阿波和子 オフィシャルブログ『一生涯、肢体不自由 難病改正【脊椎側湾症】と毎日を家族と生きて関ジャニ∞LOVE』 Powered by Ameba

阿波和子 オフィシャルブログ『一生涯、肢体不自由 難病改正【脊椎側湾症】と毎日を家族と生きて関ジャニ∞LOVE』 Powered by Ameba

所属芸能事務所『CASTMARTプロダクション』本名『阿波和子』 ●〒151-0064 東京都渋谷区上原2-28-3 リバーワン代々木上原201  公式『http://www.castmart.jp/』








































































◆◆










ホワイトボード
◎お知らせ◎


◎正式決定
■1曲目■
曲名

命のプリズム

作詞・作曲・歌・曲名
阿波 和子


■所属芸能事務所■


画像の横に文字を挿入する方法

CASTMART プロダクション
別世界カンパニ-総合事務所
sweets selection






皆さんへ!誠に有難う。


マザーテレサさん

空海 

太宰治 【如是我聞】




■一般企業の職■
事務

レッスンetc(変更有)


 二

曲名
生きる証
作詞・作曲・歌・曲名
阿波和子


 三

曲名
託したエール
作詞・作曲・歌・曲名
阿波和子



 四

曲名
当たり前の平穏
作詞・作曲・歌・曲名
阿波和子



レッスンの曲


曲名ー
私の小さな幸せの花 

作詞    友利歩未
作曲・編曲 杉村俊博
 歌    阿波和子

 五

曲名
命のvision
作詞・作曲・歌・曲名
阿波和子


 六

曲名
パラサイト
作詞・作曲・歌・曲名
阿波和子


 七

曲名
有難うと感謝
作詞・作曲・歌・曲名
阿波和子


 八

曲名
生きるコト
作詞・作曲・歌・曲名
阿波和子


 九【制作中】

曲名ー尊い命
作詞・作曲・歌・曲名
阿波和子
 十【一部】

曲名一1凛のマーガレット
作詞・作曲・歌・曲名
阿波和子

【制作中】

一一  曲名ー紫陽花

一二  曲名ー蒲公英の愉

一三  曲名―ヨリドコロ

一四  曲名-懸け路

一五  曲名ー大輪花

一六  曲名ー
メディテーション

一七  曲名ー
セレンディピティ

一八  曲名ー兼合い

一九  曲名ー虹のいろ

二十  曲名ー永劫の桜

二一  曲名ー
ON!パレード

二二  曲名ー
明日に繋がる思い

二三  曲名-
我楽多のtheory

二四  曲名ー
心のレトロイド

二五  曲名ー
靉子-retronym

二六  曲名―
手編みの十八番

二七  曲名ー
路傍の草

二八  曲名ー
人草のplusカラン

二九  曲名ー
一生涯、敬愛する家族と共に

三十  曲名ー
唯一のPresent

三一  曲名ー
季春の子福桜

三二  曲名ー
explorerに名を馳せて

三三  曲名ー
貴方のdrumとキール

三四  曲名ー感謝魂

三五  
全てに唯一無二の命

三六  
無敵で目で見えない言葉

三七  
リサイクルのPane

三八  
恣意的から出た誠

三九
守礼門の親く束

四十  
桜の春暦

四一
いつも貴方に太陽を

四二  
桜草

四三  
測れないGLass

四四  
玉虫色の意志

四五
生琉里の桜

四六  
世界中の平和と祷り

四七  
春を快ゆくまで

四八  
世界平和に生きる

四九  
心結

五十  
大翔の星

五一  
敬愛心

五二    
心に花束を

五三    
それでも私は生きることを選んだ

五四    
靉の三衣

五五    
365日の幸せ

五六    
誇る鏡

五七    
耀く明日に

五八    
カラフル パレット

五九    
プラス誓歌

六十    
結晶reversible

六一    
調和オンリー100%

六二    
心に思いを馳せる故郷

六三    
生涯団欒

六四    
母に有難うの花

六五    
生きる感謝

六六    
靉のダイヤモンド

六七    
万来の北海道
六八    
慶春賦
六九     
マーブルの虹
七十    
春告賦
七一    

七二    
熙谺地球交響曲・第一楽章
「無償の魂」
七三    
一葦の水で

七四    
Grant Small GLOBE

七五    
漸く 漸く 漸く

七六    
幸探しの地図

七七    
未来に明日はある

七八    
Four fall in LOVE

七九    
For the One I Love

八十 
心から有難う

八一   
LOVEマジック

八二 
五月空に輝く

八三 
成幸への勲章

八四   
命吹くポピン

八五 
未曾有

八六   
煌めく軌跡

八七 
愛しいと想う心

八八   
心の環

八九 
大切な思いやり

九十   
四季桜

九一   
やさしい命

九二 
固い絆

九三   
一笑健明

九四    
不屈の誠心

九五     
エンブレム
「芽吹く命を生ききる」

九六    
エターナルの葦

九七    
書の万巻

九八     
輪ヒュポモネー

九九    
宵の明星

百     
嬉野華の雫

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いつもの事で、
たっぶりマヨネーズに下に、
ご飯
お好み焼きたけに、

お好みにトッピング。
青のり、ソース付きで昼に頂き。
週6食べてるかも?
それくらい大好物。
買いだめしてる。
お好み焼きを。










本日、私の幼い時からの

一番にかけがえのない存在の

敬愛する一人が他界しました。

毎年、懇切丁寧に御供養を執り行います。

心から御冥福を御祈り申し上げます。
(鐘二打)
帰命無量寿如来 南無不可思議光
(きみょうむりょうじゅにょらい 
なもふかしぎこう)
法蔵菩薩因位時 在世自在王仏所
(ほうぞうぼさついんにじ 
ざいせじざいおうぶっしょ)
覩見諸仏浄土因 国土人天之善悪  
(とけんしょぶつじょうどいん 
こくどにんでんしぜんまく)
建立無上殊勝願 超発希有大弘誓
こんりゅうむじょうしゅしょうがん 
ちょうほつけうだいぐぜい)
五劫思惟之摂受 重誓名声聞十方  
(ごこうしゆいししょうじゅ 
じゅうせいみょうしょうもんじっぽう)
普放無量無辺光 無碍無対光炎王
(ふほうむりょうむへんこう 
むげむたいこえんのう)
清浄歓喜智慧光 不断難思無称光  
(しょうじょうかんぎちえこう 
ふだんなんじむしょうこう)
超日月光照塵刹 一切群生蒙光照
ちょうにちがっこうしょうじんせつ 
いっさいぐんじょうむこうしょう)
本願名号正定業 至心信楽願為因  
ほんがんみょうごうしょうじょうごう 
ししんしんぎょうがんにいん)
成等覚証大涅槃 必至滅度願成就
(じょうとうがくしょうだいねはん 
ひっしめつどがんじょうじゅ)
如来所以興出世 唯説弥陀本願海  
(にょらいしょいこうしゅっせ 
ゆいせつみだほんがんかい)
五濁悪時群生海 応信如来如実言
(ごじょくあくじぐんじょうかい 
おうしんにょらいにょじつごん)
能発一念喜愛心 不断煩悩得涅槃  
(のうほついちねんきあいしん 
ふだんぼんのうとくねはん)
凡聖逆謗斉廻入 如衆水入海一味
ぼんじょうぎゃくほうさいえにゅう 
にょしゅしいにゅうかいいちみ)
摂取心光常照護 已能雖破無明闇  
せっしゅしんこうじょうしょうご 
いのうすいはむみょうあん)
貪愛瞋憎之雲霧 常覆真実信心天
(とんないしんぞうしうんむ 
じょうふしんじつしんじんてん)
譬如日光覆雲霧 雲霧之下明無闇  
(ひにょにっこうふうんむ 
うんむしげみょうむあん)
獲信見敬大慶喜 即横超截五悪趣
ぎゃくしんけんきょうだいきょうき 
そくおうちょうぜつごあくしゅ)
一切善悪凡夫人 聞信如来弘誓願  
(いっさいぜんまくぼんぶにん 
もんしんにょらいぐぜいがん)
仏言広大勝解者 是人名分陀利華
(ぶつごんこうだいしょうげしゃ 
ぜにんみょうふんだりけ)
弥陀仏本願念仏 邪見○慢悪衆生  
(みだぶつほんがんねんぶつ 
じゃけんきょうまんなくしゅじょう)
信楽受持甚以難 難中之難無過斯
(しんぎょうじゅじじんになん 
なんちゅうしなんむかし)
印度西天之論家 中夏日域之高僧
(いんどさいてんしろんげ 
ちゅうかじきいきしこうそう)
顕大聖興世正意 明如来本誓応機
(けんだいしょうこうせしょうい 
みょうにょらいほんぜいおうき)
釈迦如来楞伽山 為衆告命南天竺
(しゃかにょらいりょうがせん 
いしゅごうみょうなんてんじく)
龍樹大士出於世 悉能摧破有無見
(りゅうじゅだいじしゅっとせ 
しつのうざいはうむけん)
宣説大乗無上法 証歓喜地生安楽  
(せんぜつだいじょうむじょうほう 
しょうかんぎじしょうあんらく)
顕示難行陸路苦 信楽易行水道楽
(けんじなんぎょうろくろく 
しんぎょういぎょうしいどうらく)
憶念弥陀仏本願 自然即時入必定 
(おくねんみだぶつほんがん 
じねんそくじにゅうひつじょう) 
唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩
(ゆいのうじょうしょうにょらいごう 
おうほうだいひぐぜいおん)
天親菩薩造論説 帰命無碍光如来  
(てんじんぼさつぞうろんせつ 
きみょうむげこうにょらい)
依修多羅顕真実 光闡横超大誓願
(えしゅたらけんしんじつ 
こうせんおうちょうだいせいがん)
広由本願力廻向 為度群生彰一心  
(こうゆほんがんりきえこう 
いどぐんじょうしょういっしん)
帰入功徳大宝海 必獲入大会衆数
(きにゅうくどくだいほうかい 
ひつぎゃくにゅうだいえしゅしゅ)
得至蓮華蔵世界 即証真如法性身  
(とくしれんげぞうせかい 
そくしょうしんにょほっしょうじん)
遊煩悩林現神通 入生死薗示応化
(ゆうぼんのうりんげんじんずう 
にゅうしょうじおんじおうげ)
本師曇鸞梁天子 常向鸞処菩薩礼  
(ほんしどんらんりょうてんし 
じょうこうらんしょぼさつらい)
三蔵流支授浄教 梵焼仙経帰楽邦
(さんぞうるしじゅじょうきょう 
ぼんじょうせんぎょうきらくほう)
天親菩薩論註解 報土因果顕誓願  
(てんじんぼさつろんちゅうげ 
ほうどいんがけんせいがん)
往還廻向由他力 正定之因唯信心
(おうげんねこうゆたりき 
しょうじょうしいんゆいしんじん)
惑染凡夫信心発 証知生死即涅槃  
(わくぜんぼんぶしんじんぽつ 
しょうちしょうじそくねはん)
必至無量光明土 諸有衆生皆普化
(ひっしむりょうこうみょうど 
しょうしゅじょうかいふけ)
道綽決聖道難証 唯明浄土可通入  
どうしゃくけっしょうどうなんしょう 
ゆいみょうじょうどかつにゅう)
万善自力貶勤修 円満徳号勧専称
(まんぜんじりきへんごんしゅ 
えんまんとくごうかんせんしょう)
三不三信誨慇懃 像末法滅同悲引  
(さんぷさんしんけおんごん 
ぞうまつほうめつどうひいん)
一生造悪値弘誓 至安養界証妙果
(いっしょうぞうあくちぐぜい 
しあんにょうがいしょうみょうか)
善導独明仏正意 矜哀定散与逆悪  
(ぜんどうどくみょうぶっしょうい 
こうあいじょうさんよぎゃくあく)
光明名号顕因縁 開入本願大智海
(こうみょうみょうごうけんいんねん 
かいにゅうほんがんだいちかい)
行者正受金剛心 慶喜一念相応後  
ぎょうじゃしょうじゅこんごうしん 
きょうきいちねんそうおうご)
与韋提等獲三忍 即証法性之常楽
(よいだいとうぎゃくさんにん 
そくしょうほっしょうしじょうらく)
源信広開一代教 偏帰安養勧一切  
(げんしんこうかいいちだいきょう 
へんきあんにょうかんいっさい)
専雑執心判浅深 報化二土正弁立
(せんぞうしゅうしんはんせんじん 
ほうけにどしょうべんりゅう)
極重悪人唯称仏 我亦在彼摂取中  
ごくじゅうあくにんゆいしょうぶつ 
がやくざいひせっしゅちゅう)
煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我
(ぼんのうしょうげんすいふけん 
だいひむけんじょうしょうが)
本師源空明仏教 憐愍善悪凡夫人  
(ほんしげんくうみょうぶっきょう 
れんみんぜんまくぼんぶにん)
真宗教証興片州 選択本願弘悪世
しんしゅうきょう
しょうこうへんしゅう 
せんじゃくほんがんぐあくせ)
還来生死輪転家 決以疑情為所止  
(げんらいしょうじりんでんげ 
けっちぎじょういしょし)
速入寂静無為楽 必以信心為能入
(そくにゅうじゃくじょうむいらく 
ひっちしんじんいのうにゅう)
弘経大士宗師等 拯済無辺極濁悪  
(ぐきょうだいじしゅうしとう 
じょうさいむへんごくじょくあく)
道俗時衆共同心 唯可信斯高僧説
(どうぞくじしゅぐどうしん 
ゆいかしんしこうそうせつ)

(鐘一打)

・なーもーあーみーだーぶー

(鐘一打)

  なーもーあーみーだーぶー
  なーもーあーみーだーぶー
  なーもーあーみーだーぶー
  なーもーあーみーだーぶー
  なーもーあーみーだーぶー
  なー

・みだ じょうぶつ の このかたは
 いまに じッこうを へたまえり
 ほツしん の こうりん きわもなく
 よの もうみょう を てらすなり

 なーもーあーみーだーぶー
 なーもーあーみーだーぶー
 なーもーあーみーだーぶー
 なーもーあーみーだーぶー
 なー

・ちえ の こうみょう はかりなし
  うりょう の しよそう ことごとく
  こうけう かむらぬ ものはなし
  しんじつみょう に きみょう せよ

なーもーあーみーだーぶー
なーもーあーみーだーぶー
なーもーあーみーだーぶー
なーも

・あーみーだーぶー
  なーもーあーみーだーぶー
  なーもーあーみーだーぶー
  なーもーあーみーだーぶー
なーもーあーみーだーぶー
なーもーあーみーだーぶー
なーもーあーみーだーぶー
なー

・げだつ の こうりん きわもなし
  こうそく かむる ものはみな
  うむ をはなると のべたもう
  びょうどうかく に きみょーせよ

 なーもーあーみーだーぶー
 なーもーあーみーだーぶー
 なーもーあーみーだーぶー
 なーもーあーみーだーぶー
 なー

・こううんむーげー にょこく
  いっさいの うげに さわりなし
  こうたく かむらぬ ものぞなき
  なんじぎ を きみょう せよ

なーもーあーみーだーぶー
なーもーあーみーだーぶー
なーもーあーみーだーぶー
・なーもーあーみーだーぶー
  なーもーあーみーだーぶー
 なーもーあーみーだーぶー
 なーもーあーみーだーぶー
なーもーあーみーだーぶー
なーもーあーみーだーぶー
なーもーあーみーだーぶー
なー

・しょうじょう こうみょう ならびなし
  ぐしこう の ゆえなれば
  いツさい の ごツけも のぞこりぬ
  ひツきょうえ を きみょーせよ

なーもーあーみーだーぶー
なーもーあーみーだーぶー
なーもーあーみーだーぶー
なーもーあーみーだーぶー
なー

・ぶツこうせうえうさいだいいち
  こうえんのうぶツ と なづけたり
  だいおうぐう を きみょーせよ

超世の悲願(ちょうせのひがん)
ききしより われらは
生死の凡夫(しょうじのぼんぶ)かは
有漏の穢身(うろのえしん)はかわらねど こころは浄土(じょうど)にあそぶなり

善知識ぜんぢしき
にあうことも
おしうることもまたかたし
よくきくこともかたければ
信ずることもなおかたし
      (浄土和讃)

若不生者にゃくふしょうじゃ
の誓いゆえ
信楽しんぎょう
まことにときいたり
一念慶喜いちねんきょうき
する人は
往生おうじょう
必ず
定さだまりぬ
(親鸞聖人)

▲真心しんしん
徹到てっとうするひとは
*金剛こんごう
心しんなりければ
*三品さんぼんの
懺さん
悔げするひとと
ひとしと
宗しゅう
師しはのたまへり

若不生者(にゃくふしょうじゃ)の
ちかいゆえ
「五濁(ごじょく)の
時機(じき)いたりては
 道俗(どうぞく)ともにあらそいて
 念仏信ずるひとをみて
 疑謗破滅(ぎほうはめつ)さかりなり」

▲利他りたの
信しん
楽ぎょううるひとは
*願がんに
相応そうおうするゆゑに
*教きょうと
仏ぶつ語ごにしたがへば
*外げの
雑縁ぞうえんさらになし

(鐘一打)

・がん   にー しー くー   どく
 びょう どう せー イーツ さい
 どう   ほつ ぼう だい   しん
 おうじょう あん●らツ●こー●
往生安楽国              おうじょうあんらっこく*「往(おう)」に合わせて鐘1回。*「安(あん)に合わせて鐘1回。
*「国(こく)」に合わせて1回。

合計3回。

両手を合わせて「ナマンダブツ」と3回言い、その次に両手を合わせたまま、礼をします。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

しょうにんいちりゅうのしょう  

蓮如上人(れんにょ しょうにん)  

を読ませて頂きます。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

聖人一流(しょうにんいちしゅう)の
御勧化(ごかんけ)のおもむきは・
信心(しんじん)をもて
本(ほん)とせられ候(そうろう)、
そのゆえは・もろもろの
雑行(ぞうぎょう)をなげすてて・
一心(いっしん)弥陀(みだ)に
帰命(きみょう)すれば、
不可思議(ふかしぎ)の
願力(がんりき)として・
仏(ぶつ)のかたより
往生(おうじょう)は
治定(じじょう)せしめたもう、
そのくらいを
一念発起入正定之聚
(いちねんほっき 
にゅうしょうじょう しじゅ)とも
釈(しゃく)し、
そのうえの称名念仏
(しょうみょうねんぶつ)は・
如来(にょらい)わが
往生(おうじょう)を
定(さだ)めたまいし、
御恩報尽(ごおんほうじん)の
念仏(ねんぶつ)と・
こころうべきなり、

あなかしこ あなかしこ

(鐘三打)

おふみを詠ませて頂きます。

白骨の御文章
それ、人間の浮生(ふしょう)なる相(そう)をつらつら観(かん)ずるに、おほよそはかなきものはこの世の始中終(しちゅうじゅう)、幻(まぼろし)のごとくなる一期(いちご)なり。されば、いまだ万歳(まんざい)の人身(にんじん)を受けたりといふことを聞かず。一生過ぎやすし。今に至りて誰(たれ)か百年の形体(ぎょうたい)を保つべきや。我や先、人や先、今日とも知らず、明日(あす)とも知らず。遅れ先だつ人は本(もと)の雫(しずく)末(すえ)の露よりも繁(しげ)しといへり。されば、朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて夕(ゆうべ)には白骨(はっこつ)となれる身なり。すでに無常の風来(きた)りぬれば、すなはち二つのまなこたちまちに閉ぢ、一つの息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて桃李(とうり)のよそほひを失ひぬるときは、六親眷属(ろくしんけんぞく)集まりて嘆き悲しめども、さらにその甲斐(かい)あるべからず。さてしもあるべきことならねばとて、野外に送りて夜半(よわ)の煙(けぶり)となしはてぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。あはれといふもなかなかおろかなり。されば、人間のはかなきことは老少不定(ろうしょうふじょう)のさかひなれば、誰(たれ)の人も早く後生(ごしょう)の一大事を心にかけて、阿弥陀仏(あみだぶつ)を深く頼みまゐらせて、念仏申すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。



 私達は必ず他の生命を頂いてしか生きられません。菜食主義にしても植物という生命を頂いています。人工的に作られたものだけを食べていると、それこそ身体に変調をきたすのは最近では常識として皆さんもご存じの通りです。だからお釈迦様当時にも植物だけは食べてもよいことにして不殺生戒からはずしています。病も上手につきあい、健康を取り戻すようにしています。結果として病原菌を殺すことになってもそれは自然の摂理です。

 こう考えると生き物を殺すなと云うのは無理なことだと判ります。こう聞くと凡夫は「どうせ駄目なら殺したって云い」と考える不届き者のようです。決してそうではありません。食事を目の前にし、命を頂くときに、「当然だ」と思うのではなく、「私の命を支えて頂くために尊い命を頂きます」と云う心が持てるかどうかで大きな違いになります。感謝の心で頂くことは、その命への供養です。供養されない命は怨念を残すのでしょうか。

歩けば歩くほど苦しいように、生きれば生きるほど、苦しみも多くやってきます。目的なしに生きていたら、苦しむために生きていることになってしまうでしょう。意味も目的もなく、最後死ぬために生きるのが人生ならば、なぜ人命は地球よりも重いと言われるのでしょうか。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 それ、人間の浮生ふしょうなる相すがたをつらつら観ずるに、凡おおよそはかなきものは、この世の始中終しちゅうじゅう、幻の如くなる一期なり。
 されば未だ万歳まんざいの人身じんしんを受けたりという事を聞かず。一生過ぎ易し。今に至りて、誰か百年の形体を保つべきや。我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、おくれ先だつ人は、本の雫もとのしずく・末の露すえのつゆよりも繁しといえり。
 されば、朝あしたには紅顔こうがんありて、夕ゆうべには白骨はっこつとなれる身なり。既に無常の風来りぬれば、すなわち二ふたつの眼たちまちに閉じ、一の息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて桃李の装を失いぬるときは、六親・眷属ろくしん・けんぞく集りて歎き悲しめども、更にその甲斐あるべからず。
 さてしもあるべき事ならねばとて、野外に送りて夜半の煙と為し果てぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。あわれというも中々おろかなり。されば、人間のはかなき事は老少不定のさかいなれば、誰の人も、はやく後生ごしょうの一大事を心にかけて、阿弥陀仏あみだぶつを深くたのみまいらせて、念仏申すべきものなり。



浄土真宗の門信徒ならば『法名』をいただいているのが好ましいと言える。

 『法名(ブッデストネーム)』を名のり、仏教者としての自覚のもと『生きる 』ということを見つめ考えていくのである。

法名をさずかる。お釈迦様の弟子になるということは、『生きる』ということに『真剣』になることである。人間としての一途な生き方をしてくださいということである。この『一途な生き方』があればこそ、人は様々なことを、考え、問い、聞き、気づいていけると言える。

 僧侶として法衣を着て法務(読経や本堂の掃除や法要の執行)に携わるものも、畑を耕し田を育てる人も、漁をして生計をたてている人も、会社という組織に入り仕事をしている人も、専業主婦も学生も、定年を迎え過ごしている人も、役人も政治家も、一人一人がその自分の場所に居ながら、いや居ながらと云うより、その自分の場所にしっかりと足をつけて『仏法』を聞き『一途に生きる』。

 これが浄土真宗の『法名』をいただくという意味である。

 ここに、浄土真宗が『在家仏教』……僧侶として山やお寺に籠るのではなく、一般の生活をしながら社会の中で生き、その中で、みな共に『仏法』を聞き、『生きる』と云うことと向き合っていく……と呼ばれるゆえんがある。


『一生懸命』は『考える』を産みます。

『考える』は『問い』を産みます。

『問い』は『聞く』を産みます。

『聞く』は『気づき』を産みます。

●『見る』‐まず物事をみる。物事に出くわす。いろいろな状況になる。



●『視る』‐次にその物事、状況を注意して、しっかりと正しくみる(把握する) ↓

●『観る』‐把握した物事をじっくりと観察(考える、思考する、思慮する)



●『診る』‐考えて得た答えが本当に今の事態に合っているか、ベストの選択かを診断する。



●『看る』‐考えて行動したり言ったりした事柄に責任を持つ。看護(良い悪いも経過をみて、正しければ良し、間違っていれば反省する)



●『見る』‐そしてまたさまざまな事柄に出会い、いろいろな状況になる。

そして、気づけば、一生懸命生きざるをえなくなります。

そして一生懸命に生きれば、再び考えざるをえなくなります。

自分だけは大丈夫だというように、今の状態が永遠に続くかのように錯覚してしまいます。最近は、核家族化が進み、家庭や近所付き合いなどにおいて色々な世代との交流が少なくなっています。老・病・死が見えなくなっているのです。
死は誰にでも訪れ、百人いれば百人が死に、

誰にも逃れることが出来ない、人はそれを理解していてもやはり別れと言うものは切ないものであります。

誰にも明日があるとは約束されていない、しかし、誰もが明日がある前提で生活しています

 
本日も尊いご縁を頂きました事を心から厚く深くお悔やみ申し上げます。

そうした中、
 現代社会に生きる私たちは、忙しい毎日に追われ、目先のことに執らわれて、人生において大切なことを見失っています。
親から子へ、子から孫へと伝えられていく躾けや知恵。礼儀や行儀。それをきちんと受け継ぐ事こそが本当の意味のように思えてならない。
「忙しい、忙しい」と言って、欲望のために走りまわっているのが、私たちの姿ではないでしょうか。「忙しい」の「忙」は、心(りっしんべん)に亡と書きます。こころ(いのち)を見失っている、忘れてしまっている姿が、「忙しい、忙しい」と走り回っている私たちの姿なのです。

ぜひ、一度、立ち止まり、限りのあるいのちを見つめなおしていただければと思います。そして、いのちの尊さ、はかなさを感じていただければと思います。そして、自分自身が限りのあるいのちを生かされていたと気づかされる事により、いのちを精一杯生きていく事ができるのではないでしょうか。
お腹の中で愛されていて。産まれて来ているその事実が、産みの親に愛されていた証明だと思います。


 芸の世界では、自分を叱咤激励し導き育ててくれる人を、オヤジと呼んだり、お母さんと呼んだりする。

職人の世界でも、技を伝え育ててくれる人を親父さんと呼ぶ。

一般の世界でも、尊敬し教えをこう人のことを父親や母親のように呼び、思うことは珍しくないことである。

 『育てて』『育てられ』て『親』なのである。

 『手をさしのべ導く』ことが『親』なのである。

そしてその中には『愛』は必ず潜んでいる。

『愛(あい)』という漢字の成り立ちをご存知だろうか?

『愛』とは、

『夊(すい)』…足がもつれて立つことが出来ない。(という意味の象形文字)

『心』に『冖(べき)』フタをして落ち込み、闇から抜け出せない。(という意味の象形文字)

そんな人に『爪(つめかんむり)』手をさしのべる(という意味の象形文字)

というものなのです。

ならば、なんと自分のまわりにたくさんいの『親』のいることでしょう。

なんとたくさんの『愛』に囲まれていることでしょう。

それは現実に生きてる人に限ったことではないはずです。

亡くなった人からでも、私たちは導き育てられるのだから。

 私たちは、たくさんの親に育てられて生きています。と同時に私たち自身も、この親になっていかねばなりません。

人を導き育てる親に…

そして、そこに『愛』を持って…。


亡くなられた方は、明治・大正・昭和、そして平成と生きてこられ、戦前・戦後の厳しい時代を生き抜いてこられたわけで、さぞ大変だったこととお察しします。もっとも、しかし、人はいつか死を迎えるわけであります。それが何時なのかは、わかりません。今、日本の平均寿命は、世界一だそうですね(あくまでも、統計上)。 先日、敬老の日(9月の第三月曜日)がありましたが、百歳以上が二万人を超えたそうです(ちょっとびっり)。

私たちは、健康で自分のことが出来るなら、何歳まででも、生きたいと望んでいます。しかし現実には、そういうわけにはいきませんね。誰もが一年一年、歳を取って老いていきます。そして、いつか死を迎えるわけであります。それが、五十歳なのか八十歳なのか百歳なのかわかりません。わかりませんが、何時かかならず死は訪れます。だから、わたしたちは今日一日を一生懸命生きられれば、それでいいのです。

わたしは、この百歳で亡くなられた方に「ご苦労さま」(南無阿弥陀仏)と言いたい。そして「いのち」は自分で自由にできるものではなく、与えられているものです。だから、「ありがとう」(南無阿弥陀仏)と言える、毎日を送りたいです。



親鸞聖人が生きた約90年の生涯の中で、一度も新しい宗派を起こそうと考えられたことはなく、 今で言えば小学3、4年生の年齢にお坊さんになる決心をされているということになりますが、親鸞聖人のご両親はそれぞれ4歳の時に父親、8歳の時に母親が亡くなっています。そこに何か原因やきっかけがあるかもしれません
人間的に魅力を感じるところです。

 私たちの生命は、突然この世に出現したものではなく、私につながるまでに気の遠くなるような生命の営みが続けられてきたことに気づきます。その中で自分がどのように生くべきかを自分自身に問い、 自己を見つめなおし、自己を取り戻す良きご縁でもあります。亡き先人たちは、阿弥陀さまにお任せするという南無阿弥陀仏の信心をいただいて、私たちをこの世に残して先に浄土へ行かれました。私たちは、 日常年をとることも忘れ、煩悩いっぱいの中であくせくと生き、自分自身が死に向かっているという現実から目をそらして生きていますが、ご法事は、あらためて現実というものに目を向けて、自分自身を取り戻す人間回復の良いご縁であります。 せめてこの日一日くらいは、自己について問い、
国内の仏教各宗派の中でもダントツで信徒数が多いのがこの浄土宗(特に浄土真宗系)であります。 
どんな生まれ方をしても生まれ出てきたことに良い悪いの差別はないのだよ、自分を他人と比較するのではなく、自分として生きていくことが大事なんです。この世の中にはいろんなものが一緒に生きている、しかし、あなたという存在はあなた一人しかいないんだ。あなたがいなければこの世の中は成り立たないのです。それくらいあなたという存在はとても大事な存在なのですよ、と。 

こんなふうに、すべてを生み出し、その一つ一つの命に生まれてきた意味を教える「法」 


さらに昭和、平成には古くからの仏教から派生した新興宗教と呼ばれる教団も生まれ、仏教は2500年の時を経て、まさに日本において開花したのだと言えるにかもしれません。

一部に正道から外れてしっまたようなものもありますが、多くはまじめに人々を救おうと日々活動しております。しかし、その内容はそれぞれに異なっております。 
何故、お釈迦さまお1人から始まった仏教により 

今より約2500年前、インドにおいてお釈迦さまに始まった仏教は、中央アジア、中国、朝鮮を経て、6世紀初頭に日本に伝えられました。飛鳥時代に法相宗や律宗、平安時代に天台宗や真言宗、鎌倉時代に日蓮宗・浄土宗・浄土真宗・曹洞宗・臨済宗などに発展し現代に至っております。
それはそれぞれの教団が、何を人々の幸せと考えているのか。そしてその幸せへと導く手段はいかなる方法を取るのか。 この違いによって様々な教団が現在存在しているのです。

ですから、現代に生きる方々は、ご自分の志向や性格にあった宗派を選び幸せを実現していけばよいのです。

どうしようもない自分の愚かさや欲望や煩悩。このまま、自分は自分にうそをつきながら、一生を過ごし死んでいくのか。この苦しみをどうにかできないのか。と言うのが、テーマのようです。

みなさんはどうでしょうか。ご自分の欲をすべてコントロールできるでしょうか?  
おそらく難しいと思います。 

お仏壇やお墓を家族みんなで協力してきれいにし、心のこもったおもてなしをする供養の心が大切であります。

ご先祖について、あるいは生命の尊さについて考えてみたいと思います。
ご先祖とは、生命を受け継ぎしてくれた多くの人たちです。

つまり、私たち一人一人の生命は、父母の生命が2つ、祖父母の生命が4つ、

無償の愛で慕い続けて尽くして頂き心を養い、心を正す生きることの大切さを本当の意味で教えて頂き代わりのない最愛の祖父母との充実した時間を共に過ごせた月日を
心からの真心と包み込むような優しい包容力と労りと心からの全てに有難うの言葉と
一生涯、心から厚く深く感謝と御恩と恩恵を表しており私も含めて
ご生前から貴方の孫でお会い出来たこと
私が産まれた時から最愛の両親と共に手を取り心を養い育み心を正し育てて頂き大変にお世話になり今日、愛娘も孫も生きられる生かされていることに心から哀悼の意を申し上げます。
唯一無二の一番に大切な大きな存在であり

私の心の拠り所や心を養い育てて頂いた
きってもきれない御縁があり
私も貴方が私の誇りであり
この世でもかけがえのない最愛の祖父母であります。
一生涯、私も貴方の孫であり
最愛の祖父母と孫との関係は永久に変わりません。
一生涯、お二人も最愛の両親と照りし合わせて心から愛し続けております。
お二人がこの世で過ごした全ての生き様も私に伝えた生い立ちや優しさや無償の愛も
一生涯、忘れた日は一日も御座いません。
お二人の事を一生涯、心から深く愛しておりますので

どうか、ご心配を為さらないで
ご安心を致して、いつでも浄土より
最愛の愛娘や孫に近く迄、お越し頂いて

安らかに、どうかお眠り頂きたく、

心からお二人のご冥福をお悔やみ申し上げます。


 受け継ぎ受け継がれて私たちは、この世に人間として誕生したのであります。
そして、誰一人として生命を受け継ぎしない人がいなかったから私たちは人間として生を受けたのであります。

このように、遡った多くの人たちをご先祖と申し、そして、私たちのこの生命が我が子、我が孫に受け継がれていく人たちを子孫と申します。

 私たちが今生きていると言うことは、ご先祖の代表者として生きているのであります。

尊い生命に目覚め、ご先祖や両親に感謝の心を抱くのであります。

 いかに生きるか。それは自分で決めなければなりません

皆が一人一人、人間は完璧な人はいないけれども


何故、色んな人格の人が多用に地球上に産まれているかと申しますと

人も自然の一部に地球上に産まれた生きている尊い命であります

自然の花や草木や景色の様に地球上に住む全ての尊い命が宿る生き物は皆が

比べることなく小さい花も大きな花も

実がなるきも葉っぱが紅葉と生い茂るきも

四季に準えて、食物連鎖の基に共存して

バランスの基で生き生かされていております

でも人は他を比べたり、妬んだり比較したり

人は皆が心があり一瞬一瞬の出来事や天災や人災を引き起こしたり一時の起伏や感情の迷いやストレスや対立や縺れ合い
理性では抑止出来ない欲望や物欲や自分勝手のワガママや弱い心が複雑に絡み合いもつれ合いながら月日を積み重なって

蓄積したのが、いずれは大きな感情の爆発となって理性では抑止出来なくなり一方的に、おしはかり常識などの過ちに

毎日の平穏な暮らしに満足が得られずに
一人一人の行いが暴動や事件や破壊に繋がっている事を今日も

皆が一人一人が心底に真摯に冷静に受け止め反省を致して行くことです

二度とは産まれてこれない
尊い命で一度きりの人生を謳歌して生きている事をおし薦めて

地球も私達と同じ一つしかない尊い命で時代を越えて月日を重ねて生きております

地球環境も温暖化も動物が民家を狙うのも
氷河か溶けたり

全ては生きている一人一人が

この一つしかない地球を

大切に資源も私達と自然と同じく限りが有ることを

全ての生き物は人も皆が寿命と言う限りの基に一度きりの人生を生かされ生きている事を肝に命じて一時も忘れずに心底に一人一人が深く刻みながら

地球を司る全ての尊い命が

皆が共存して毎日、生きている事を

大切に守り続けて生きることの大切さを

深く心に一人一人が真摯に考慮し

人も仲良く自然の様に比べることなく共存して行くことの大切さを皆が一人一人が明日をも担う平和や幸福や健康や人生の生き方に心を養い正しい心で真摯に反映し一番に教え世界中の全ての尊い命あるものに伝えて生きたい「行きたい」と思います

人は心が感情が感性や価値観や考え方の

複雑な心があるので

自然と同じ命があるのに

比べてしまったり心を養い正す事や日頃の感謝と恩恵を当たり前な平穏な暮らしが出来ていて一人で、この世に生まれてきたと当たり前に自分の尊い命があり

この世に当たり前に生まれてきたと

大抵の人は、思い違いをしてても気付かないか、もしくは気付いていても気付かないふりをするか、

辛いからと現実逃避し

都合の良い時だけ信じて信じ過ぎてしまい

のめり込んで 勝手気ままに理想に近づける為に安易な方法で世界を侵食したり

人の弱い心底に入り込んだり

被害妄想を極端な判断に追いやり強いられたり

等身大で装ってみたりと

全ては大きく勘違いしている事に


大切な地球の全ての命を守る

限りある命を大切にする事を

地球を汚すことを地球を破壊することを

どれだけの尊い命を失えば気付く事だろうかと


今日の私達、一人一人が

地球上に暮らす全ての生き物や人の尊い命を無駄にしない


尊い命と向き合い大切な尊い命を

心底に心で冷静な養い、心底に心で冷静な正し

心底に心で冷静な考慮し

一度きりの人生を実りある尊い命と繋がり
一生涯を共存して生きて行くことを

此処にも強く心底から皆さん一人一人へ向けて断言を致します

人の毎日の選択肢の判断した行いの全てに

大切な地球や人の尊い命を犠牲にしていたことを

一人として生きることを奪う権利は誰にも有りません事を

地球上に成り立つ皆がどんな人も全て自然と同じく大切な尊い命です。

毎日、感謝を伝えて有難うと言いましょう。

最愛の両親から
生まれてきたこと、平穏に暮らせることの有難さ

最愛の家族や最愛の祖父母などの存在を

地球上には色んな人が生きている事を

地球上には沢山の自然の花や動物が生きている事を

地球上に限りある寿命がある尊い命を授かりこの世に産まれてきたことを

世代も月日も時代も越えて代々と

先祖から祖父母から孫にへと

過去から現代や未来へと

受け継いで受け継がれてきたことを

皆が一人が一人が心底から本当に、けして
どんな時も忘れないで

真摯に受け止めて冷静に選択して心を養い心を正して平和や健康や幸福に生きて生かされて下さい。




故人の死とは人生の総決算、故人の積み重ねてきた人生のそのものを指しており

生きてゆくことは全ての困難にどの様に対応するかを謝らない選択肢に人生の正しい道を選んで

故人の人生の積み重ねてきたことを敬い生きた証を認め受け止めること。

故人なりの生き様であります。

自ら、生き方を考えること

自分の価値観で考えること

世の中を念頭にして判断しないこと

日頃の平穏な暮らしに心底からの感謝と有難うを伝え続けてゆき、両親や祖父母を敬うことの大切さを痛感しておる今日この頃であります

沢山のご恩や恩恵と感謝や敬愛で心底に脈々と繋がっているのであります。

誰もが皆が一瞬一種の偶然に生きるのも死ぬのも苦しみがあって

生きることは死に向かって歩んでいるのが
人生であります

土台を正しく積み重ねて上に人生を築き上げて全てを正しく冷静な眼差しで見ること


通夜とは携わった人から故人の生い立ちを
集まった皆さんで辿り語る日でもあります。

すなわち、あらゆるものが運動している。

静止したものは何もない。

私達は、前進するか後進するかです。

より良くより幸福になるか、あるいは良くない方向へ成長していって不幸を蓄積するかです。ですから、

いかに幸福の方向へと動いていくか、が仏教徒としての私達の主要な関心事なのです。

ここに、悲しみを乗り越え幸せになるための心得があります

これら人生の心得は、お金持ちにも貧乏人にも、身分の高い人にも低い人にも、教育がある人にもない人にも、すべての人種、男にも女にも、成人だけではなく子供にも、

過去、現在、未来と時代を超えて同一のものです。

まさしく其々に人は世の中を見る目が生じる―眼(まなこ)ですね。

世の中をよく認識・判断する善悪の心を養い正す心を考慮する心が生きる上で

全ての人に必至な事であります。

苦諦(くたい)
 人間の歴史が始まって以来、暑さ寒さ・天災地変・飢饉・疫病・貧困・不仲・不安・老い・死等に対する苦しみがあり、人生は苦「生(しょう)・老・病・死・愛別離苦(あいべつりく)・怨憎会苦(おんぞうえく)・求不得苦(ぐふとっく)・五蘊盛苦(ごうんじょうく)」であることを諦(さと)る。集諦(しったい)
 集というのは「集起(しゅうき)」の略で「原因」という意味です。人生苦にも必ず原因があり、その原因を探求し、反省しそれをはっきり諦(さと)ること。法華経・譬諭品第三に「諸苦(しょく)の所因(しょいん)は貪欲(とんよく)これ本なり」と説かれ、渇愛(かつあい)といって喉の渇いた者が激しく水を求めるように、凡夫が諸々の欲望の満足を求めてやまない心の状態、無制限にものごとを貪り求めること。本能そのものは善悪以前の自然のものであると釈尊は説かれているのですが、欲望を必要以上に増大させ、人の迷惑などおかまいなく貪りを増大させる思いや行為が、不幸を呼び起こすのだと教えられています。この原因を悟る方法として十二因縁の法門が説かれている。滅諦(めったい)
 前記の集諦によって、苦の原因は人間の心の持ち方にあるのだということが解りました。この事から当然「心の持ち方を変えることによって、あらゆる苦悩は必ず消滅する。」ということになる教えです。渇愛を余すことなく捨て去り、解脱し執着を断ち切ることができるのか、ただ捨て去ろう、解脱しよう、執着を断ち切ろうとすると、かえってそのものへの心の引っ掛かりから苦しみを増大させてしまうことも充分ありうる事

解決の8つの道 

1.    正見  しょうけん    正しい知見 世の中のありさまを正しく見る

2.    正思惟 しょうしゆい   正しい考え 論理的思考

3.    正語  しょうご     正しい言葉

4.    正業  しょうごう    正しい行為

5.    正命  しょうみょう   正しい生活

6.    正精進 しょうしょうじん 正しい努力

7.    正念  しょうねん    正しい思念 頭にいつもおいておく、忘れずにおく

8.    正定  しょうじょう   正しい瞑想



人生は長い道のりです。迷いや不安、恐れを感じることもあります。しかし、真理を生活にいかしていけば、もう迷うことはありません。これから学ぶ『八正道』は、人生に安心を与え、輝いて生きていくための道しるべなのです。それでは、その内容を一つ一つ学んでいきましょう。

http://www.cocolotus.com/media/1/20080908-buddhismnavi-06-a.jpg


正見
自分中心の見方や偏った見方をせず、物事を正しく見ること。

正思
むさぼる心や怒りの心、我を押し通す心を捨て、すべてを正しく、大きな心で考えること。

正語
うそ、二枚舌、悪口、でまかせな言葉のない正しいものの言い方をすること。

正行
意味なく動植物の生命を絶つ、盗みを働く、道ならぬ男女の過ちのない正しい行ないをすること。

正命
人のため、社会のための正しい仕事で得た収入で、衣食住の生活必需品を正しく求めること。

正精進
「精進」の「精」は「まじり気のないピュアなこと」という意味で、自分がめざす正しい目的や目標に対して、一途に努力しつづけること。

正念
常に正しい心をもち、正しい方向に心を向けつづけること。

正定
心をいつも正しくおいて、周囲の変化によってグラグラ動かされないようにすること。


八正道
(はっしょうどう) 道諦をさらに詳しく説いた八つの正しい道(方法)

この方法を修行を積む事により、煩悩(ぼんのう)をなくし、結果として苦を克服する事が出来ます。

正見(しょうけん) 我の意識を離れ、正しく物事を見る事。
 正思惟(しょうしゆい) 正しく物事の道理を考える事。
 正語(しょうご) 真実のある正しい言葉を語る事。
 正業(しょうごう) 正しい行為。間違った行いをしない。
努力が無ければすぐ無明から生じる煩悩の欲に負けてお酒を飲み、性的な事に溺れ、欲にだらしない人間になります。そうならないためには努力が必要です。

 正命(せいみょう) 正法に従って清浄な生活をする事。
 正精進(せいしょうじん) 正しく目的に向かって努力する事。
 正念(しょうねん) 邪念を離れて正しい道を思念する事。
 正定(しょうじょう) 正しく精神を集中して安定させる事。

「ナムアミダブツ、ナムアミダブツ……ソノママスクウ、カナラズスクウ」
「ナムアミダブツ、ナムアミダブツ……オマエヲスクウ、【故人の名前を入れる】ヲスクウ」


























謹賀新年2016

皆様、明けましてお目出度う御座います。

謹んでお慶びを申し上げます。

皆様の御多幸と御健康を心から

厚く深くお祈り申し上げます。

本年も何卒、宜しく、お願い致します。


阿波 和子

















今日はChristmasイブ✨⛄✨

毎年、家族団欒で迎えます。

皆さんも暖かくしてお過ごし下さい‼

毎年、見に行ってる東急ハンズを

写メにしました。
































曲名-【色付く楓】

【作詞▪作曲▪曲名-阿波 和子】

其々に色付く楓

二人指折り重ねた 時を同じくして

お祝いの日取りも 誰よりも嬉しくて

あなたの顔を見れば他にはない温もりの数

愛しい君を 優しく 見つめるその眼差し

あの時の決断力 試される判断力

絶えず忍ばせた 暖かな想いを

貴方の胸に 届けて 愛を


其々の胸に色付く楓

季節は過ぎても 心は暖かい

気持ちは変わらずに どんな時も傍にいて

試される定め 終わりのない時を

過ぎて行く 意外と時も待ったなし

大切さ君との時間を 二人だけの灯火

見事に楓が綺麗に 鮮やかな衣替え

貴方の傍にいて 私は照らす陽を

心は陽炎に 影を二人重ね合わせ

其々に色付く楓を

其々の心に灯す楓

色鮮やかに燃ゆる楓

二人の心にも色付く楓を

バージンロ-ド歩く
エンゲ-ジリング誓い合う二人


-------------------


曲名-【貴方だけ】

【作詞▪作曲▪曲名-阿波 和子】

あなたがくれた 優しさに

胸に心の隙間も 埋めてくれた

暖かな日差し 陽気な日を

太陽の笑顔で 慰めてくれた

声をあげる 勇気もなくて

初々しい 春風纏って 

味方にするの

あなたの愛に 気付き初めて

他にはない 貴方だけの

恋愛って こんなに苦しいの

さみしがり屋の私 

包み込んでくれた

貴方だけが












【曲名-思う君に】

【作詞▪作曲▪曲名-阿波 和子】

伝えられた思い 残したままで

伝えられてない 君を思う日々

日常に大切な言葉 愛してる人へ

傍にいて欲しくて 手を繋いでみたよ

躊躇う恥ずかしさ もどかしさも

初々しい君を そのままの君を


伝えられた 思いを届け

君の胸に届け 

明日には 一歩前進 貫け どこまでも

今日の日に出来ること 一つは必ずある
 
誰にでも守りたい 大切な人に捧ぐ



思いを届け 君にだけは

思いの全てを 待ち詫びた この記念日

二人だけの愛記念日


僕から放たれた 言葉が伝えられて 

思いの丈を 温めてた心から君に届け


伝えられた 思いを振り絞り

勇気なくさずに 全てを包み込む

君だけが必要さと 愛してるを込めて



伝わる愛 届け君に 

変わらない 君だけの思いは

伝えられて 本当に善かったと

心から思う君に

そう言えた 自分に自信なんてないと

悲観せずに 立ち向かえ 君に捧ぐ愛