ざあざあ降りの雨を見ながら、私はベランダで洗濯物を干していた。テレビから正午を知らせる時報が聞こえた途端、待ってましたと言わんばかりに激しく降り出した。今朝はすっかり寝坊してしまい、洗濯を始めた時間が遅かった。洗濯機が終了を告げた後、雨脚は強くなった。
雨はまっすぐ下に落ちている。青々とした葉を全く揺らすことなく、ひたすら雨に濡れるばかりの近所の木立を見て、風が全くないことに気づく。そこから見える住宅地一帯が、天から降り注ぐシャワーで洗い流されているかのような光景である。
近年のマンションではよく見られるように、我が家のマンションも各戸のベランダはまるで建物の壁をくり抜いたかのように造られており、風を伴う大雨でもなければ、ベランダの内側はあまり濡れない。室内から見ると大きなスクリーンに描かれたように広がる空は、雨雲に覆われている。自動車がしぶきをあげて走る音が部屋の中まで聞こえてきても、早い時間から干しておけば、洗濯物が夕方には乾いているということもある。
関東地方は昨日梅雨入りをした。雨降りの日々は鬱陶しいが、これから迎える夏の日々を思えば、とても重要な時季である。空梅雨の後の真夏に水が不足するのはとてもきつい。熱中症で倒れた、死亡したというニュースを連日見聞きする昨今の夏に、水分補給の糧がないのでは、あまりにも酷である。
ここ何年もの梅雨のイメージは、私が子供の頃に持った梅雨のイメージとはだいぶ違うと、ハンガーにタオルを干しながら、私は思う。かつての梅雨のイメージは、じめじめ、しとしと、静かに執拗に降り続ける雨の中で紫陽花が鮮やかに色づき、その上をでんでん虫が悠長に這っている。そこにあるのは、のどかな静けさと平和である。
ところが、近頃の梅雨といえば、台風と見紛うほどに雨脚が激しい。実際のところ、今年もすでに台風は1号、2号と発生している。時には雷をも伴う。きっと、でんでん虫も悠長には歩いていられまい。
紫陽花といえば、花弁が大きく青みの濃い種類が私は好きだ。その水々しい色合いが、湿った雨季の中で美しく映える。それは憂鬱な雨降りの中の癒しである。
最近、赤い紫陽花を見かけた。通勤する会社のエントランス付近に植えられた紫陽花は、真紅のワインを彷彿とさせる。私の周囲ではあまり見たことのない色合いだ。これはこれで美しいのだが、私にとって紫陽花はやはり青色であってほしい。水の多いシーズンに合った神々しい彩を、街中に与えてほしいのだ。
5時を告げる曲が住宅街の中を流れる。だいぶ雨は小降りとなり、風が少し出てきた。雨雲が薄くなったのか、外も室内もいっときより明るさが増した。
洗濯物は生乾きである。昼からの強い雨を思えば、よくここまで乾いたものだと思う。このまま一晩干しっぱなしにしておくか、あるいは浴室乾燥に移動するか。浴室乾燥ならば、2時間もあれば充分であろう。
それなら初めから浴室乾燥にすればよいのだろうが、洗濯物はある程度自然の空気の中で乾燥させたい。人工的な乾燥よりも自然乾燥の方に清潔さを感じてしまうことに、根拠が別にあるものでもない。
