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江戸老人のブログ

この国がいかに素晴らしいか、江戸から語ります。






(267)シュリーマンの見た裸



 日本人が世界でいちばん清潔な国民であることは異論の余地がない。どんなに貧しい人でも、少なくとも日に一度は、街のいたる所にある公衆浴場に通っている。しかし、にもかかわらず日本には他のどの国よりも皮膚病が多い。疥癬(かいせん)を病んでいない下僕(げぼく)を見つけるのに苦労するほどだ。この病気の原因を探るには実に苦労した。いろいろ見聞したことから推量するに、唯一の原因は、日本人が米と同様に主食にしている生魚(刺身)にあると断言できると思う。



 公衆浴場は大きな部屋で、側面の壁には衣類を置く窪みができている。浴室の一隅に湯を満たした大きな風呂桶が置かれ、湯は台所から導管によって引かれている。

 浴場は、道路に面した側が完全に解放されている。名詞に男性形、女性形、中世形の区別を持たない日本語が、あたかも日常生活において実践されているかのようである。夜明けから日暮れまで、禁断の林檎をかじる前のわれわれの先祖と同じ姿になった老若男女が、いっしょに湯をつかっている。彼らはそれぞれの手桶で湯を汲み、丁寧に体を洗い、また着物をつけて出て行く。



 「何と清らかな素朴さだろう!」初めて公衆浴場の前を通り、三、四十人の全裸の男女を目にしたとき、私はこう叫んだものである。私の時計の鎖についている大きな奇妙な形の紅珊瑚の飾りをまじかに見ようと、彼らが浴場を飛び出してきた。誰かにとやかく言われる心配もせず、しかもどんな礼儀作法にふれることなく、彼らは衣服をつけていないことに何の羞らいも感じていない。その清らかな素朴さよ!



 オールコック卿の言うとおり、日本人は礼儀に関してヨーロッパ的観念をもっていないが、かといって、それがヨーロッパにおけると同様の結果を引き起こすとは考えられない。なぜなら、人間というものは、自国の習慣に従って生きているかぎり、間違った行為をしているとは感じないものだからだ。そこでは淫(みだ)らな意識が生まれようがない。父母、夫婦、兄妹―すべてのものが男女混浴を容認しており、幼いころからこうした浴場に通うことが習慣になっている人々にとって、男女混浴は恥ずかしいことでも、いけないことでもないのである。



 いったいに、ある民族の道徳性を他の民族のそれに比べて云々することは極めて難しい。たとえば男性の気を惹くのに、シナの女は化粧して、纏足(てんそく)した小さな足にしゃれた靴を履くが、首は顎まで覆っている。アラブの女たちは顔をベールで覆い、裸の胸を隠さず、素足に赤い幅広の靴を履く。どちらの国の女たちも、もしヨーロッパの女性たちの服装を見たり、彼女たちが男性と踊るところを目にすれば、きっと、およそ慎ましさの規則から大きく外れていると思うだろう。

 

 国家安泰のためには、女性の身持ちがかたいことが肝要である。こうした男性の勝手な言い分には、女性の側からは異論もあろうが、世界史を見渡してみても、女性が男性と共謀して暴力沙汰や政治的混乱を引き起こしたという事例はない。この点について、日本の権力者たちは、長い経験と人間性についての洞察によって、ある完全な答えを得ていたに違いない。

彼らは、公衆浴場で民衆が自由にしゃべりたいことをしゃべっても、国家安泰にはいっこう差支えがないと、判断したのである。



 日本政府は、売春を是認し奨励するいっぽうで、結婚も保護している。正妻は一人しか許されず、その子供が唯一の相続人となる。ただし妾を自宅に何人囲おうと、自由である。

 

 貧しい親が年端(としは)も行かぬ娘を何年か売春宿に売り渡すことは、法律で認められている。契約期間が切れたら取り戻すことができるし、さらに数年契約を更新することも可能である。この売買契約にあたって、親たちは、ちょうどわれわれヨーロッパ人が娘を何年か良家に行儀見習いに出すときに感じる程度の痛みしか感じない。

 なぜなら売春婦は、日本では、社会的身分としてかならずしも恥辱とか不名誉とかを伴うものではなく、他の職業と比べてなんら見劣りすることのない、まっとうな生活手段とみなされているからである。娼家を出て正妻の地位につくこともあれば、花魁(おいらん)あるいは芸者の年季を勤めあげたあと、生家に戻って結婚することも、ごく普通に行われる。



 

 娼家に売られた女の児たちは、結婚適齢期までーすなわち十二歳までーこの国の伝統に従って最善の教育を受ける。つまり漢文と日本語の読み書きを学ぶのである。さらに日本の歴史や地理、針仕事、歌や踊りの手ほどきを受ける。もし踊りに才能を発揮すれば、年期があけるまで踊り手として勤めることになる。





『シュリーマン旅行記 清国・日本』

ハインリッヒ・シュリーマン 石井和子 訳 講談社学術文庫