「麺の量を変えることが出来ないなんて素人同然」

ってなことを好き放題書きまくってる。

評価はもちろん最悪ってことで「★1.0」。


お店にはそのお店ごとのルールがある。

当たり前にある。

客は店に入ったら、そのお店のルールを守る必要がある。


“ラーメン店”という括りでは同じでも、

全く同じサービスを行う店はチェーン店以外ではあり得ない。

全く同じルールで運営されるお店もチェーン店くらいしかない。

Aという店では麺量も茹で加減もスープの濃さなども客の好みで注文出来る。

Bという店では麺の大盛りや少なめなどもせず、

スープの濃さも店で作るもののみしか注文出来ない。

だからこれって本当に当たり前のこと。


なのに、自分で

「ラーメン屋は麺量を変えてくれて当たり前」

などと思い込んだ奴がいると

「この店はサービスがなってない」

ってなっちゃうんだね。


けどさ、こういう奴って

食べログで口コミ投稿するとかの以前に

人間的にすでにどうかって感じだよね。


もし食べログでお店を検索してて、

こんな口コミを見つけたら、

そういう口コミは信用する必要ないからね。
先日開幕して、連日熱戦を繰り広げてるソチ五輪。

スノーボード男子ハーフパイプで、

平野君、平岡君という十代の2人がメダルを獲った。

これ、本当にすごい。

で、その翌日はノルディック複合ノーマルヒルで

渡部君という若者が銀メダルを獲得。

また、メダルには届かなかったものの、

スノーボードフリースタイルの角野君や

ジャンプ女子ノーマルヒルの高梨さんがそれぞれ入賞してる。


ってな具合で若い人たちが活躍してて

見てても面白いし楽しいし、時間を忘れるくらい。



ところで、彼らはシーズンインすると

海外を転戦してたり、シーズンオフでも

活動拠点が海外だったりで、実は語学力もかなりだったりする。

海外メディアからのインタビューに、

彼らが普通に英語で応答しているのを見ると、

それを実感する。


平野君、平岡君がメダルを獲得した同じ頃、

ニューヨークでは田中投手がヤンキースの入団会見をしてた。

朝のニュース映像でしか見てないけど、

最初の挨拶は中学生のような英語で、

その後の質疑応答はすべて日本語で答えてた。

同じヤンキースにいた松井は、

アメリカに10年いたにもかかわらず、

試合のインタビューなどでは必ず通訳がついてた。


これだけを見て、すぐに

「野球選手はこれだから…」

的な発言をする人もいるが、それは違う。

松井は普段の会話は通訳なしで出来てたと聞くし、

股間にデッドボールをくらって出塁したとき、

相手の一塁手から「大丈夫か?」と聞かれて

「俺のは小さいから大丈夫だよ」

とジョークで返してたってエピソードもあるくらいだから、

ほとんど問題なく会話出来てたんだろうと想像できる。

田中投手もいずれそのくらいの会話はできるようになるだろう。



今から25年半前、学校の派遣でマレーシアに3ヶ月行った。

地元の子供たちと遊びながら言葉を少しずつ覚えて、

帰国前には「幼稚園児か小学校低学年レベル」

での会話はできるようにはなっていたみたい。


自分の体験でだけど、これをもとに考えると

10年もいた松井や、現在いるイチローなどは

実際のところかなり英語が話せるんだろうな。


で、それを裏付ける話。

かなり以前に、青年海外協力隊員だった人から聞いたこと。

彼らは2年間、海外ボランティアとして、主に

開発途上国に行き、そこでいろいろな活動をしている。

日本人なんてまずいないような場所に行くから、

現地語は当然必須で、訓練期間中にかなり勉強するらしい。

けど、やはりちゃんと覚えるのは滞在している2年間なんだとか。

曰く、

半年で、現地語の通常のスピードで聞き取ることが出来るようになる。

1年で、同じスピードで返せるようになる。

2年いると、現地の言葉で喧嘩が出来るようになる。

だとか。


俺、当然だけど、マレーシアでは

同じスピードでなんて返せないし、

ましてやマレーシア語で喧嘩なんて出来なかった。

もちろん、英語でも同じ。

だから、普段の会話はゆっくりだったし、

頭に来た時は日本語で怒鳴ったりしてた。


だからなのかな、

「現地の言葉で喧嘩」って、すごく感動した。


俺はこれから先はたぶんないんだろうけど、

新天地を求めてニューヨークに渡った田中投手には

「現地の言葉で喧嘩ができる」くらいになってほしいな。

11月の終わり頃からマスコミを賑わせてて、

ようやく決まったね。

マー君こと、東北楽天イーグルス田中将大投手の行き先。

メジャーリーグの名門、ニューヨークヤンキース。

なんと、7年契約で年俸総額が1億5500万ドル。

日本円換算で約161億円、年平均で約23億円とか…



出て行かれる球団側には

ほとんど何のメリットもない“新”ポスティング制度の

適用第1号と言うことでも注目されてた今回の移籍劇。

何とかキャンプに間に合ってよかったんじゃないかな。

と言っても、いろんな手続きやらなんやらを考えると、

かなりギリギリでの決定ではあったと思うけどね。



さて、田中投手。

昨シーズンは、前人未到の開幕24連勝(0敗)で、

満場一致の沢村賞も獲得。

すでに日本では競争相手がいないんじゃないかと

思われるほどのピッチャーに成長したね。

本人の努力はもちろん、周りにいる人たちも良かったんだろうね。


今回の契約条件やなんかを見て思ったこと。

とんでもないくらい高いハードルだなぁってこと。

おそらく本人も、その点は重々承知しているんだと思う。



野茂がパイオニアとしてメジャーに渡り、

道を作ってくれたことで、その後の選手たちは

メジャーに行きやすくなった。

これまでメジャーに行った選手たちのほとんどは、

「メジャーに挑戦します」

って言ってた。

で、結果は実のところ、散々だったりした。

けど、「挑戦」以外の言葉を使った選手もいた。

俺の記憶が正しければ、

イチローやダルビッシュは

「メジャーに行かなければいけない」

佐々木(大魔神ね)や桑田は

「メジャーのマウンドで投げてみたい」

松井(ゴジラ)は

「世界の超一流と対戦してみたい」

だった。

で、「挑戦」以外の言葉を使った選手たちは、

たいていちゃんとした実績をメジャーでも残してた。

イチローやダルビッシュ、黒田、上原等は

現在進行形だけどね。

翻って田中。

彼はやっぱりと言うか、当然のごとく

「挑戦」とは言わなかった。

意思表明の時は

「メジャーリーグでやりたい」

今日の会見では

「メジャーのマウンドに立つことが楽しみ」

だった。


あのね、思い切り素人考えなんだけど、

俺はこの言葉で確信したよ。

田中もちゃんとした実績を残す。

メジャーでもちゃんと活躍するって。

だって、彼の場合も「挑戦」じゃないから。

「挑戦」した選手たちは、

「挑戦したけど駄目でした」

で、日本に帰ってきて、

なぜか(一部例外はあるけど)、

「俺はメジャー帰りなんだ」みたいな感じで

チーム内で大物みたいに振舞ってる(らしい)。

大した実績も残さずに、

しかもほんの1、2年程度行っただけで

「俺は…」ってのが、

どうもいけ好かない。


「挑戦」じゃない選手たちは、

「そこ(メジャー)にいることが当たり前」だったり

「そこ(メジャー)にいなきゃいけない」

って言ってた選手。

田中も同じことを言った。

ってことは、やっぱり田中にとって

「メジャーリーグ」は

特別な舞台じゃなくて、日常として“いる”場所

なんだと思う。

そういう意識でいるから、

活躍するのも実績を残すのも当たり前

なんだと思う。



WBCの時にはボールの違いで苦労したらしいけど、

ダルビッシュだってそうだったのが、

実際にメジャーに行ったら、

ちゃんと適応してる。

もちろん、凄い努力をしてるってことなんだけど。

ダルビッシュを兄貴分と慕って、師と仰ぐ田中だったら、

同じように凄い努力をしてメジャーのボールにも

ちゃんと適応するんだと思う。


報道では、開幕3戦目での登板が可能性大らしい。


メジャーリーグの楽しみが、

また一つ増えたね。
ずいぶんと久しぶりの更新。

それはいいとして、俺自身にとって忘れられないこと。


今から8年前、少年野球のコーチをしていた時の

ある試合でのこと。

チームが所属してた区連盟が、

別な区から大会への招待を受けた。

それを受けて、単独チームじゃなくて

区連盟内で代表チーム、

いわば「オールスターチーム」を組んで試合に臨んだ。

結果から言えば、その大会で準優勝だった。

この大会の準決勝の試合、

ある一人の選手が忘れられないんだな。


当時、小学6年生。

所属していたのは、かなりの弱小チームで、

その子はそのチームでキャプテンでエースで4番だった。

チーム内ではもちろん、連盟内でも

ポテンシャルがかなり突出してた。


普段の試合(練習試合やリーグ戦)では、

俺の居たチームも、この子にだけは

かなり慎重に対していた。



代表チームの監督は、俺がいたチームの監督。

メンバー選考に当たって、

いの一番でこの子を選んだとか。

ずんぐりした体形だったのもあるけど、

その子自身、おそらく当時のメンバーで

一番野球を理解してた。

だから、無条件でその子を代表キャプテンにして、

キャッチャーで4番にした。

他の区での試合だから、当たるチーム全部が初対戦。

相手の手の内も全くの手探りだったけど、

こちらが据えた「4番打者」の実力は、

こちらが言う必要もないくらい、

すぐに相手は感じ取ってたみたい。

いわば「真の4番打者」の雰囲気がプンプン。

だから、1回戦から敬遠が半分を占めたくらい。



長い前振りだったけど、これから本題。

タイトルは、準決勝終了時点での、この子の成績。

準決勝前は、16打席8打数4安打1本塁打3打点。

チーム内の他の子や指導者陣に、この子の成績を話したら

全員が驚いて、また直後に納得してた。


本人は、試合の中の半分は勝負してもらえなくて

かなりフラストレーションが溜まってたんだと思う。

準決勝で、唯一勝負してもらえた打席で、

会心の一打を放って、結果3ランホームラン。

この試合を決めた一打だった。

打った直後、思わず胸の前で握り拳してた。

ベンチでも全員が立ち上がって万歳してた。


あれから8年。

俺自身はそれから2年ほどでコーチに行かなくなったけど、

少年野球のコーチをやってた7年間で、

本当に「4番」を見たのは、この子だけ。


ちなみに決勝後の最終成績は、

24打席11打数6安打2本塁打8打点13四球19出塁。

打率.545、出塁率.792。

打った6安打のうちシングルヒットは何と「0」。

ホームラン以外の4本は全て2塁打。

この日を含めて、代表チームで戦ったのは

3日ほど(12、3試合程度)だったけど、

本当にすごい子だったなぁ。


中学は都大会上位常連と言われるところに入ったんだけど、

その後はどうなったのかなぁ。

今年20歳。

野球が大好きな、本当に真面目な少年だったから、

今は良い青年になってるんだろうな。
かなり久々の更新になっちゃった。


最近、ほぼ毎日車を運転してる。

去年もそうだったから、

今年も改めてそう思うんだけど、

昼間に多いのが、

どんな道でも40km/h(以下)しか出さない車が

結構いるんだね。

住宅街の小さな路地なら分かる。

けど、

大きな街道(50km/hや60km/hの道)でも

同じように40km/hまでしか出さない。

こういう車を運転してるのは、

総じてお年寄りか女性。

ご本人は安全運転のつもりなんだと思うけど、

大きな街道だと、

迷惑この上ないし、

しかも、事故る確率も高くなって、

却って危険。

で、

こういう車(ドライバー)って、

40km/hの道に入ると、

途端に減速して、

30~35km/hでしか

走らなくなるんだね。

狭いのは確かに分かるけど、

だからって、

そんなに遅くしなくてもいいんじゃない?


それよりも、

やっぱり

大きな街道を40km/h(以下)で走る行為だな。

商業車(バス、トラックやなんか)なら分かる。

そのくらいのスピードしか出ないように

設定されてる車もあるし、

人の命を預かって走ってる車もある。

けどね、

商業車じゃないし、

一般の車だよね。

それも、なかなか良い車だったりするよね。

エンジン回さなきゃ、

早く傷むよ。

それに、

周りが50、60、70km/hで走ってる中で

自分だけ40km/hで走る危険性を

分かってないでしょ。

はっきり言って、

ぶつけられても文句言えないよ。


それから、

これもよく見かけるんだけど、

わざわざ強引に割り込んできたのなら、

後ろの車よりも

速く走ろうよ。

60km/hで走る車の前に

かなり強引に割り込んできたにもかかわらず、

その後は40km/hしか出さないって、

一種の犯罪行為だよ、これ。

後ろの車に思い切り迷惑かけてるからね。


でね、

こういう車を運転してる人に

(ほぼ)総じて言えるのは、

前しか見てないってこと。

後ろや横を全く見ないで運転してる。

周りの流れなんて無関係。

自分が40km/hで走りたいから、

自分は40km/hしか出せないから、

だから、周りはどうであっても、

自分は40km/h(以下)しか出さない。

危ないと思ったら、

他の車が避けてくれればいい。

いや、他の車が避けるべき。

ってな考えなんだろうな。

実際、そういう話も聞いたことあるし。


あのね、こういうドライバーって、

免許証を持つ資格ないと思う。

もう一度、教習所に通い直して、

一から免許証を持つことの意味を

ちゃんと勉強した方がいい。