母の日、何をプレゼントしますか?
私は 自分の母とは離れて暮らしているので
その分、母の日はあれこれ 頭がいっぱいになります。
散々迷って今年は
スワロフスキーのブローチにしました。
あとは
グリーンのカーネーションとバラをブーケにしてもらって
真っ赤な2種類の和紙で ラッピング。
配送を頼んで、ひと段落。
きっと、ほしかったものをあげても
母は、「 ありがとう 」なんて言わないだろうな。
リボンを解くことさえ ないかもしれないけれど。
お花はダイスキだから きっと 飾ってくれるだろうし。
もう 母たちといた 時間より
京都で暮らす時間が 追い越しそうです。
一番 近いのに
一番 理解しあえない
一番 素直になれない
お互いが そんな関係の 母子です。
弟がいたせいか、母に甘えた記憶や
母に 「ありがとう」って言ってもらった記憶が
ほぼ、ありません。
「 やって あたりまえ 」
「 できて あたりまえ 」
「 気が付いて あたりまえ 」
いつも、母に嫌われないようにと
恥をかかせてはいけないと
そんなふうに、緊張してすごしてきました。
今はまあ、ラクに こう 書けるけど。
幼稚園のとき、トイレを失敗してしまったお友達の
パンツを先生に内緒で洗ってあげたり
しんどくて 吐いちゃった お友達の足元を
ぞうきんで拭いたり する子 だったそうです。
「 yong-yuanちゃん、どうして お友達の お手伝いするの? 」
と、先生に聞かれて
4歳、ひよこぐみのyong-yuanは
「 おうちでも おとうとの してるの。
ママは いつも おしごとで おそく かえってくるから
yong-yuanが しなかったら
ママの ねるじかんが なくなるから おてつだいいっぱい
yong-yuanが してあげるの 」
先生は 感動して 母に尋ねたそうです。
「 どういう 育て方をしたら そんな おりこうになるのですか 」
母は、 何かにつけ この出来事を 呪文のように唱えました。
中学時代の反抗期には
「 幼稚園の頃は・・・・ 」 ってな調子で。
私は 小さい頃読んだ本や
道端の小さいお花を摘んでは
家に持ち帰ったこと
星を見上げながら
勝手に名前を つけてみたり
はじめて体験した 「 耳鳴り 」を
宇宙からの 交信だと 信じ込んで
ずっと ずっと 眠らずに 月を見ていたこと。
ちょっと かっこいい お友達の おとうさんが
私のことも
「 よしよし 」って してくれる姿を想像したり
手をつないで お母さんとかえる お友達を
自分に置き換えて 過ごしたこと、
全部鮮明に覚えています。
だけど
だけど
母が言う
「 自慢できる けなげな yong-yuanちゃん 」
であった事実は
何一つ 思い出すことができません。
すこし色あせた写真にうつる あの頃の
ちっちゃい 私は
母の記憶の中と
写真の中にしか きっと、いない。
だから この世から 母が 旅立ってしまったら
きっと
ひよこぐみの 私を 知ってる人なんて
いなくなっちやうんだなって おもうと
寂しいな。