「しかし、私たちは正しい人間でも、だれかに恩顧を与えているような人間でもなく、
罪人(つみびと)に過ぎないのに、
この罪人のためにキリストは死んでくださった。
このことによって、神は私たちに対する愛をいかんなく表されたのである。」
ローマ教会へのパウロの手紙5章8節【現代訳聖書】
この罪人(自分)のために、イエス・キリストは死なれた。
わたしの代わりに死刑になってくださった。
そう言われても、自分は、罪びと![]()
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なかなか「自分の罪」が分からない者でした。
今でも、母に対して、ぶっきらぼうに接したり、
彼女が、高齢のため体力的にきつくなってきているのに、
なかなか手伝えなかったり、世代交代もなかなかできずにいる。
ふとした時、
心の中で、なんだか不穏なことを考えたりすることもある自分なのです。
しかし、昔、つまり若い頃は、もうちょっと純粋だったし、
自分は、正しいとか、思っていました。
前置きが長くなりました。
ごめんなさい。
今日、筆を執ったのは、ある言葉を伝えたかったからです。![]()
皆さんは、イエス・キリストが自分のために死なれたことをご存じでしょうか。
「罪はない」そう思われていますか?
そんな方へ。
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「聖書の中のどれでもいい、ひとつ徹底的に実行してみませんか?
徹底的にだよ、君。
そうするとね、あるべき人間の姿に、いかに自分が遠いものであるかを知るんじゃないのかな。」![]()
これは、三浦綾子著「塩狩峠」のある登場人物のことば。
私も、実践してみたことがあります。
「真実に隣人になりたい」、「愛したい」、そう実践して取り組んだことがあります。
「塩狩峠」の主人公も、実践していくのです。
そして・・・