第八話(後半)──陽はまた昇る──
六 翔太の選択
夕暮れの校庭、翔太はひとりで空を見上げていた。
手には、一枚の紙。そこには、彼が自分の手で書いた新しい名前が記されている。
「春野翔太じゃなくて、山田……じゃなくて」
彼は小さく呟いた。
「ぼくは、“町田翔太”で生きる」
母の旧姓を選んだその理由を、彼は誰にも言わなかった。
ただ、それが“母と自分をつなぐ真実の名前”だと、そう信じたのだった。
七 未来への食卓
その夜、古民家の台所には煮物の香りが立ちのぼっていた。
「ほら、早く座って。今日は拓海が野菜切ったのよ」
優子は笑いながら声をかけた。
加藤は新聞をたたんで席につく。
「平和な記事ばかりだ。……これでいい」
「翔太、ごはんだよー!」
翔太がリビングから走ってきた。
その後ろには、無言のまま拓海が静かに歩いてくる。
家族のような、家族ではないような、不思議な関係。
でも、それがとても温かいと感じる夕餉だった。
「ねえお母さん」
「ん?」
「拓海とぼく、兄弟みたいだね」
「そうね。家族ってね、“一緒に食べる人”のことを言うのかも」
翔太はそれを聞いてにっこり笑った。
八 再生の空
食後、外に出ると、空には星が瞬いていた。
「今日は、晴れてるな」
加藤がそう言った。
「久しぶりね。……本当に、ようやく晴れた気がする」
優子はそっと加藤に寄り添った。
二人の間にあった深い谷も、いくつもの夜も、今は過ぎ去っていた。
「加藤さん……あなたに、聞きたいことがあるの」
「何でも」
「あなたは……本当に、わたしの父を知っていたの?」
加藤は空を見たまま、小さく息を吐いた。
「智子さんと、あなたが生まれた頃、一度だけ会った。
その後、俺は姿を消すしかなかった。……組織の都合でね」
「じゃあ、私が“娘かもしれない”と……思ってた?」
「ずっと。けれど、そうじゃなかったとしても──
俺は、あなたと翔太を守りたい。それだけは、本物だ」
優子は加藤の手を取り、強く握った。
「……ありがとう。これからは、逃げない」
九 朝の光、そして未来へ
朝が来た。
翔太が早起きして、台所に立っていた。
「お母さん、今日はおにぎり作る。……遠足だから」
「うれしいね」
優子は翔太の髪を撫でた。
拓海も一緒に支度を始める。
加藤はコーヒーを淹れながら、その様子を見ていた。
誰もが、過去の傷を抱えたまま。
けれど、それを超えて、今を生きている。
「翔太」
「なに?」
「飛行機の夢、まだ覚えてるか」
「うん。いつか、自分で飛ぶ。……それまで、地面をちゃんと歩くよ」
「そうか」
加藤は静かに頷いた。
十 陽はまた昇る
その日。
翔太と拓海は、手をつないで村の小学校へと歩いていった。
優子は玄関から、そっと見送った。
加藤が後ろからつぶやく。
「俺たち、大丈夫か?」
「ええ。だって――私たちはもう、夜じゃないもの」
空には、まぶしいほどの朝陽が差していた。
「“偽りの陽”なんて、もう要らないわ。
……本物の陽が、私たちに届いてる」
それは、始まりの光だった。
終わりではなく、これからのための光。
四人の影が、長く伸びる。
未来へと続く、影の先に。
──そして、物語は終わる。