俳優、女優、役者…
呼び名は人それぞれ。
幼い頃から決めていました。
幼稚園、小学校…もの心がついた時から、演じる事が大好きでした。
小学生の頃から、2つ上の姉と宝塚歌劇に毎週末通い、家に帰ると、Pamphletに載っている台詞を、姉が娘役、私が男役で2人芝居をしていました。
当時は宝塚歌劇団に入団すると思っていたのですが、成長と共に私は、小劇場の役者に成りたいと思い始め、アルバイトをし、17歳の時、東京の芸能事務所Auditionを受け合格、18歳で単身上京して、事務所のお稽古をしながらデビューを待ちました。
しかし、事務所が都合で閉鎖になり、やむを得ず関西に戻りました。
その後、直ぐに東映京都芸能俳優養成所のAuditionを受け合格。
2年間、朝から夕方まで太秦映画村の扮装アルバイト(通称・扮バイ)で時代劇の扮装をして、映画村の村内を案内したり、お客様と一緒に写真撮影等をするお仕事をしていました。
閉村後、俳優会館に急ぎ帰り、撮影所内に在る養成所に直行してLesson。
そんな日々でした。
同期は、最終的に女性ばかり5人になりましたが、養成期間が終了と同時に同期全員が、お役を頂き、それぞれ無事に役者としての第一歩を踏み出しました。
5人中、4人は東映作品デビュー、私だけ松竹のSP時代劇作品でのデビューでした。
貴重なデビュー作となりました。
その後は、東映以外の作品も含め、舞台、TV、映画、何本もの作品に出演させて頂きました。
色々な経験をさせて頂ながら、1つ1つのお仕事を楽しく続けられた事は、私の一生の宝です。
時代劇制作の本数が激減し、役者を続けるにはアルバイトなどで繋ぐ方、事務所移籍、最悪は辞める!しか有りませんでした。
私は、丁度その頃、体調を崩し、1年程治療に専念していました。
それでも役者を辞める!と、思った事は有りません。
寧ろ、次に進む事を考えました。
そして、再び東へ移り、長年育てて頂いた東映京都を離れましたが、時代劇を辞めたわけでは無く、無いから出来ない状況で、生活もありますから、離れるしか無かったのです。
今でも、東映京都でお世話になった、諸先輩、スタッフの方とは繋がりを持って居ます。
東京などでお会いする時は、また時代劇の灯が復活して元気になる事ばかり話題になります。
巷では、時代劇ブームだと言われていますが…
違うね!
時代劇じゃないね!
と、感じる事や意見は同じで、本物やりたいなぁ…と、現状を嘆いています。
私が言うのもおこがましいですが…
形なら誰でも出来るけれど、数ヶ月お稽古しただけでは染み付かないのが、時代劇の難しさかも知れません。
私も、まだ染み付いていませんもの…