こんにちは!
ドッグサイトSWEETA編集長です。
今日は私が高校生の頃から慣れ親しんだ古典について少しお話します。
私は中学生の頃からあるコンプレックスを抱えていました。
それは「話下手」
人前で話すのが大の苦手で43歳になった今でもそれは変わりません。
話下手というか、日本語下手というか表現下手というか。
こんなコンプレックスを人にカミングアウトするにはすごく勇気がいることです。
だけどこんな私でも今ではセミナーなど、壇上で話をする機会をいただけるまでになりました。
もちろん今でも「上手」とは言えませんが、話せるレベルに至った経緯についてこの場で共有します。
中学生の頃に憧れたのはアイドルはもちろんですが、幸田シャーミンや安藤優子、黒柳徹子など「しゃべり」を生業とする人たちに異常なほど憧れを持っていました。
いつでもどこでも自分の思いをすらすらと伝えることができる彼女達の姿勢に強く憧れた訳です。
そんな「話下手」コンプレックスを克服するにはどうすればいいんだろう、という自分自身への問いに「本を読む」という答えを導きだしました。
子供なりに一生懸命考え抜いた答えでした。
ただ中学生になるまでまともに本を一冊読破したことがない私は本の選び方さえわかりません。
そこで更にだした答えが「古き良き本」。
ただ漠然と出した答えです。
きっと当時で言えば赤川次郎など人気作家の小説を読んだりするのでしょうが、本を読んだことのない私にその選択肢はありませんでした。
「古き良き本」
当時はエミリー・ブロンテの「嵐が丘」、ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」や「罪と罰」、スタンダール「赤と黒」
何かに取り付かれたかのように読み漁ったものです。
挙げればきりがないほど読みました。
表現方法など全体の意味がさっぱりわからない状態で読破してしまったものもいくつかあります。
古典というのは「本を読む」だけではなく解釈を理解するという努力を強いられます。
読解力ではなく、解釈を受け止める寛容性が必要なんです。
自己の価値観などに拘っていると読み間違えることもあるように思います。
当時はインターネットなどない時代、同じタイトルのものでも訳者が別の本を読んだり、調べたりもしました。
今では「古典のすすめ」的なサポート本もでているし引用もインターネットで、とより身近に古典に触れる事ができるようになりました。
コンプレックス克服から出会った古典。
高校を卒業してからすぐに専業主婦になったので、毎日の忙しさ(言い訳!?)から本を読むことも少なくなりました。
次に離婚後サラリーマンデビューをしてからはビジネス書がメインで、本屋さんに行っても古典など見向きもしなくなりました。
先週末、ライフネット生命の出口会長の講演を聞く機会がありました。
そこで古典の素晴らしさについて触れられていました。
古典の素晴らしさについての問いに出口会長はこう答えられました。
「長きに渡り人に選ばれ残った書物だから」
そこで最近、また古典を少し読んでみようと数冊購入してみました。
久しぶりなのであまり難しいのは挫折するかな、とシェイクスピアを選択。
あの頃の、時間を惜しむように読み漁った情熱は今はありませんが、長きに渡り人に選ばれ残った、の意味を考えながら読むようになりました。
娘は今、高校生。
読んでいるのはファッション誌か漫画です。
この夏、私が読んできた本をすすめてみようと思います。
世代を超えた感動を親子で共有してみたいですね。