ーー短くはない話しだが話しておかねばならない話がある。奇妙だが話しておこう。
感情というものは不可解且つ厄介なものだ。なるべくそれを露わにしないように生きているうちに、そもそも元からそれがあったのか、或いは元からそれは無かったのではないか、考えれば考えるほどにわからなくなる。
わからなくなるとは言っても充分に合理的な思考をすれば答えは割合に簡単に導き出される。シンプルなインプットに対してシンプルな答えがアウトプットされる。電気反応や神経などの化学だか生物学的、或いは脳の化学だとかそういうことではなくても答えは簡単だ。
感情というのは、自分が勝手に創り出した幻に過ぎない。元から備わっているものでもなければ自然発生的に勝手に生み出されるものでもない。
これは僕の考えなので異論は聞かない。世間の人々の大多数は違う考えをするだろう。だが、僕の考えは正しい。自分が創り出したが故に感情というものは自分でコントロール可能な領域であり、特定のネガティヴな感情を発生させないようにもできるものだ。
僕の考えは正しい。何度でも言う。正しいのだ。だが、それが世間を生きる上で正しいのか?と問われると間違いであると答えざるを得ない。
かと言って、世間の人々の大多数が表している感情の殆どやその感情の表現ーーそれは言葉や文字にして現れるーーが真実その人の内面の現れかどうかなどわかったものじゃない。
では、一体ぜんたい何がわからなくなり不可解で厄介なのだろうか。
少し前置きが長くなった。君なら話しが進めば理解できるだろうことだからこれくらいにしておこう。
そう、あれはいつだったか?確か未曾有の大震災があった年の春頃だったか。君なら何月何日かも覚えているのだろう。
出会った場所は僕も覚えている。僕らは小さな場所で出会ったんだ。そこはモニターの中という小さな世界だった。少なくとも僕にとってはそういう場所だった。