みなさん!こんにちは著者のyoneです。ほんと久しぶりに「乗り鉄」やってきました。

今回は、JR佐世保線の有田から佐世保まで、旧国鉄松浦線を引きついだ全線93.8km、57駅の第三セクター「松浦鉄道西九州線」です。この路線は古くは有田の陶磁器や、北松浦郡に点在した炭鉱から石炭を運ぶべく設けられた鉄道とのことです。

また今回訪れた松浦鉄道西九州線の一部、伊万里~佐世保間は、40年前の1982年、地下鉄開業前に博多駅から長崎行きの急行「平戸号」で通過して以来、久しぶりの乗車となります。

では、どうぞ!

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■出発

 

博多駅発6:35江北行き、811系改造車両4両編成に乗車。途中から高校生がたくさん乗ってきました。「なんだろう?」と思ったら、1月15日センター試験2日目でした。佐賀駅で高校生はすべて下車したのち、約15分で「肥前山口駅」改め「江北駅」に8:03到着。篠栗線同様の817系2両の8:16発早岐行に乗車。ガラガラです。

途中、前回長崎乗り鉄時には未完成だった「武雄温泉駅」に止まります。あいにく西九州新幹線には出会いませんでした。「江北駅」から30分ほどで「有田駅」に到着。10分待ちで目的の松浦鉄道(略してMR)に乗り換えです。

 

■伊万里駅に向かって

 

思ったよりも本数が多く、日曜朝にもかかわらずそこそこの乗車率です。

車両は主力の600型。バス同様の後乗り・前降り、整理券方式の単行。おっと!ICカードnimocaも使えますね!出入口付近はロングシート、中ほどにボックスシート2つ、4席の一人掛けの転換クロスシートがあって、観光目的にも通勤通学にも対応できるよううまいこと設計されてます。


9:00出発。しばらくJR線と並行し、次の「三代橋(みだいばし)駅」を過ぎたところで、『左手に1996年開催の世界炎の博覧会記念堂と記念公園があります』との車内放送が聞こえてきました。

MRでは、駅を出ると次の駅の名称だけでなく、周辺の名所案内まで流れるんですね。いまいち聞き取りにくいものの、私のような一元客も大切にする会社の姿勢を感じます。また各駅待合所には地域の子供たちの大きな絵が飾られ、ほのぼのとした雰囲気を醸し出しています。

『炎の博覧会か!確か行ったね!』と30年近く前の子育て時代を思い出しました。

 

3つ目の「蔵宿(ぞうしゅく)駅」では、1913年(大正2年)建築の超渋い木造駅舎を右に見ます。次の「西有田駅」は対照的に近代的な駅で、結構乗り降りもありました。近くに公共施設が集まっているためでしょう。この区間は駅間が近く、バス同様の感覚で利用されてますね。

 

「山谷(やまだに)駅」では、『日本棚田百選、「岳の棚田」最寄り駅』との案内がありました。左手に、国見山に向かって棚田があるであろう広々した斜面が広がります。その季節、上から見ればきれいに見えるんでしょうね。

 

交換駅「夫婦石駅」では、前方右に目立つ大きな建物があります。「伊万里有田共立病院」でした。病院・学校・役所は、運転できない高校生・お年寄りをターゲットとするローカル鉄道には必須ですね。

 

当駅を出ると伊万里市に入り、左手すぐ横に有田川を見てのどかな雰囲気の中走ります。ちょっと市街地ぽくなってきたところで、川から離れ、有田を出て30分足らずで「伊万里駅」に到着しました。

 

前回、JR伊万里駅に降り立った時紹介しましたが、旧国鉄伊万里駅は松浦鉄道(左)とJR駅(右)に県道で分断され、デッキで結ばれています。

 

ふと駅舎の自販機を見ると、何と本日は「佐賀県内バス無料デー」だそうです!地方交通維持のための施策でしょうが、「やりますな佐賀県!」

 

 

■たびら平戸口駅に向かって

 

40分ほど待って10:07発佐世保行に乗車、ここから佐世保駅まで2時間半の長い行程です。

次の「東山代駅」では、なんとホームの上、待合所手前に民家があって、自転車が置いてありました。ちょっと珍しい風景です。

 

続く「里駅」「楠久駅」のある東山代地区は歴史遺産が数多くあって、役所のHPで史跡めぐりウォーキングマップも手に入るそうです。のどかなこの地を歩いて散策するのもいいかと思いました。

 

次の「鳴石駅」から「久原駅」にかけて、右手の埋立地に巨大な建物が建設中でした。「久原駅」手前には「佐賀大学海洋エネルギー研究センター」が見えます。

 

「波瀬駅」からは右手に穏やかな伊万里湾の風景が広がっています。次の「浦ノ崎駅」は『桜の駅』として有名ですが、この季節は何の面影もありません。

 

「福島口駅」を出発すると列車は海から離れて、登り坂をあえぎながら登っていきます。

次の「今福駅」から長崎県松浦市に入ります。この旧今福町付近は松浦党(松浦水軍)ゆかりの史跡が点在するそうです。

 

次の「鷹島口駅」の駅名標には「元寇の島”鷹島”の玄関」とあります。「神風が吹いて元の船が沈没した」という伝説ですね。「ここだったんですね!」日本初の海底遺跡もあるそうです。

ここからしばらく、沖合の鷹島を見ながら海のすぐ横を進みます。

 

「調川(つきのかわ)駅」の駅名標には「日本一のアジ・サバ水揚げ基地」、とありました。確かに付近には水産加工工場が多いです。

次はMRの基幹駅「松浦駅」です。なんと松浦市は「アジフライの聖地」だそうです。2020年に商標登録されてるとのこと。九州人でありながら初めて聞きました!

 

駅を出てしばらく走ると、右手に巨大なプラントが見えてきました。松浦火力発電所です。巨大プラントと小さな「松浦発電所前駅」が対照的です。ここを出ると海岸を離れて、丘と田畑の間丘陵地帯を走ります。

丘の上の「東田平駅」からは向こうに広がる玄界灘を拝めました。少し市街地ぽくなってきたところで、2面3線の基幹駅「たびら平戸口駅」に到着です。『日本最西端の駅』の看板と駅員さんの姿も初めて目にしました。

 

■佐世保駅に向かって

 

駅を出ると列車は左に大きくカーブして、再び丘と田畑の間を走ります。

長いトンネルを抜けると佐世保市江迎町に入り「すえたちばな駅」に到着です。右手に久しぶりに海(江迎湾)が臨めます。

さらに列車は勾配を下って、江迎川の鉄橋を渡り「江迎鹿町駅」に着きました。駅構内は非常に広く、往時の繁栄がしのばれます。

 

これから先、江迎川と国道204号に沿って丘の間を走ります。途中えらくモダンな白亜の駅舎「潜竜ヶ滝駅」を過ぎ、交換駅「吉井駅」に到着。当駅は旧国鉄世知原線との乗換駅だったそうで構内が広く、ホームには桜の木々が数多く見られました。

 

佐々町に入り、「清峰高校前駅」に停まります。「清峰高校?甲子園に出たことある高校やねと思い出しました!」防球ネットが見えました。

 

次の基幹駅2面3線の「佐々駅」は当駅止まりの列車が多く設定されており、乗降客も多いです。駅舎がログハウス風になっており、駅名標には「河津桜とシロウオの里」の標記がありました。佐々川はきれいな川なんでしょうね。

出発してすぐ左手に車両基地があり、多くの車両が停まっていました。

 

再度佐世保市に入ってすぐの「真申(まさる)駅」では、停車した列車のすぐ横に機関車の動輪が見えました。「松浦鉄道全線開通記念碑 昭和20年開通・・・」と書いてありました。

次の「棚方駅」を出ると右手に巨大な煙突が見えてきました。相浦火力発電所です。この付近やたら発電所が多いですね。昔炭鉱が近くにあったからでしょうか。

 

次の「相浦駅」は港のすぐ横。駅名標に「黒島天主堂とあたごさんの駅」とあります。ここから世界遺産黒島天主堂のある黒島へフェリーが出ているそうです。

 

列車は大きく左にカーブして「大学駅」につきます。長崎県立大学のすぐ隣で、ストレートに「大学」という駅名も珍しいですね。ふつうは「大学前駅」でしょう。「祈合格」の看板もあります。左前方にきれいな円錐形の山が見えます。これが「あたごさん」ですかね。

 

列車はさらに左にカーブして、半分戻るような方向に進み「上相浦駅」「本山駅」「中里駅」と続きます。この辺りから市街地に入ったのでしょうか、駅間が近くなり、乗客も結構多くなってきました。「皆瀬駅」「野中駅」と相浦川に沿って走ります。

 

次の2面2線の交換駅「左石駅」では高校生が列をなして乗ってきて超満員になりました。面白いことに彼らはバスみたい整然と前に詰めて乗ります。慣れてるんですね。

 

列車は大きく右にカーブして佐世保中心部を目指します。「泉福寺駅」「山の田駅」を過ぎ、トンネルを抜けるとすぐに、道路や住宅からはかなり高い位置にある「北佐世保駅」に着きました。ここからローカル線では珍しい、トンネルと高架橋が連続する区間を走ってビルに囲まれた「中佐世保駅」に到着です。佐世保は港町北九州市の門司同様に平地が少ないんでしょうね。

 

次の「佐世保中央駅」までが駅間日本最短(200m)の区間ですが、線路がカーブしているため、次駅は確認できませんでした。

「佐世保中央駅」は日本一長い商店街「四ヶ町アーケード」に繋がっているそうで、高校生で満員の車内を一般客が「すいません!」と言いながら前方の出口から降車します。駅のすぐ横は建物解体中なのか大きな空き地となっていました。昨年閉店したイオン佐世保店跡だそうです。

 

駅を出るとすぐトンネルを通過し、高架橋を走って終点佐世保に定刻より3分ほど遅れで着きました。有田駅から約3時間の乗車時間でした。

 

 

時効表を見ると、佐世保〜佐々間はローカル線では珍しく20,30分間隔で運行されてますね。以前の国鉄では全く想像できない本数が運行されています。

 

 

■佐世保散策

 

さて、「乗り鉄」では珍しく時間が取れたんで、観光案内所に行くと「弓張岳がいいですよ。路線バスも通じてます」と紹介されました。そういえばその昔国鉄時代には「弓張号」という急行列車が運行されていたことを思い出します。佐世保の山の名前だったんですね。


バス待合の間に駅周辺を散策します。駅裏はすぐ港です。5番街というショッピングセンターもあって結構にぎわっています。

 

せっかく佐世保に来たんで「佐世保バーガー」を賞味しようと、ネットで探して商店街を歩きましたが、思いのほか遠かったのであきらめて、港近くの「ヒカリバーガー」で賞味しました。

「佐世保バーガー」という商品があるのではなく、それぞれの店が特色を出したバーガーを出しているとのこと。子供でも食べやすい味付けで美味しいかったです。

 

 

駅前バスセンターから路線バスで弓張岳展望所へ!展望所に近づくにつれ乗客は私一人に!この時代路線バスで行く人いないんですね!どおりで一日5往復しかない。

 

折り返しまで15分しかなかったですが、運転手に「必ず乗りますから」と告げて展望台へ。バス停から5分で着きましたがなかなかの景色でした!

 

■帰路

 

JR佐世保駅から帰路につきます。シーサイドライナー長崎行きにて早岐駅に向かいますが、前回は廃車寸前のキハ66,67型でしたが、今回は前回長崎乗り鉄時に乗った新型車両YC1型。車内はLEDのスポットライトがふんだんに使われ、暖かい感じがしますが、座席のシート丈が高いため、座っている乗客からは景色が見えにくいのは残念です。

 

またJRの運転間隔はほぼ1時間に1本で、松浦鉄道のほぼ倍。結構混んでましたので、以前のように早岐駅まで松浦鉄道の乗り入れを検討してはと思います。

 

早岐駅で江北行に乗り換えます。

ここで「あら!」以前福岡の香椎線で走っていた同型のキハ47型が彩り豊かになって入線してきました。「なんじゃこりゃ!」と思って乗ってみると、車内吊り広告に、西九州新幹線開業を祝って、子供たちに車両に絵をかいてもらう企画「CHOO CHOO、西九州TRAIN プロジェクト」とありました。

 

 

 

久しぶりのキハ47型のエンジン音を聞きつつ、30分ほどで武雄温泉駅に着きました。

「おっつ!あった!」西九州新幹線つばめ号とリレーつばめ号です。近代的な新幹線とリレーつばめ、これに国鉄時代のキハ47型が並ぶ姿もなかなかオツなものです。

 

20分ほどで江北駅に着きます。ここから諫早までの旧長崎線は並行在来線として、新幹線開業後20年間はJR九州が運行を行い、路線の維持は第3セクターで行うという上下分離方式を採用。また肥前浜~長崎間は非電化としたので、この線を運行するためのキハ47型が、青い塗装を施されて停車していました。

 

 

■まとめ

 

松浦鉄道もコロナ禍にあっては経営的には厳しいのでしょう。車両のシートは一部はげかけており、駅のメンテナンスも遅れ気味かと思いました。

ただ人口24万人の佐世保市北部を通るだけ、福岡の「平成筑豊鉄道」よりはまだ恵まれているような気がします。

また各駅待合所には地域の子供たちの大きな絵が飾られ、「MRに乗ろう」という標語も数多く見受けられました。MRは地域に根差して深く愛されてる鉄道だと思いました。

 

今回使ったのは「旅名人の九州満喫きっぷ」。「青春18きっぷ」よりは1枚当たり1300円高いですが、九州内全ての私鉄にも乗り放題。松浦鉄道の1日フリー券が2500円ですので、その安さは見逃せません、かつ通年発売なのがGOOD!です。

 

 

この「旅名人の九州満喫きっぷ」の有効期限は3ヶ月ですんで、次は未乗の島原鉄道、JR三角線、肥薩オレンジ鉄道と進めてまいる所存です。

乞うご期待!(別に期待せんわな!)

 

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すいません!紛失したと思っていた乗り鉄メモが見つかりましたので、後日全面改訂しました。


(完)