皆人の 望みを叶へ 咲きわたる 桜の花を 相見まくほし (太三太)

これは私が小さい頃からお世話になっている方のお誕生日にお贈りした歌です。最近は、お手紙を渡す機会は減ってしまいましたが、こんなふうに歌で気持ちを伝えるのもとても楽しいなと思いました。

 

平安時代は、和歌を手紙としてよく贈っていたようです。その当時の和歌を拝見すると、おおよその歌には暗号がたくさん組み込まれているのが分かります。メタファーを駆使しながら、たくさんの暗号を組み込み、57577という短い分の中に、とてつもない情報量が含まれていました。

 

おそらく縄文時代のようなもっと古い時代には、「言葉」を話す人は少なかったのではないかと思います。大体はテレパシーが通じていて、人類の共通認識のために言葉が後天的に発達していったのではないかと思います。

 

言語化すると情報量はグッと減ります。それを昔の人はよく理解していたのだろうと思います。

 

催眠言語を生み出したことで有名なミルトンエリクソンは、私たちの話す言葉は、削除、歪曲、一般化が行われていると提唱しています。それは、神経レベル、五感レベル、言語レベルで変形に次ぐ、変形が起きているのです。つまり、言葉になる前にすでに変形が起こり、言葉としてアウトプットする時点で更なる変形が起きているということです。

 

そうなると、私たちが現実と思い込んでいるものは、あやふやで脆い世界であることが分かります。

 

「概念と命題は、知覚経験との関係性を通じてのみ、『意味』すなわち『内容』を獲得する。知覚経験の概念と命題に対する関係性は、純粋に直感的なもので、それ自体は論理的なものではない。この関係性すなわち直感的な組み合わせが達成できる可能性の度合いだけが、空虚な夢想と科学的『真理』を区別する」

アルバート・アインシュタイン『自叙伝ノート』より

 

このアインシュタインの文を読むと、考察されていない認識論を検証し、明らかにすることが大切なのだなということが分かります。そうすることで、夢想と真理を区別することができるのだと。

 

普遍的なものを探究するには、概念を取り上げて議論し合っても意味はなく、認識を理解することが大切なのではないかと思います。

 

「万歌の会」会長 太三太

 

近所の公園に咲いていた桜です🌸⏬