父が存命の一昨年の冬休みの話です。
夫がニルソンから送られてきた写真(我々夫婦双方の父たち、つまりニルソンの祖父たち とだけと一泊旅行中)を見て





「駐在期間の高所得(色々な手当)はこういう瞬間を逃すというか一緒に味わえないことも込みだよね🥺」と言った。

ちょうど私はセントーサのホテルレジデンスの友人宅に行ったあと
おやつに椰子の木🌴と海🏖️を眺めて生牡蠣🦪を6つ$18とビール4種飲み比べとツマミ4種を$25という破格で飲み食いしながら

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友人宅豪華だったな〜。🇸🇬のコンドの年間家賃だけで日本の「年間収入」の上位1%くらいになるんだなぁとぼんやり考えていた。そして2人の幼児抱えて都内まで1時間以上かけて通勤してた会社員時代、師走の月曜からこんな生活を送ってる、とか考えたことあったかな〜て。←自分の休みのみならず、会社全体が休業前て超絶忙しかったやん

が、私は
「うちの子たちはもう大きくて、そもそも一緒に暮らしてたと言ってももう別行動でしょ☝️
こうやって強制的に親離れ子離れしてく環境があるのが、むしろありがたいんじゃない?」
と言った。

うちから幼児がいなくなって3年経った。
10月にアニーは9才(当時)になったが今でも4〜5才(今年も引き続き泣き笑い)くらいの扱いをしてしまっている。
3番目は生まれた時から孫扱いだったが、こうやって無敵の末っ子ができるのか…と長女の私は観察している知らんぷり

ベタベタと甘えてきたり、かわいくお願い🫶🏼が非常に上手で、夫などウォーミングアップくらいの軽〜い一撃であっさり毎回やられてるので🤤
夫は「大丈夫かなぁ🥺あざとい女子にならないかなぁ🥺」と言って心配するので🤣

私がこどもの頃は今考えると結構過酷で
ぶりっ子は敵だったし😀
知らないこと・できないこと・泣くことは攻撃の対象で
だから頼れない・かわいげのないよれこが爆誕したんだよ…😇
とお伝えしてみた🙂‍↕️

上2人がいないと喧嘩にならないし
洗濯とかも楽だし

子離れの時期と駐在期間が重なった我が家はラッキーかな。

もう上2人は日中いない、とかではなく
文字通り彼らの生きる世界は拡大し、国を越えてどこかに行っている。

もう一昨年のこととなる駐在1年目も
私たちシンガポール組がバリやらマレーシアやら行ってる間に、バナーヌは1人まだ学校の休み前で日本。










ニルソンが入れ違いで日本に行ってる間にバナーヌはシンガポールに来て、4人だけでベトナムへ













その後高校の選抜プログラムでバナーヌ1人フィンランドとか。


フィンランドではほんとにパラティッシは日常食器なんだな、と思ったバナーヌから送られてきた1枚。ベッドリネンもマリメッコだった


私ひどい格好でLINE通話笑。湖のほとりのサウナ小屋に連れてってもらってBBQ開始を待つ間。



駐在2年目の去年夏もバナーヌがまだ日本の間にニルソンはオーストラリア。


アジア人多いといつもの生活と変わらなくて休みって感じがしないから、とオーストラリアの語学学校にしたのに、まさかのいつもより日本人が多いというww


そして家から運河に船で出られるようなおうちなのに水シャワーしか出ないホストファミリー宅…この後ニルソンは私の友人がお風呂入れたり遊びに連れ出してくれたりと助けてもらい、さらにホストファミリー宅も変えた。世界はやさしいと厳しい笑を英語以上に学んだ夏


そして私とアニーは日本へ行きバナーヌと合流。

母とアニー、バナーヌと女子旅


夫はシンガポール残留。からのニルソンと2人バリ


🇸🇬ナショナルデーこそ5人揃ったけど

バナーヌはシンガポールを中継地としてKL🇲🇾の大学に入学。


今年新年もニルソンと夫はシンガポール残留。私とアニーはインドネシアの🏝️へアニーの友達と母子旅行。





バナーヌはすでにクアラルンプール🇲🇾に帰ってた、とか。

それでもニルソンの試合にジャカルタへ全員で行ったり、とかはできたから。

もう家から旅行先でもずーっと一緒に過ごすとか



団子になってぎゅう詰めで車に乗り込んで旅行ではなくて

夫休めず母子だけ3人連れ旅行もよく行ったな



世界のどこかで集合

家族の誰かがいるところを訪ねていく


のタームになったんだなと思う。
と、同時に

まだ家族で旅行行ったりもするボーナスタイムももらえて

高学年なってからの海外
の勉強面はマジ大変なんですけど泣き笑い

いい経験になってることは確かです。
海外行くかどうかも自分で選んでるので文句もありません
ビバ駐在