山本周五郎 『正雪記(下)』 (新潮文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

還暦過ぎの文庫三昧

 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。

還暦過ぎの文庫三昧

 2009年1月発行の新潮文庫の下巻。上巻の際にも書いた通り、当初1971年4月に全1巻で文庫化され、改版により上下巻に分冊されて、発行日付が新しくなったものである。

 上巻で、由比与四郎は匂坂家に伝わる紫金洞の財宝を発見し、島原で知遇を得た豪商・油屋重右衛門の手で堺へ運び、膨大な軍資金を得た。彼はそれを原資として何かをやろうと企図しており、そのための人材も確保しつつあるが、しかし、何を成そうとしているのかは、まだ胸中に秘したままであった。

 下巻は『第二部』の続きからであるが、石川はんと後藤庄三郎との江戸の大火を経ての微妙な関係がしっとりと描かれたり、由比の町で逼迫した暮らしをしている与四郎の父・与兵衛の劇的な環境変化が織り込まれていたりする。与四郎は自らが表に立つことはしないまま、与兵衛の資産を奪った土地の有力者を排斥し、与兵衛の立場を回復させてやるのだ。そして、名を民部正雪と改めて、丸橋忠也、匂坂喜兵衛、味平兵庫、僧・覚念などと、いよいよ江戸を目指すことになる。

 『第三部』では、すでに江戸で堂々たる屋敷を構え、多くの門弟を抱えて兵学の講義をし、諸候の屋敷へも招聘される由比正雪が登場する。丸橋忠也も別に槍術の道場を構えている。そして、一度は後藤庄三郎の妻になろうとしたはんであるが、大火の際にはんを救うため大火傷を負った庄三郎はそれを望まず、はんに江戸城西丸への勤めを促すことになる。将軍家の第三子・長松の養育係であり、伊豆守信綱の眼に適ったのであった。また、庄三郎は由比正雪がかつての与四郎であることをはんに明かし、はんは正雪の屋敷を訪ねてゆく。末を誓い合ったつもりの二人が十数年ぶりに対面するシーンは、与四郎の変貌ぶりがあまりにも大きいとはいえ、やはり感動的である。正雪は約束を反故にしたことを詫び、自分の大望のために、生涯にわたり妻帯しないことをはんに告げた。

 ところで、この作品の不思議なところは、『正雪記』とタイトルに謳いながら、由比正雪が何を行い幕府を震撼とさせたかは全く描かれないことだ。彼は巷にあふれる牢人の生活が成り立つようにとその処遇のしかたについて幕府に提案を行おうとした。一方の幕府は、牢人たちを抹殺することが徳川政権の安泰に繋がることと考えていた。要するに「慶安事変」と呼ばれる謀反の実態は、時代の流れと権力の犠牲となったことだと、それが著者の主張なのである。

 由比正雪の言動が具体的に描かれない代わりに、下総の国の「七重村の二十軒」の出来事が象徴的に詳述される。牢人たちが代官所の許可を得て開墾した土地が「二十軒」と呼ばれていて、およそ10年の労苦の末ようやく稔るようになった。ところが、「二十軒」は利根川の水系を乱し、他の農地を犠牲にしているとして、立ち退きを要求される事態となるのだ。正雪は喜兵衛と兵庫を派遣し調査を進め、領主の牧野家に対して穏便の取り計らいを依頼するのだが、結局は強行手段で牢人の排斥が行われてしまう。この土地を離れて生きる希望を持てぬ牢人たちは、せめて最後は武士らしくありたいと、戦って死んでゆくのだ。

 そして、このときの正雪を、幕府は危険人物と見做すのである。紀伊の頼宜に呼ばれ、信綱と二人を前にして正雪は蝦夷の開発に牢人を使うことなどを提案するが、それも受け入れられない。逆に、幕府批判と取られてしまうのだ。探索の手が伸び、忠也が暴走し、ついに正雪の一行も討たれることになってしまう。

 巨大な組織の意思は、個人では阻止できないのである。罪状などはいかようにも組立可能なのだ。組織に立ち向かおうとした個人の悲劇がここにある。

 由比正雪という人物の造形や「慶安事変」の解釈には異論があるかもしれない。しかし、個々のエピソードを積み重ねる語り口はやはり山本周五郎のものであり、読み物としては一級の面白さであった。周五郎の短編が好きな読者であれば、いくつかの短編の集合がいつの間にか長編になっているという感じのこの作品も、きっと好きになれると思う。

 自分にとって、山本周五郎はときどき読み返したくなる作家なのである。

  2011年8月24日  読了