まっちゃんのClassical Guitar Life -4ページ目

まっちゃんのClassical Guitar Life

クラシックギターのこと、音楽のこと、日々の気持ちなど、マイペースに書いていきます。


10月に入りました。

その10月はもう1週間経とうとしていますが、このように週次でブログを書いていると、余計に1週間の時間の早さを感じます。




カルカッシのエチュードですが、14番を頑張ってます。

でも途切れ途切れ。

本当はけっこう速度が必要なのですが、まだ追いつけない感じです。

かといってゆっくりやろうとしていると、焦ってすぐにスピードを出したがる。

何にも焦る必要ないのに。
もっと地道にやればいいのに。
すぐにスピードを上げて弾きたくなってしまう。

もちろん上手く弾けるはずはなく。



そこなんだろうなぁ、僕がなかなか上達しないのは。

無意識のうちに、要らぬプライドが現れてくるんだと思います。

もっとやれるはずだと。



やれるはずないのに、、、さ。




☆★☆★☆




前回話したブローウェルの「11月のある日」の楽譜が手元に来ました。

思っていたのと印象が違いました。

耳で聴くのより全然指示が少ない。

それだけ弾く人の感性が試されるのか。

楽しんで練習しようと思います。



次の1週間では、ブローウェルの運指を最後までやれればいいなと思います。

カルカッシの練習も並行してやりつつですが、極力頑張りたいと思います。

カルカッシは今月中に15番に入れるようにしたいなぁ。







読んでくださってありがとうございます☆






今日とあるラジオ番組の出演者が、

「人生に必要なものは余裕」

という言葉を紹介していました。

自分に余裕がないと、例えば人を愛すことも難しい、という流れでした。





それを聴いてとっさに、演奏も似ているなと思いました。

ここからは余白という言葉で置き換えます。





僕は演奏を聴くとき、実は曲の前後にある余白の時間がとても好きです。

例えばオーケストラで言えば、指揮者が指揮棒を掲げた瞬間から曲が実際に演奏されるまでの静寂。

曲が終わって指揮者が指揮棒を下ろすまで、あるいは拍手が鳴り出すまでの静寂。

とても好きです。

むしろその余白(余拍とも言える)の時間も含めてひとつの曲として成り立っていると思います。

そのわずかな間が曲の入りを左右し、曲の入りが全体のバランスを左右し、指揮棒を下ろすまでの間で曲の世界観と現実の空間を結びつける。

そんな風に思います。





ただ、特にアマチュアの人はそれをおろそかにする傾向があるのではないかと思います。

それはある意味では余裕の無さの表れともとれます。

余白が無いと、曲が演者だけの世界で繰り広げられてしまうのです。

聴衆を惹き付けるには、むしろ曲に入るまでの余白が必要な気がします。

もちろん演奏の中身が整っているに越したことはありませんが、仮に同じ出来栄えの演奏であるなら、聴衆の心に響くのは余白を有効に使えている演奏であると思います。




僕ももっと精進しなきゃ。




そんなことを思った土曜日でした。





読んでくださってありがとうございます☆


9月があっという間に終わろうとしています。

月次の目標だったカルカッシの13番もなんとかクリア。

10月中はどこまでいけるかな。

できれば15番まで頑張れればいいなと思います。



それと来月から次のソロ曲に取り組み始めます。

このブログでは触れてませんでしたが、7月に出させてもらった発表会ではスカルラッティのソナタ(K322)を演奏しました。

今回は雰囲気をだいぶ変えて、ブローウェルの「11月のある日」に挑戦します。

https://www.youtube.com/watch?v=XaI4h_aU14w

プロアマ問わず人気のある曲です。

これからの時期にピッタリ。

でもブローウェルはキューバの作曲家なので、きっと日本の11月とはイメージが違うのかな?

早く弾けるようになりたいっす。




次の1週間の目標は、カルカッシの14番の指づけをして最後まで通して弾くこと。




今年もあと3ヵ月だけど、カルカッシどこまで行けるかな?

ひと月に2つクリアしても19番までか。

難しいかな。

順調には行けるか分からないけど、地道に頑張らないとね。




読んでくださってありがとうございます☆