観察し続ける人々は、思いのままに生きていない面、人々から変わっていると言われてしまう。

じっと観察し続けていれば、この世に変わっていないものはなに一つないと気づかされるであろう。

 

 

海は変わってる。

防波堤がなければ、大陸を飲み込み、全てを破滅させ死滅させてしまうだろう。

 

川は変わってる。

時に、弱々しく。時に、荒々しく流れ、いざとなれば大暴れ。

 

湖は変わってる。

その美しさの中に、弱さ脆さを讃え、存在の儚さを教えてくれる。

 

空は変わってる。

空があるせいで、地上には天国がない。

 

太陽も変わってる。

その熱視線と紫外線で人の気分を左右させる。

 

愛は変わってる。

憎しみと怒り純粋性を拒否し、無駄や無意味の中に、人を埋没させる。

 

夢は変わってる。

現実を飲み込み狂気の世界に人を一喜一憂させる。

 

 

 

ありとあらゆる欲望の拡大と、不都合性。万物は調和を保ちながら、思いやりと想像力に依って繋がりを保ち、綱引きのように、力比べをしながら、見えないルールで、引き分けを演じ続けている。

 

であるからこそ―――

 

 

 

海は分かってる。

自分がいなければ、あらゆる生命は生きながらえることは出来ないことを。

 

川は分かってる。

太陽に晒され、流され揺蕩いながら生きるものたちへの労りを。

 

湖も分かってる。

自らのナルシスと、鏡を必要とする人々の弱さ醜さ汚らわしさを。

 

空も分かってる。

地上に生きる者たちの苦しみとドラマ活劇、エモーショナルが万物を揺り動かしていることを。

 

太陽も分かってる。

あらゆるものを照らし出す影響力の強さと、自分の仕事振りへの誇りとプライドを。

 

愛も分かってる。

モノトーンの世界に、カラフルを呼び込む力と技を。

 

夢も分かってる。

その狂気と無意味が、世界を見る目を我々に与えてくれていることを。

 

 

神様だけは変わっていない。

この世にありとあらゆるものを見る視点と、その目を私に授けて下さった。神様はこの世にいない。神様はこの世にいながらあの世にいる。想像力の世界に住まう者でありますから。

 

 

 

この世で、最も意義深く、また問題深く、最も不思議で、最も煩わしく、ありとあらゆるものに、可能性や、想像力、神の存在を教えてくれるのは、我慢。そしてそれを器用に使いこなす者達の忍耐精神である。

 

人は何故我慢などするのだろう。

我慢するものは不思議だ。我儘を決して許さない。

もしこの世に我慢が無ければ、動植物はいがみ合い、殺し合い、愛し合うことさえ、好き放題出来てしまうのに。

 

愛の忍耐と根性。想像力と思いやりが人に我慢を強いる。

大切なのは、どれだけどちらが我慢していたかではなく、どれだけどちらが広く見えていたかである。

 

 

 

実存。架空の概念の世界で生きている私は、思考を通してありとあらゆる世界に思いを巡らせる。

実存を通して、現実の世界に生きている我輩の実態は、精神障害者向けの事業所に通い、珈琲豆の選別をしたり、販売する珈琲のキャッチコピーを筆で書いたりしている。

 

そこで見るありとあらゆる人間ドラマの数々。

我儘を通しきれないまま、抑えることの出来ない利用者がいる。その弱さと、脆さ。我慢弱さと、問題の根深さ。変わっている、変わっている、変わっている人々の面々。不都合なる社会的カスの群れ。

 

しかし、そこに愛がある。そこに奥行きがある。

静止し続けてみれば、そこに意義深いなにかがある。観察者はすべてを無駄にしない。

 

壱、似の参で今日も出発だ。

ありとあらゆるカスとゴミ、社会的吹き溜まり。それらを集め箒で掃けば、世界は汚れがとれて綺麗になるだろうか? むしろ埃が散らばって余計大変なことになるかも知れぬ。

結局は、自分のことしか好きじゃないし、結局は、自分にしか興味がない。

結局は、他人のことなんか、どうでもいいし、結局はなにもかも虫が好かん。

結局は、誰に対しても腹の虫が治らないし、結局は誰も彼も赤の他人。

 

結局は、自分が一番誰よりも可愛いし、結局は自分が誰よりも美しい。

結局は、自分が誰よりも悲劇のヒロインで、結局は、そんな自分が誰よりも滑稽だ。

 

結局は、他人よりも自分が大事だし、結局は、他人なんか全員死ねば良いと思っている。

そんな自分が誰よりも可愛くて、そんな自分を誰よりも守ってあげたくて、そんな自分を誰よりも他人に守って欲しくて、そんな自分を贔屓にしてくれない他人が許せない? の、ダーレダ。

 

甘えんじゃねーよ。

結の局はそうでも、中のハートは他人を思いやる気持ちだってあるし、頭の上では……

 

俺はまだ、ファイナルじゃない。俺はまだファースト、セカンド、スリーくらいまでか?

結局は結局は結局は……俺はまだ、若い。I’M Young Man.

 

結局、僕は人を愛してるし、結局僕は自分より他人が好きだ。結局僕は、悲劇のヒロインでも、他人のために道化師にもなる。結局、結局、結局なんてない。愛の果てに、終わりなんてないさ。円の芯はあっても、その周りを世界は回り続けている。回り続ける世界に、僕は、恋し続けている。

 

結局は最後は、笑いがすべてを救う。なーんてね。

私の父が欲しかったのは、我儘な自分に従う、同じように我儘な息子でした。

父はそんな自分に従わない、私の反抗抵抗異論反論、すべてが嫌で、それらのことを私がやると、虐め、虐待、扱き、中傷、すべてを与え、私を囲む人々が、同じようにそう言った、すべてを与えることを、歓迎しました。

私に犬や猿のように、絶対服従、絶対盲信、絶対同意を求め、それが得られると今度は馬鹿にし、見下しました。

父は我儘で気分屋で、その実自分というものが無く、本や雑誌、テレビやSNS、凡ゆる権威や権力、人々の間で人気のある物や人、情報を鵜呑みにしました。父が認め、褒め称える人間は、自分や自分のような人間に首を垂れる人間だけでした。それ以外の人達の反抗的な態度を見ると、時に、狂ったように怒り出しました。

父は文盲で、美文にかんしんがなく、哲学的な本を読んでも、如何にその本が自分を富や成功に、導くかと言う世俗的関心しか、殆どありませんでした。

幼稚な自分を暴かれることが大変怖く、内心自信がないのです。

可愛くて甘ったれで、感情的な冷笑家。それが、私の父です。

 

 

 

僕には、人生がなかった。誰かを愛すことも、愛されることも、恋に焦がれることも特別なかった。

忍耐と、愛想と、社会的努力義務と、名誉への渇望だけが残った。

 

僕には、人生がなかった。だから、フィクションを語る方が得意なんだ。

しかし、作家は人生を語らなければいけないと言う暗黙のルールに則って、僕の人生を少し紹介しよう。

 

初めて精神病院に入院したのは、長男と父親の暴力に抵抗して、次男に警察を呼ばれた時のことだ。

警察は私を罪に問えなかった。婦警が私が妄想をしゃべったと、書類を作っている景観に告げ口し、私は精神病院に入院した。

 

その後、同じことがもう一度あった。二度とも婦警で、場所は茨城と遠く離れた静岡だ。同じ手口で、警察が同じ茶番を繰り広げる。同じようなことが、世の中ではあるんだろう。

 

警察が罪に問えない人間を放送局も、弁護士も無視して、第さんの目が入らないように、精神病院と連携して、精神病院に入れ、医薬品ビジネスに強制的に、参加させる。それが出来てしまうのが、この国なんだ。

 

僕の人生。まだ、なにも始まっちゃいないさ。

僕の人生の夜明け前。精神障害者生活が、終わるまで、続く。

 

馬は馬として、一生を生きて終える。人は人として生きて、義務を果たす能力も認められず、この世に生きて、なに語られようか?

 

 

 

私は誰かに常に尽くし続けてきた。

しかし、その誰かを常に間違い続けてきた気がするのだ

 

welcome to the new world

この国は、米国に乗っ取られた国

なにかに尽くすこともなく 誰かに献身することも嫌がり

ひたすら長生きと、平和な暮らしだけを望む国民がいる

 

Welcome to the new world

TV消して 嘘だらけラジオも消して

私の話を聞いて、おくんなせえ

 

私の両親は、私から仕事を奪い 未来を奪い 可能性を奪った

すべては自分たちの平和と安寧 長生きと健康 それを約束する世間体のために

 

Welcome to the new world

この国は泥棒国家

米国にタマの先まで奪い取られ、努力しても得られるものは、なに一つない

 

You Can’t Always Get What You Want

でも、努力すればきっと手に入らないこともないだろう

 

泥棒一家!

 

親は子から、自由を奪い、年金を盗み、借金を返済せず、返済してはいけないと子に説き、家のローンは次男の名義で建て

長男は弟から、自由を奪い、物品を盗み売り飛ばし、外でものを盗み、放火まで起こし

弟はひたすら自由を奪われ、根こそぎ、国に騙され搾取され、告発し、都合が悪いと無視され、誤認逮捕で違憲の強制入院 医薬品漬けの毎日を強制され

 

泥棒国家 この国は泥棒国家

奪われた後、人々は奪い合い、助け合い、しがみつきあい、装いあい 愛 愛 愛

愛の数だけ子ができない国家!