(359)スパム・アンド・ライス
『「食の記憶」でたどる昭和史』 片岡義男
いまぼくが住んでいる家から歩いて三分のところにあるスーパーの、食肉の缶詰の棚にほとんどいつもスパムが置いてあるのは、僕にとって驚き以外のなにものでもない。もうずいぶん前から、日本じゅういたるところのスーパーの棚に、この缶詰を見かけるようになった。だから驚きもいまでは多少は希釈されているが、自宅から三分のスーパーの棚にあるのを見ると、驚きの向こう側にある感慨のようなものが、いつも変わることなく胸の底に浮かび上がるのを、僕は受けとめる。
スパムというのは商品名だ。豚肉を細かくつぶしたようにして加熱し、調味料を加えて缶詰としたものだ。ホーメル・フーズというアメリカの会社が製造している。横置き長方形の缶は、僕がまだ幼かった頃にあったのと同じだ。味も変わっていない、と僕は思う。
普通のタイプは塩が強すぎて僕は不得意だが、60パーセント減塩というタイプがあり、僕はこれを好んでいる。(簡単にいうとコンビーフは牛肉、スパムは豚肉)
日本では普通にはランチョン・ミートと呼ばれているようだ。アメリカ軍の大規模な基地が存続し続けていることの影響かと思うが、沖縄では大変にポピュラーで、スパムという名で誰でも知っている。日本じゅういたるところで買えるということは、これを食べる人が恒常的にいるということにほかならない。どんなふうに食べるのだろう。小さなサイコロに切って野菜炒めに加えるのか。細く切ってマカロニ・サラダの具のひとつにするのか。
これじだいで完成された味つけがされているから、ほかのどんな材料とも調和しないというのが、僕の考えだ。いろんなものと合いそうでいて、じつは合わない。しかし
決定的に合わない、という次元のことでもない。百九十八グラム缶に入っている60パーセント減塩タイプを、横に三枚に切る。それをフライパンで炒める。小さく切らない方がいい。ほどよく色がつくまで炒める。そして皿に取る。スパムのもっとも正しい料理法はこれだ。白いご飯と完璧に調和する。暑いのをほくほく言いながら、やや早食いすると最高にいける。
これがスパム・アンド・ライスだ。白いご飯と三枚の炒めスパムは、白く分厚い皿にいっしょ盛りにするといい。フォーク、スプーン、そして箸、どれでもいい、好きなものを使い、ほどよい大きさに切ったスパムを、ご飯といっしょに噛む。たったいま書いたとおり、空腹の中へかき込む、という食べ方をするとスパム・アンド・ライスのおいしさは増幅される。
ハワイ生まれのカリフォルニア育ちという日系二世だった父親が、その若き苦学の日々、お金がないときに食べる最も安い食事が、このスパム・アンド・ライスだった。彼から直接に僕はこのことを聞いた。スパムの缶を目にするたびに、愛想もなにもつき果てたような表情となり、ゆっくり首を左右に振りながら「ノー」とつぶやくのは、僕が記憶している彼の癖の一つだ。スパムが食卓に出てもけっして手をつけない彼に、なぜそんなにスパムが嫌いなのかと僕が訊ねたら、彼はスパム・アンド・ライスの日々について語ってくれた。
壁に掲げたメニュー・ボードのいちばん下に、スパム・アンド・ライスを表示している食堂が、ハワイの田舎町の片隅にいまもかろうじて一軒、あるかないか。ないだろう。
頼めば作ってくれる。お金のない人というのは何時の時代にもいるのだから。スパム・アンド・エッグスならメニューに出ている。そしてこれは、ハム・アンド・エッグスやベーコン・アンド・エッグスよりも確実に安い。
半年に一度くらいの頻度で、僕はスパム・アンド・ライスを食べる。つきあってくれる人はいないし必要ないから、僕は自分で作ってひとりで食べる。ほかになにもいらない、炒めた三枚スライスのスパムと白いご飯だけでいい。サラダを添えるなんて、ちゃんちゃらおかしい。スパム・アンド・エッグスも悪くない。目玉焼きをふたつ加えるのだ。フォークに突き刺したスパムの切れ端を、目玉焼きの黄身にまぶして口に入れて噛みながら、ご飯のかたまりを頬張ると、今日の飯は豪華だ、とすら僕は思う。
昨年の夏の終わりに食べて以来だから、ちょうど半年ぶりに今夜はスパム・アンド・ライスにしようか。買い置きがひと缶あることだし。
かたおか・よしお● 1940年東京生まれ。早大法卒
作家 『スローなブギにしてくれ』など作品多数
筆者注
沖縄県出身の友人に聞いたところ、米軍の兵隊食だったものを手間がかからないのでよく食したという。沖縄は長寿で有名だったと記憶するが、1960年以降、65歳以下の死亡率が急上昇し、このままだと日本で最低になるかと心配されているらしい。①クルマ社会での運動不足 ②野菜不足 ③脂肪過剰摂取 が原因だろうとされる。
(作家)