認識技術の価値を語るチャレンジをしています。
本日夜は今年最後の令和哲学カフェを視聴しました。
第4四半期は、ユバルノアハラさん著作の「Nexus」を取り上げてきましたが、今回は令和哲学者ノジェスさんによるNexusの総まとめでした。
Nexusでは、「情報ネットワーク」がキーワードになっていますが、この情報ネットワークの利便性と脆弱性をノジェスさんは語ってくれました。
これまでの人類歴史は、情報ネットワークによって拡大していったと言っても過言ではありません。この情報ネットワークが人間の文化文明を作ってきたといえます。
そしてこの情報ネットワークの基礎となっているものが、現在人間が使っている言語になります。
この言語によって人間はお互いにコミニケーションを取るようになり、強大な情報ネットワークを構築してきたといえます。
では情報ネットワークの利便性と脆弱性とは何なのか?
まず利便性ですが、人間が言語を開発して、コミュニケーションを取るようになってから、情報交換ができるようになり、たくさんの知識や知恵を蓄積できるようになりました。これが情報ネットワークを構築し、そのネットワークを拡大し、強固なものにしてきました。
この情報ネットワークですが、個人の力、組織の力を強化していき、「力」をつけることには成功しました。
しかしながら、真理、愛、尊厳を育てることができたかと言うと、現在までの人間の情報ネットワークはそれを育てる事はできていないといえます。
それは、現代社会において、戦争が終わらず、地球環境破壊が起こり、情報過多による脳疲労の問題、貧富の格差、特に日本では少子高齢化、これらの多様な問題により、文化文明の未来を創造することができなくなっているといえます。
ここにAIが登場し、人間の情報ネットワークの中に、AIが入り込み、人間の代わりにAIが情報ネットワークの中心になる可能性が高いです。
そうなってくると、情報ネットワークの主役が人間からAIに移り変わり、情報ネットワークがさらに加速度的に強大化していきます。
そうなれば、人間はAIの情報ネットワークに機械的条件反射に従うしかなくなってきます。
人間がこの世界の主役の座をAIに明け渡すと言うことも言えますね。
では、人間はこのような状況を受け入れることができるでしょうか。
カフェの中でのディスカッションでは、最悪のNexusとは何なのか?理想のNexusとは何なのか?最悪のNexusから理想のNexusに変えていくには何が必要かについてディスカッションしました。
ディスカッションを通じて総じて感じた事は、まずこの体が自分人間だと言う定義を変える必要があると感じました。人間の再定義を行う必要があると言うことです。
そのためには、人間が一体どこから来てどこに行くのか?という問題意識が必要だと感じました。
そして、この人間が、一体どこから来るのか、宇宙論がわかったときに、人間が実は一元動きそのものであること理解することがまず重要であると感じました。
これまでの有無の概念、存在の概念などをオールゼロ化することが必要です。
その上でこの現実が成り立つ仕組みを理解するために、現在使用しているアナログ言語が限界であること、そして新しい言語を使う必要性を理解することが重要だと感じました。
新しい言語である151デジタル言語を日常生活でマスターたときに、人間がどこから来るのか、宇宙論を完全に理解するとともに、自分の人生を自分で設計ができる人生論を確立させることができると感じました。
こうなれば、人間は、目の前の現実に機械的条件反射をするのではなく、自らPUスクリーン感覚で、自ら情報を生産することができる、生産手段を持つことができる。
それも、AIには到達できない一元動きから、これまでにない全く新しい情報やアイディアを生み出すことができると感じました。
そんな個人完成した人間が量産され、80億人類がこれをできるようになったときに、人類の情報ネットワークの次元上昇、アップグレードが起きると感じました。
ユバルノアハラリ氏は、問題の本質をNexusで明らかにすることはできましたが、問題の解決方法を提示するには至っていないようです。
認識技術がAIによる人間の尊厳破壊の危機を救済する技術であると言うことを再認識しました。