他人との比較が上達の鍵~出来ない生徒を「自分なりに頑張った」という自己満足の勉強から脱却させる~ | 江東区の家庭教師&ライターのみみずく~半蔵門線・大江戸線沿線及びオンラインで指導中~

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「他人との比較ではなく、
過去の自分と比較しよう!」

こうした言説が、
教育や育児で最近流行っています。

子ども自身やその保護者、教師などが
子どもの成長を評価する手法として言われることです。

ある子どもの「できる・できない」について、
誰かと比較して判断するのではなく、
その子どもの過去の状態と比較して
少しでも上達していれば褒めよう、というやり方です。

確かに、自己肯定感が極端に低い生徒を教育する場合、
他人との比較それ自体が彼らを追い詰めるので不適です。

また、育児の場面においても、
保護者が自分の子どもと誰かをいつも比べていては、
その子どもは性格が歪んでしまうことでしょう。
保護者として子どもの健全な成長を望むならば、
他人との比較を育児に適用するのは良くありません。

しかし、一般的な教育に目を移すと、
ある生徒を他人と比較することは
有益な教育的効果をもたらす
と僕は考えます。

出来ない生徒には自己肯定感が必要だから、
そういう生徒を他人と比較してはいけない!!


昨今の日本の教育を見ていること、
こういう風潮が蔓延しているように感じます。

しかし、僕は、これと逆のことを考えます。

出来ない生徒こそ他人とガンガン比較し、
「自分が出来ない」とキッチリ認識させるべきだ!!


実際、僕の家庭教師指導では、
生徒を他の生徒と比較し、
それを言葉で伝えています。

「●●君は~ができるんだって?スゴイネ!
じゃあ、君も●●君みたいに~を頑張ってみたら?」


こういう軽いノリの比較もあれば、

「●●君は~ができているのに、
君はどうして~がいつまでもできないんだよ?
●●君は小学6年生で、君は中学1年生だよ。
中1が小6に負けて恥ずかしくないのかよ?」

このようにかなりキツイことを言う場合もあります。
生徒の年齢や性格に合わせて言葉を選んでいるのです。

このようなことをいつも言っている僕の指導では、
「自分なりに頑張った」を一切認めません!

「自分なりに頑張った」などという言葉は、
自己満足から生まれる醜い言い訳です。
そんな言い訳に僕は耳を貸さないということです。

「自分なり」という自己満足ではなく、
出来る人と較べたとき
その人にどれだけ追いついているか?

が最も大切な評価基準と僕は考えます。

「過去の自分よりできるようになった。良かった~」
そう言って満足してしまう生徒は、
そこで上達がストップしてしまいます。
100点満点の試験であれば、
60~70点くらいのところで頭打ちになります。

一方、
「自分は70点だったけど
友人の●●は90点だった。悔しい!」
こんな気持ちで勉強に取り組んでいる生徒は、
最初はパッとしなくても後々大きく飛躍していきます。

こうした事実を踏まえた上で、
出来ないうちは、他人との比較を通して、
自分の立ち位置を正確に把握することが大切だ

と僕は考えるわけです。

逆に、上位10%くらいになった生徒には、
他人との比較から脱却してほしいと思っています。

90点代を100点満点にしようと思うならば、
他人と比較してどうこうという姿勢ではいけません。

「徹底して穴を潰す」「細かいことまで理解する」等、
自分なりの強い拘りが無ければトップにはなれないのです。

このあたりの発想が、
一般的な教育論と僕の方針との違いになってきます。
僕のやり方が良いか悪いかは、お客様が判断することです。

日本の教育では、妙な横並び意識が強く、
出来ない生徒に「君は出来ない」と
伝えることがタブーのようになっています。

その結果として、
出来ない生徒は歪んだ自己肯定感を増長させ、
本当に何もかもが出来ない大人へと成長します。

一方、アメリカなどの教育では、
義務教育段階から学力不振による留年があり、
「自分は出来ない」と生徒に気付かせる仕組みが整っています。

こうした教育制度の違いが
日本と他国との国力の差となって表れているのでしょう。

日本の教育制度に合わせるのではなく、
それとは逆の教育を僕は行っています。