昨今、教育業界では、
「難しいことを分かりやすく!」
が流行っているように思います。
「教育業界では」というよりも、
社会全体が「分かりやすさ」に流れている気がします。
『サルでもわかる~』
『●●時間でわかる~』
『図解雑学~』
こんなタイトルの本が、
書店にも溢れ返っていますよね?
「分かりやすさ」自体を否定するつもりはありません。
機械のマニュアルや雑学に難解さは不要ですから。
一方で、日本全体が
こらえ性のない社会になっているような、
そんな危機感を抱くのは僕だけでしょうか?
まあ、今回の記事では
そこまでツッコむつもりはありませんので、
早速本題に入りたいと思います。
巷の塾や家庭教師の自己紹介欄には、
「分かりやすく指導します!!」
という文字が踊っています。
お客様(=生徒・保護者)のニーズが
「難しいことを分かりやすく教えてほしい」
である以上、それを踏まえるのは商売の鉄則ですね。
でも、僕は天邪鬼なので、
そうした風潮に抗ってみるわけです。
僕が生徒によく言う言葉↓
「僕が家庭教師だからって、
分かりやすく教えるわけじゃないよ!」
「わざわざ分かりにくく説明してるんだから、
もう少し自分の頭で考えてみな!」
「『分からない』って、
そりゃ僕の今の説明で分かったら天才だ!」
最早ただの嫌がらせになっていますね(笑)
一般に、次のような段階を踏むことで、
分かりやすい説明になっていくはずです。
1.身近な例でイメージを喚起する。
2.他の例も挙げながら、
その中に共通性を見出させる。
3.共通性を抽象的な表現で一般化する。
「分かりやすい」指導をしている教育者の方々は、
この一連の流れを大切になさっていることでしょう。
もちろん、そうした指導が大切であることは確かです。
「分かる!」という実感を得られれば、
生徒は自信をつけて勉強に取り組むわけですから。
一方、これとは異なった視点で僕は考えてみます。
難しいものを難しいまま受け入れるよう、
生徒を説得し、納得させることも大切なのでは?
「分かりやすいから頑張る!」ではなく、
「分かりにくいけれども、
その中で試行錯誤してみる!」
という習慣を生徒に身に付けさせたいんですよね。
そのため、僕の指導では、
先に述べた諸段階を逆に辿ることがあります。
1.抽象的な表現を提示する。
2.生徒自身に具体例を考えさせる。
3.それでもどうしても分からない場合、
僕が身近な例を挙げてみる。
あともう一つ、
説明を分かりにくくする工夫を挙げます(笑)
物事を原理原則から説明する。
原理原則というのは大抵難解で、
そこから丁寧に説明していくと
生徒は飽きたり混乱したりします。
でも、敢えてそこから説明してみます。
定期テストで点数を取らせたり、
高校入試で合格させたりするだけならば、
さっさと結論を教えて、
それをゴリゴリ暗記させた方が手っ取り早いです。
もちろん、そういう指導をする場合もありますよ。
でも、生徒にとって、
いわゆる「学校教育」の到達点が
大学入試であることを考えるならば、
結論丸暗記方式の勉強では心許ないです。
大学入試で必要なのは、
気合で暗記することに加えて、
物事を論理的(≒演繹的)に、
原理原則から考えられる思考力です。
その思考力が欠落していると、
進学できる大学のレベルはかなり下がってしまいます。
まあ、生徒が上位大学への進学を望まないなら、
無理に思考力を鍛える必要はないのでしょうが……
高校(中学)入試までしか生徒を教えない指導者には、
僕の言いたいことを理解できないかもしれません。
でも、そうした指導者の一部が
適当なことばかり生徒に吹き込んだため、
高校生になったその生徒が
どんどん落ちぶれていったという例は枚挙に暇がありません。
そんな生徒たちを大学受験レベルに導くのはかなり大変です。
だからこそ、
学習内容の少ない小中学生の間に
生徒には思考力を鍛える訓練をしてもらいたいのです。
その第一歩として、
難しいことに向き合う姿勢を身に付けてほしいですね。
更に理想的なのは、
「先生に説明してもらうと却って分からなくなります。
だから、自分で参考書を見ながら考えてみます!」
と生徒が言うようになること(笑)
難しいことに向き合うだけでなく、
自分で解決策を模索できるようになれば上出来です!