結婚して
貫ちゃんをさずかって「次の休みの時に報告にいこうか」
といってたら
電話がかかってきた
「おとうちゃんガンやって。肝臓の。もうあかんらしい」
義理の兄からだった
泣いていた
病院からでんわがあって
義父は
末期の肝臓がんが分かった
病院に定期的に行ってたのに
倦怠感にたえられず
その病院へ行ったら
「うちでは無理。紹介状書くから」
なんて心ない告知
大学病院はいっぱいで
入院まで随分と時間があった
わたしは怖かった
その間にもどんどん悪くなるんじゃないか
忘れられない
はじめての抗がん剤治療のとき
お見舞いにいったら
私と、さつきとめいだけで
「赤ちゃんはおとこのこかな」と言ったら
義父は
「男じゃ女じゃといわずに元気やったらそれでええ」
と
巨峰をむいて、さつきとめいに食べさせてくれた
2回目の抗がん剤の投与が終わって
具合が悪いと病院から電話があった
駆けつけると
ベットの上で丸くなって苦しんでいた義父がいて
あっという間につれていかれて
管だらけになってしまった
「外へ出たい、おしっこがしたい」
必死に訴える
何度も何度も
看護婦さんは何事もないように
決められた動きをしている
「水がのみたい」
何度も何度も訴える
「飲ませてあげてください!!!」
耐えきれずに言うと
「口をしめらすだけですよ~」
「あっ!今飲んだでしょう!!も~」
家にいてたら、
水も飲んでおしっこもいって外へ出て
全部できたのに
義父は
日がかわったら
死んでしまった
「帰るね」
って手をさすったら
目をあけてしっかりこっちを見てくれた
あれが最後だった
3か月であっというまに
いなくなってしまった
後で聞いて愕然とした
2回目の抗がん剤の治療を行ったら
もう帰れないかもしれないといわれていたらしい
知らなかった
知ってたら連れて帰ったのに
なぜ、帰ってこなかたんだろう
家族も患者もかしこくなければならない
知っておかなくてはいけない
最後まで人間らしくいられるような方法を
病院は教えてくれただろうか
はいはい聞いていただけじゃだめだ
自分たちで知らなくてはいけない
痛みがでてきてたから
辛そうに我慢していた
病院ならなんとかなると思ったんだろう
でも、
もっと方法はあったはずだ
ふっと田んぼに
義父がいまでも立っている気がする
なんでいてないんやろう
あまりにもあっという間で
ちゃんとお別れができなかった
私は悔しい
悔しい