「20/10/31放送・老いの才覚・曽野綾子」兵庫県高齢者放送大学のお話です。

 

私のブログ等に、次の書き込みをしました。

 

 *予定では「88歳の自由 曽野綾子」であったのですが曽野綾子先生が 自宅で転倒して骨折されたので「88歳の自由」の取材・録音できなかったとのことで 2010年8月6日放送された「老いの才覚・曽野綾子」が再放送されました

 

 *2010年8月6日の放送ノートを探しましたが見つからなかったので インターネットで調べてみました

 

こんな内容です

 

曾野綾子さんの「老いの才覚」が話題を集めています。8章構成になっていて、

第1章の「なぜ老人は才覚を失ってしまったのか」で、わが国最大の問題点を指摘し、

第2章で「老いの基本は『自立』と『自律』」という結論を問題の解決策として述べています。

3章以下は、その解決策に必要なノウハウで、

第3章 人間は死ぬまで働かなくてはいけない

第4章 晩年になったら夫婦や親子との付き合い方も変える

第5章 一文無しになってもお金に困らない生き方

第6章 孤独と付き合い、人生をおもしろがるコツ

第7章 老い、病気、死と馴れ親しむ

第8章 神様の視点を持てば、人生と世界が理解できる」

となっています。

 

*「老いの才覚」について定義しておきます。勝手な解釈ですが、ここからはすべてこの定義を前提に進めていきますのでご了承ください。

「死ぬまで持ちつ持たれつの人生を全うするぞという意欲」

 

かつての日本人に曽野さんのいう「老いの才覚」があったのかというと、必要な才覚は日常生活の中で必然的に身についたと私は考えています。大家族で貧困、平均寿命が短かったことなどから、多くの国民が死ぬ直前まで働いていたからです。したがって、老人の多くが上記のノウハウはすでに実践していたか必要とする境遇になかったということになります。

 かつて楽隠居は金持だけの特権でしたが、戦後の老人福祉がこの「楽隠居」を政策の柱に据えたのは大きな誤りでした。相互扶助があるからこそ、私たちは日本という同じ国で暮らしていけるのですが、65歳を一律扶助される側に立たせたことで、国自らが相互扶助を崩壊させてしまっています。支える側が減少する一方なのに支えられる側は急増する一方です。私たちは、65歳以上の老人を4人で1人支えていますが、数年後には3人で1人を、20年後には2人で1人を支えることになります。相互扶助をどう維持発展させていくのかという観点から曽野さんの提言をキーワードで拾い出すと、実に明確に答えが見えてきます。

 

 例えば、

「高齢者に与えられた権利は、放棄した方がいい 子供の世話になることを期待しない 一昔前まで、人は死ぬまで働くのが当たり前だった日常生活の営みを人任せにしない 老人の愚痴は他人も自分もみじめにするだけでいい事は一つもない 冒険は老年の特権である 死に慣れ親しむ 病気も込みで人生という心構えを持つ」などは、その好例です。

 つまり、支えられる側に回らないだけでなく、積極的に支える側に参加し後世に人生を全うすることのすばらしさを教えよというひと言に尽きると思います。後世の国民を心配する余裕はないという方も、自分の人生を「良かった」で締めくくりたいのなら不可欠な才覚です。あなたはその才覚の必要性を日々の生活の中で痛感させられます。

 その痛みが強くなっていくのを日々耐えていくのか、軽減させていくのかはあなたの自由ですが、その苦痛はボケない限り耐えられないと覚悟したほうが賢明です。老人の自殺は今後も増加しますが、その理由はほとんどがこの苦痛に耐えられないからです。

 

 

 * 放送の内容と すこしは 違うかも知れませんが どうぞ お聞きになってくださいませ

 

 

 *放送は「 https://www.hyogo-ikigai.or.jp/ikigai/radio/library.html 」をクリックして  「  2020年10月31日 放送分 「老いの才覚・曽野綾子」を クリック

 

 

 

 *私の感想文です:メール投稿しました。20/10/31放送・老いの才覚・曽野綾子先生  「わたしの老いの才覚」 高木義治 81歳 曽野綾子先生は自宅で転倒し骨折したとのことで「88歳の自由」の取材・録音できなかった そのため2010年8月6日放送された「老いの才覚・曽野綾子」が再放送されました インターネットで調べたのによると老いの才覚とは「死ぬまで持ちつ持たれつの人生を全うするぞという意欲」わたし いままでに 何度も亡くなってもおかしくないことを経験している ということは「生かされてる」ということと理解している こんどは恩返しの番です そういう思いで南京玉すだれのボランティア活動をしてきました コロナのために いまは中断していますが そのうち 収まって また 活動を再開することになるでしょう 会社内で 山歩きのノウハウを学び 長年にわたり山歩きを通じて「輪」「和」を大事にしてきました いまは ひょうごラジオカレッジの中で仲間の会の活動や中央スクーリングの宿泊時のおもてなしに精を出している。何事も「持ちつ持たれつの人生」です。

 

 

   * ありがとうございます。