須磨部長   : 『しかし昇進に当たって一つ条件があるのだが・・・』

私        : 『条件ですか?それは一体何・・・。』


この時の私はこれから起こる危機的状況などを疑う余地は全く無かった。そもそも自身にとって悪い話で呼び出されたと思い込んで役員室に赴いた所に思いがけない昇進の話。何度も言う様だがお荷物社員だった私には、確実に出世コース乗ったのだと勘違いするには充分なシチュエーションであったはずだ。


須磨部長   : 『私には二人娘がいるのだが、実は上の娘になかなか男っ気が無くってなぁ・・・。』

私        : 『はぁ・・・。そうなんですか。部長のお嬢様なら聡明な方なんでしょうね。』


いきなり部長の身の上話から始まり、いささか拍子抜けしてしまった。篠田取締役の顔も元部下が何を言いたいのか理解できず怪訝そうな表情を浮かべている。私の昇進と部長の娘さんとどう関係があるのかは次の一言で容易に理解する事になる。


須磨部長   : 『・・・一度上の娘と会ってやってはくれないか。』

私        : 『それは構いませんが、それは所謂お見合い・・・って事ですか?』

須磨部長   : 『なかなか飲み込みが早くて結構な事だ。つまり私は君をそれだけ買っているという事だ。』

私        : 『部長もご存知の通り、私はそこに居られる篠田取締役の身内と結婚していまして、お見合いというのはどうも納得が出来ません。』

須磨部長   : 『お互いに気に入ってくれさえすれば、君がバツイチであっても私としては何ら問題ないよ。』


何と言う事だろう・・・私は明らかに社内の勢力争いに巻き込まれてしまったのだ。私の知っている限りでは、篠田取締役が社外に居た須磨部長を何度もオファーを出してやっと連れて来たとの事。その二人が私の目の前で対立しようとは全く想像していなかった。案の定篠田取締役が黙っている訳が無い。


篠田取締役 : 『私の従兄弟と離婚して君の娘と結婚なんて心中穏やかではないな。』

須磨部長   : 『そうですか?身内を次期社長候補にぶつけようとした篠田取締役の言葉とは到底思えませんね。』

篠田取締役 : 『一体何の事だ。何を根拠にそんな事を・・・。』

須磨部長   : 『そうですか・・・忘れたのなら敢えて言いましょう。黄泉比良坂くんが今の奥様とであった合コンは、元々は社長のご子息が参加されるはずだった。その情報を予め知っていたアナタは自分の身内を参加させ、あわよくば結婚させようと画策していた・・・そうじゃありませんか?』

篠田取締役 : 『何て根も葉もない事を・・・。何処に証拠があると言うんだ。』

須磨部長   : 『あるじゃないですか?生き証人が・・・。』

篠田取締役 : 『まさか・・・。彼女が裏切るはずが無い』

須磨部長   : 『苦労しましたよ。・取締役の身内から裏を取るのも・・・』


私は愕然とした。次期社長候補のご子息が参加出来なくなった数合わせの為に参加させられた事もそうだが、何よりも私の妻が取締役の勢力争いの道具として使われていた事に。美人局として篠田取締役に使われたのには止むに止まれぬ事情があったに違いない。そう言い聞かせるも次の会話で決定的ダメージを受ける事になる。


篠田取締役 : 『まさか・・・。彼女が裏切るはずが無い』

須磨部長   : 『苦労しましたよ。取締役の身内から裏を取るのも・・・まぁこれを見せたら白状しない方が不思議と言うもの。』


そう言うと手元に置いてあった封筒の中から、報告書らしき書類と大量の写真がデーブルの上に無造作に置かれた。写真も普通では無く隠し撮りっぽい写真の様だった。恐る恐る覗いてみると写真に写っているのは、見慣れた男女一名づつ。一人は篠田取締役。もう一人は・・・濃い化粧で顔を隠しているものの明らかに私の妻だ。


篠田取締役 : 『貴様・・・何て事を。』

須磨部長   : 『黄泉比良坂君・・・私が何故離婚を勧めているか分かって頂けましたか?』

私        : 『・・・』


取締役と妻がオトコとオンナの関係だったなんて・・・信じられる訳がなかった。ほんの数分前まで私には過ぎた妻だと疑わなかったのに、私の知らない所でこんな事をしていたなんて・・・。止むに止まれぬ事情があったにせよ、許容範囲が明らかにオーバーしている。出来過ぎた妻ゆえに、怒りよりも自分の悪い所を探す事でしか自分を保っていられなかった。


篠田取締役 : 『一体私にどうしろと・・・』

須磨部長   : 『取締役を辞任して頂けますか?勿論ここも辞めて頂きます。あなたは取締役の間でも目の上のタンコブでしたから。』

篠田取締役 : 『ここまで君には目を掛けてやったのに・・・飼い犬に手を噛まれるとはこの事だ。』

須磨部長   : 『残念ながら、私がこの会社に来た最大の目的は篠田取締役・・・あなたを退陣させる事でした。あなたは私をここに呼んで将棋の駒の様に働かせるつもりだったでしょうが、私はあなたからオファーを受ける以前から社長からオファーを頂いていたのです。その為スキャンダルの証拠をつかむ為にあなた側の人間としてずっと装っていました。それともこれを覆せるだけの何かを持ち合わせているのなら、今お聞きしましょう。』


篠田取締役はもうどうする事も出来なかった。仮に次期社長候補を妻と結託して反社長派に取り込もうと画策していた事は未遂に終わったとしても、部下の妻と不倫していたというスキャンダルが明るみになった以上、会社には居られないだろう。と同時に私ももうこの会社には居られない。タダでさえ取締役の身内と結婚して同僚から色眼鏡で見られてるのに、このスキャンダルが噂となって広まれば、それ見た事かと思われるに違いない。そんな状況の中で今まで通り仕事が出来る程メンタルは強くない。この時には勝ち組というおごりはどこか吹き飛んでしまっていた。


須磨部長   : 『さて・・・君には申し訳無い事をしたと思っている。全く関係の無い君を巻き込んでしまって。』

私        : 『いぇ・・・。』

須磨部長   : 『私を許して欲しいなんて言わない。だが君にも分かって欲しい。同じサラリーマンとして私のするべき仕事をしただけなんだ。』

私        : 『・・・こんな形で妻の秘密を知るなんて思っても見ませんでした。』

須磨部長   : 『今回の事で私は、君や君の奥様をずっと見てきたが、私は心の底から君の事を社に必要な人材と思っている・・・決してうちの娘ととの話も嘘ではない。出来ればそうなって欲しいくらいだ。しかし君はツイていなかった。』

私        : 『私はほんの数分前まで何て幸運の星の元に生まれたんだろうと思っていましたよ。不幸って突然やってくるものなんですね。』

須磨部長   : 『・・・でこれからどうする?私としてはずっと社に居てもらいたいのだが。』

私        : 『今日はこれ以上何も考えられません・・・申し訳ありませんが、早退させて下さい。』

須磨部長   : 『分かった。私から君の上司に連絡するから、このまま帰宅しても構わんよ。』

私        : 『有難御座います。ではこれで失礼致します。』

須磨部長   : 『ご苦労さん。』


そう言うと、私は憔悴しきった取締役としてやったりの部長を残しさっさと退室したのだった。

とにかくその場からは離れたかった。が自宅に帰りたい・・・とはどうしても思えない。帰っても妻との修羅場が待っているだけだ。気が付くといつも帰る道と違う道を歩いているのであった。





<次回に続く>