職歴を振り返ります。

 

バブル絶頂期に大学入学したときには、

今年の卒業生は、ほぼ全員が希望する企業へ入社しました。

と言われましたが、1年留年後の卒業時にはバブルが弾けて

氷河期が始まっていました。

 

拾ってもらうように入社した会社は、

某電気メーカー系の商社、の中のソフトウェア制作部隊子会社。

担当した仕事は、工場を制御監視するソフトウェア制作。

昭和気質のブラックさが多々ある会社で、

将来の事も考えて34歳で退社しました。退職時年収420万。

 

とある資格取得に向けて勉強をしました。

当時は氷河期真っ只中で、資格ブームであり、

その資格も一気に難関資格となってしまい、2年で断念。

貯金も底をついたことから、転職活動。

しかし、満足できる条件求人など全くない。

やむなく、派遣会社に登録して紹介してもらうことに。

 

時給1600円の前職を多少生かせる仕事に就くも

リーマンショックの影響で派遣切りに会い、2年半で退職。

 

相変わらずの求人不足で、必至の活動も採用見送りが続き

1年近く経っても仕事が決まらない状況の中、

紹介したい仕事があります、と、登録するも仕事が決まらずそれっきりに

なっていた派遣会社からの電話。

 

神戸にあるサッカースタジアムのすぐ近くにある超巨大企業の関連会社への派遣。

自宅から通勤時間は1時間30分。

定時日の水曜以外は起床6時→朝6時半に出る→夜9時に帰宅→夜1時に寝る。

を繰り返す生活。年間休日、有休で140日以上あり、年収は460万。

未婚実家暮らしには、困ることない給料。

15年続いており、60歳になれば、辞めて近所でバイトでもしつつ母の介護をしょうと、

プランを描いていたところでした。

 

6月から休職中も、まだ派遣先には籍がおいてくれていますが、

明日派遣会社の営業と会って、9月で派遣先と契約終了しましょう、

とする話をする予定。

 

 

8/15に4回目のオニバイドの治療して10日目。

 

治療後の状況は大体が今まで通りで

3-5日目が倦怠感がひどく食欲が全くなし。

一口食べるのが精一杯。空腹でお腹が何回も鳴っていました。

6日目から徐々に回復。

8日目から通常運転できる感じ、と。

 

しかし、今までと明らかに状態が違う。

CT検査で判明した右下腹部周辺の腹膜播種拡大。

2か月前の治療開始後からピリピリとする痛みは不定期にあったが、

さほど気になるほどではなかったが、

昨日、今日は一日中痛みが気になる。

痛みの程度は4から5ぐらいなので大丈夫なのだが、

食後3回の痛み止め飲んでも治まらない。

何か食べたり飲んだりした後に、空腹でもないのに、

お腹がギュルギュルと鳴る。

これが何なのか調べても正答らしきものは出てこない。

 

今までは、治療とに専念して悪いことは考えない、

としていたが、治療開始2か月にして試合終了を想像する不安が一気に加速。

痛みさえなければ、まだマシなのだろうが。

明後日、緩和ケア外来の診察で効く薬を出してもらえるだろうか。

だとしても、腹膜播種という危機的状況には変わりはないのだが。

 

昨晩は、痛みで起きることもなく、しっかり眠れたが、今夜はどうだろうか。

以前、Vol.7 就寝恐怖 という投稿を書いたことがあったが、当時のような気持ちで眠りに就きます。

 

 

今日はオニバイド4回目の治療。

それと治療開始から初めてのCT検査。

治療の効果に期待しつつも多少の不安もあった。

 

血液検査の結果

気になる項目の数値の前回との比較
白血球:6900→5300
好中球:5360→3740
MRP:1.96→0.82
γ-Gpt:93→72
総蛋白:6.0→6.2
アルビミン:2.8→3.2

白血球、好中球は当然下がるもまだ余裕の正常値
MRP、γ-Gpt、総蛋白、アルビミンは前々回からともに良化傾向。
全体的に、ややいい数値になっているのだが。。。

CT検査の結果は、5/10(治療開始40日前)との比較で
右下腹部の腹膜播種の形が大きくなっているとのこと。
オニバイド治療まだ3回なのでもう少し継続して様子見するか?
他の薬に変更するか?
と、主治医は問うと同時に、効かないオニバイドを続けてしまうことで、
治療変更の機を逃してしまうかもしれない、との事で
今日はとりあえずオニバイド、次回からはゲムシタビンに変更となりました。

腹膜播種、調べれば厳しい情報しか出てこないのは既に知っている。
もう既に思っているよりかなりひっ迫しているのか?
先発投手が初回で打ち込まれて降板するような状況、控えでしっかり押さえ込んでくれるのか?

この不安はしばらくは取れない、この後に来るの副作用とのダブルパンチで
この1週間はかなり辛いものとなりそう。

 

帰宅すると、母は故郷佐賀の佐賀北が甲子園で試合しているのを応援している。

試合後に、報告をした。88歳にして全力サポートしてくれている母の気持ちを暗くしてしまうのが何より辛い。

 

しかし、目の前の現実から逃げず抗う、それしかできないやるしかない。