最高裁事務総局の闇と妥協した(?)森ゆうこ・前議員(小沢一郎氏)

(生き生き箕面通信1979)


 小沢一郎氏に対する無罪判決が出されてから2年余りが経ちます。

しかし、根幹の問題が放置されたまま、いつの間にか闇の中に葬り去られる雲行きです。根幹の問題とは、最高裁事務総局の「司法支配を通じてニッポン政治をコントロールする」という構造です。

 小沢氏をむりやり起訴することができたのは、最高裁(事務総局)が仕切る検察審査会によってでした。検察ではどうしても起訴に持ち込めなかった案件を、最高裁は検察審査会というウルトラC(古いネ!)を使って起訴することができたのでした。この検察審査会という手を使えば、しかもでっち上げで審査会を開いたことにすれば、誰でも「塀の中に落とす」(拘置所にしょっ引く)ことが可能です。

 小沢氏側近の森ゆうこ・参院議員(当時)は、検察の「国策捜査」を国会でも厳しく追及してきました。一市民の立場からは志岐武彦氏が、同じように綿密な調査をし、ついに最高裁事務総局による第五検察審査会の架空開催による「小沢起訴決定」をつかんだ。

 しかし、長引く裁判でまともな政治活動がいちじるしく制約されてきた小沢氏側は、裁判を終わらせるため、手打ちすることとし、石川知祐・衆院議員(当時)に対する検察のねつ造調書が明らかにされたのを契機に、「検察悪者論」で幕引きを図りました。

 志岐氏は、「あくまでも事実を明らかにする」という立場から、最高裁(事務総局)を追及する手を緩めなかった。これは森氏には「手打ち破り」になるため、志岐氏を告訴するという荒っぽいやり方でいわば口封じに転じた。

 最高裁がにらみをきかす司法の世界は、戦前は”泣く子も黙る司法省”というくらいの猛威をふるう存在でした。治安維持法などを活用し、しょっぴくことも意のまま(逮捕権)、裁くことも自由自在(裁判権)と強大な権力をほしいままにしてきた実績があります。

 小沢裁判は、この司法の闇を明らかにし、改めるチャンスでした。ところが、その道が”手打ち”によって閉ざされたのです。

 おそらく小沢氏自身が、最高裁・検察側との手打ちを何らかの形で承知していたと思われます。その点では、実に釈然としない裁判結果ということになります。





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