愛という言葉を容易く使うけれども、それが何かを自分自身に問わず、
心に落とし込みしないまま使っている人たちがいる。
もし、人生で「愛について」迷うようなことが出てきたなら
愛という概念を、宗教に頼ることなく、
男女間、家族間など狭めることなく、
自分自身に聞いてみな。
仮にね「愛は○○です」という仮説を立てて、間違ってたら、
「それは違うよ」という逆説的なストーリーな人生を与えられるよ。
そんな不幸を感じるような人生を過ごしながら
「あ、間違ってたんだ」ってことに気づかせるような出来事が起こるから。
…気づかなかったら、ずっと起こるから、
はやく気づいてね。
でね、「愛は○○です」って仮説が、あってるなら、
すごく幸せを感じられることができるよ。
でもまあ、人生好きな方を選べるなら、
仮設があってるストーリーを選んでたいよね。
(ていうか、そもそも、あってるなら、設定なんだけどね)
その先を生きたいんだし。
謳歌したいよね。
コツはね。
「愛」はもうあるんだよ!
って認めちゃえばいいんだよ。
それだけなんだよ。
そしたら、「愛を求め、問う人生のストーリー」ではなくて、
「○○して生きたい!」が当然のように出てくるから。
ていうか、そもそも貴方たちの「愛を問う姿」は想像できないんだけどね。
もし、周囲に愛を問う人や、揺さぶりをかけてくる人に出会ったなら、
「あるから結構です」って断っちゃいな!
一線を引くんだよ。
ほんならな!