「文字制限」
昔、卒論を書いたときに教授に言われた事をたまに思い出します。
卒論の提出基準に文字数がxx文字数以上となっており、まずはその文字数を超える為に躍起になって
いろいろな書籍やデータを集めていました。その時に教授のアドバイスがありました。
「論文の作り方は制限文字数以上書いてそれから削るのだ」と
当時のわたしは、そんな事言われても、、、
それ以前の問題で制限文字数以上の論文にすら出来ないんです
まして、社会人の時のに受けていたので、仕事との両立は結構しんどかったですね。
それはさておき、この「削る」という行為は、今とっても重要だと思ってます。
その時の教授の比喩です。
論文は丸太の木を削のと同じような作業で作成するものだ。
あなたは、小さい粘土をちょっとずつくっつけて、例えば人の形を作る手法をとっている。
そうすると人のイメージがぼやける。
確かに人を作る作業でその時々の人のイメージが変わります。
手を付け足す時に筋肉質の手を作り、体は華奢で綺麗なものを作っちゃいます。
そうすると全体から観るとちぐはぐなものが出来上がってしまいます。
反対に丸太のようなものを削って人の形にした場合は常に具体的な人をイメージしながら
作らないと作成できません。
まずは人はどんな人にするのか、性別は年齢は身長は綺麗な人にするのかたくましい人にするのか、、、
などのイメージから入りしっかりとした目標を決めてから
削る事になります。
わたしはこのしっかりとした目標自体が見出せず時間と文字数をにらめっこしながら
卒論を作った思い出があります(苦笑)
今わたしが「削る」行為が響いているかと言いますと。
人生を木の成長に例えると、若い世代は幹を成長させ、たくさんの枝葉をつける時期だと感じています。
わたしのような中年になりますと、幹自体が衰えてくる事を身を持って感じる時期になります
そうすると、幹についていたいろいろな枝葉を持ち続けられなくなります。
本当の木は枝葉を枯らして幹を守りますが、人間の場合は自分でやらなくてはなりません。
幹の体力を推察しながら枯らせる枝葉と残す枝葉を決めてゆかなければなりません。
そういうタイミングの時にこの「削る」をよく思い出します。
文字制限ってそういう意味で大切な発想なんだなぁ~って感じています。
さて、ブログには文字制限は無いですが、この記事は上手く削れたかしら
昔、卒論を書いたときに教授に言われた事をたまに思い出します。
卒論の提出基準に文字数がxx文字数以上となっており、まずはその文字数を超える為に躍起になって
いろいろな書籍やデータを集めていました。その時に教授のアドバイスがありました。
「論文の作り方は制限文字数以上書いてそれから削るのだ」と
当時のわたしは、そんな事言われても、、、
それ以前の問題で制限文字数以上の論文にすら出来ないんです
まして、社会人の時のに受けていたので、仕事との両立は結構しんどかったですね。
それはさておき、この「削る」という行為は、今とっても重要だと思ってます。
その時の教授の比喩です。
論文は丸太の木を削のと同じような作業で作成するものだ。
あなたは、小さい粘土をちょっとずつくっつけて、例えば人の形を作る手法をとっている。
そうすると人のイメージがぼやける。
確かに人を作る作業でその時々の人のイメージが変わります。
手を付け足す時に筋肉質の手を作り、体は華奢で綺麗なものを作っちゃいます。
そうすると全体から観るとちぐはぐなものが出来上がってしまいます。
反対に丸太のようなものを削って人の形にした場合は常に具体的な人をイメージしながら
作らないと作成できません。
まずは人はどんな人にするのか、性別は年齢は身長は綺麗な人にするのかたくましい人にするのか、、、
などのイメージから入りしっかりとした目標を決めてから
削る事になります。
わたしはこのしっかりとした目標自体が見出せず時間と文字数をにらめっこしながら
卒論を作った思い出があります(苦笑)
今わたしが「削る」行為が響いているかと言いますと。
人生を木の成長に例えると、若い世代は幹を成長させ、たくさんの枝葉をつける時期だと感じています。
わたしのような中年になりますと、幹自体が衰えてくる事を身を持って感じる時期になります
そうすると、幹についていたいろいろな枝葉を持ち続けられなくなります。
本当の木は枝葉を枯らして幹を守りますが、人間の場合は自分でやらなくてはなりません。
幹の体力を推察しながら枯らせる枝葉と残す枝葉を決めてゆかなければなりません。
そういうタイミングの時にこの「削る」をよく思い出します。
文字制限ってそういう意味で大切な発想なんだなぁ~って感じています。
さて、ブログには文字制限は無いですが、この記事は上手く削れたかしら