(注:これは私の備忘記であるので、ヒマ人以外は読まぬことを推奨します。
読んでから「長すぎる」などというクレームは受け付けませんので、悪しからず。)
42年前に初恋を経験した私は、その相手に固執し続け、フラれたけれども愛する彼女のために何かしてあげたい、
彼女の人生で辛い時に助けてあげられるような存在であり続けたいと願い、それを実践してきた。(当時中3)
20歳くらいになったときには、「もう他に好きな人(現嫁)もできたし、恋愛感情なしで友達として付き合ってね」と私は言い、それを彼女は受け入れてくれた。
デート(もどき)も何度かした。ドライブ、パチンコ、カラオケ、コンサート、いろいろ行った。
私には思い出深く、多くを覚えているが、彼女はほとんど忘れている。
仕方がない、ホレた弱みってやつだわ。そんなもんやと思う。(逆の立場だったら俺もそうだもんね)
私のほうが先に結婚した。
うちの子が生まれた時に、彼女はお祝いを持って私のアパートまで来てくれた。
その時にうちの嫁とも面識はある。(その時だけだが)ちゃんと「初恋の相手」と紹介した。
後に彼女も結婚し、私は仕事を抜け出して結婚式の当日会場まで行き、彼女と示し合わせてその花嫁姿で平安神宮の庭でツーショットを撮ってもらった。
彼女の旦那の話は意識してしなかった。聞きたくもないからね!
彼女が子供を産んだ時には私は産院まで行って病室でお見舞い&お祝いをした。
私自身と、うちの娘二人と、彼女の子が産まれた産院が同じだった。(家も近所だしね!)
その後、彼女は子育てに奔走したはずだ。私とのかかわりも減っていった。
ただ、年に二回のご挨拶は欠かさなかった。
年賀状と「誕生日メール」である。
私のことを知っている人からはツッコまれそうだが、毎年、「元気か?幸せにしているか?」と送っていた。
ある年は誕生日にメールで「おめ」と送ったら、返信は「あり」だった。
もう10年以上前だったか、彼女から相談が来た。
父上がある病気でなかなか厳しそう、というものだった。
聞けば確かに厳しそうで、簡単に助かるものではなかろうと話したが、その後やっぱり父上は亡くなってしまった。
その後、彼女は姉の夫、つまり義兄をこれまた病気で失ったと聞いた。
私の耳に病気の話が入ってきた時にはすでに「ターミナル状態」であった。
さらに彼女の実の兄まで、急死をするという事態になった。
私は、何をするということもないがそれなりの助言はしてきたと思っている。(役には立っていない)
この子は「男運」がないなぁ、と思っていた。
そして「あんたな、周りの男性がみんな亡くなっていってるやろ。旦那は大事にしいや」と言い、事あるごとに「幸せにしているか?」とメールを送っていた。
3年前、いつも通りの誕生日メールへの返信に私の心は踊った。
「子供も大きくなって、自分の時間も取れるようになった。久しぶりに飲みに行かない?」という内容だった。
私は浮かれ狂った。本当に狂っていた。
40年前に好きになった初恋の相手と、20年ぶりにデートができる!
本当に浮かれ狂った。
ただ冷静な自分もいた。
デートのプランを入念に練り「狂い」、頭の中が彼女だらけになっていた。
実はその時期が一番幸せだったのかもしれない。
もうあんなに浮かれることはこの人生では起こりえないと思うほどであった。
やがて、当日を迎え、会う。
当日は冷静にふるまった。朝から会って、昼飯、夕飯、12時間くらいデートした。
しかし、「あかん、こいつは俺が大好きだったあの頃のあいつのままや!」本当にそう思った。
もちろんその時点で50歳を超えており、「おばさん」になっているのだが、私にはそうは見えないのだ。
本当に楽しいデートだった。もちろん手もつながないし、接触は最小限で別れ際のグータッチのみであった。
その後、短期間で何度か会った。
そして一緒に東京へ一泊旅行に行こうという話にまでなった。(私は東京日帰りの旅をオファーしたのだが・・・)
「え゛?」と私は思った。
それって、「もう何してもええよ」っていうことに聞こえるのだが、俺がおかしいの??
もちろん、「シングルふたつやで!」ということになってはいたが、男としては邪念が捨てられない。
あるデートの日、ドライブしていたがそこで彼女の思わぬカミングアウト!
「実はな、旦那とはうまくいってへんねん。単身赴任で離れた後、帰ってきたけどギクシャクして今ではもう話もしない仲になってしまってん・・・」
いや、ちょーまてよ!それって、俺を誘っているとしか聞こえないんだが・・・。(^^;
俺は(実は用意していたセリフだったが)こう話した。
俺はな、あんたのことが死ぬほど好きってことは知っているよな。
でもな、俺の中では「ホワイトだいぼん」が完全に勝っていて、あんたを抱きたいとか、そういう仲になりたいとか、ないとは言わんけどもそれは絶対に抑えられるねん。
ところがさ、俺の中には「ブラックだいぼん」もいるわけでな、そいつが言うねん。
「お前、向こうがブラックでないという保証はどこにある?向こうがブラックだったらお前がホワイトでいること自体が罪になるんとちゃうんか?」と
(私にはややコミュニケーション障害があるかもしれないと思っているのだが)それを面と向かって聞いてみた。
「あんたにはブラックな部分はないのん?」と。
するとノータイムで「ない、ない、一切ない」との答え。
私はその時、実は内心、ホッとした。
しかし、そこから意外な展開に・・・。
「あなたがそんなふうに考えているなんて思わなかった。旅行の話はキャンセルにしてください」と・・・。
実はそれがコロナ禍の始まりの時期だったので、実際に行くことはできなかったのだけど、キャンセルされてしまった。
私は自分で「懲役2年」を課すことにした。
自分からは誘わない。
向こうからは「そんなこと言う人は、昔だったら即ブロックだったけど、今はそこまではしないよ。考え方の違いだからね」と言ってもらえて、切られることはなかった。
これは40年の歴史の賜物だったと思う。
LINEでの連絡は続いていた。しかし会うことはなかった。
ある日(数か月前)、旦那の日常の話をいろいろ聞き、「それはコミュニケーション障害や「うつ」の可能性もあるんじゃないか?」と指摘した。
(実は↑↓この間に離婚が成立したらしい。あとで知ることになった。)
今回、彼女からは「彼はASP*ではないだろうか?」と言ってきた。
知らんやん、会ったこともない人なんやし・・・。
それに結婚して20年も経ってからそんなこと言うって、どういうこと?
私は「彼女にも極軽度のコミュニケーション障害があるのかもしれない」と思った。
そう考えると、すべてのことに説明がつくのだ。
ADHDである私自身が惹かれたこと。
二人で旅行に行こうという「ノーテンキ」な話になったこと。(「抱いてもいいよ」に聞こえてしまう俺が悪いのか?)
20年間も旦那の障害に気付かなかったこと。
今になって考えると、時々「話が飛ぶ」ことがあったんだよね。気にしていなかったけど。
発達障害あるいは自閉症(この名前はとても悪いと思っているのだが)スペクトラムといわれるようなものは、ある程度誰にでもあるとは思う。
(私が絶対に正しいということはないし、私の推測なのだが)
彼は元来持っていた性質(自閉症スペクトラムのいわゆるASPタイプ)の上に、職場での人間関係もうまく構築できず、(コロナ禍もあって)リストラ退職に追い込まれ、さらに親の死まで起こり、
もう自分では処理できないほどのストレスを抱え、鬱っぽくなっているのではなかろうか?
ベースに発達障害を持ち、それに精神疾患が乗ってくると、ほぼ思考停止状態になってしまうのかもしれないし、「病院へ行く」という選択肢はそのプライド故選択することはない。
「じゃぁ、これからどうしてやっていくのか」という選択すらできない。
「働かずにこれから生きていくことは難しいでしょ」と論理的な話には「何を言いたいのかがわからない」と逃避してしまう。
そして「じゃあ、選択肢を挙げてみよう。1・・・2・・・3・・・」と言われてもそれは彼にとっては「追いつめられること」に感じてしまうのではないか?
そしてそういうことを言う相手を恨んでしまい、最悪の事態になっていく。
しかし私は「彼」のことなど一切知らないし、知りたくもない。(少なくとも私の大好きな、最愛のあの子を「抱いた」人だからね!)
私からのアドバイスは「障害を理解し、病気についてはできる範囲で治療をし(治療するにはどうすればよいかも考えないといかんが)、徹底的につきあう心構えがないとうまくいかないだろう。
それができないなら、「棄てる」しかないんじゃないか?という冷酷なものだったが、
彼女はノータイムで「精神的にも経済的に私が支え切る自信がない。自分の収入は子供のために使うべきだと思う。子供が理解してくれたら、私は旦那を棄てる気しかない」と言った。
現状ではすでに協議離婚は成立し、子供が高校を卒業するまでは「子どものために」ひとつ屋根の下で生活することになって単なる共同生活者なのだそうだが、元旦那は子供が大学卒業するまでと主張したそうだ。
でもそれってきっと、「子どものため」じゃないよね。(もちろんそれは断ったそうだ)
おそらく彼は今、「モラトリアム」状態なのだが、次のステップに行くことすら考えられていないものと推察する。
ここまでも十分私の推論ばかりであるが、さらに推論。
60前にもなって職を失い、他人とコミュニケーションをとることが難しい人が、これからどうやって生きていくかというのは大変難しい問題である。
(元旦那の話ではないが~もともと知らない人だからね~)ASPの人って、「こいつ、人を怒らせたら天下一品やな!」というようなことをかなり頻繁に言ってしまうのよね。
まぁ、私自身にもそういう面がないとは思っていないのではあるが・・・。(^^;
家族から棄てられて、それこそ私が大好きで毎週行っているようなところで、2か月に一回、月末に「お給料」をもらって、
月3万円の部屋に住んで、昼から酒飲んでグダグダしている、あの人たちと同じになるんじゃないか、と私は思った。
私の経験ではASPの人は同じ性質の人、つまりASPの人と家庭を築くのが最も心地よい、と思っている。
お互いがお互いの気持ちを理解できず、理解する必要性さえ感じず、よって不満を抱くこともなく、平和に暮らせる。
片方がASPだと、もう片方が疲弊するであろう。
以前の私の部下にはそれがいた。
彼は立派なASPだと思ったが、あとで聞くと父親(以前の私の職場の別の部署の「P」だった)も、
そして一度だけ実家に電話したのだが、電話口に出てきた母親までが、「全く一緒の喋り方」で、「こりゃ家族全員だな!」と思ったので私はフェードアウトした。
それで家族内で完結しているのである。触る必要さえない。
次に私が考えたのは、彼女もそういう片鱗を持っているのではないかということだった。
しかし彼女は「極々軽度」だと思う。しかし、結婚後20年も経ってから配偶者の障害に気づくなんてことは、やっぱりそうじゃないかって思ってしまったのよ。
さらに思うことは、彼女たちの子供にもそういう面があるかもしれないということである。
彼女曰く、子供たちは父親に懐いているという。私はそれじゃやっぱり、そういう面もあるんじゃないか?と勘繰ってしまう。
(うちなんか嫁にあなたはADHDだろうって宣告されているし、娘もある程度そういうものがありそうだって思っているからね!)
私は専門家ではないが、発達障害や人格障害というものは基本的に「病」ではなく「障害」なので、「治る」というものではない。
誰しも多少はそういう面があり、そういう障害を持った人間とその周囲が、それを理解し、少しでも生きやすい方向へ踏み出し、協力していくというのがベストな道だと思う。
私はASPの人たちが人類の発展に大いに寄与したと思っている。
その人に適した場所で「咲く」ことができた人達である。
一般人には成しえないような大きな功績をあげてきたのは多くがそういう発達障害を持つ人であったと思っている。そしてその例は枚挙に暇がないことは皆さんもご存知であろう。
自分と周りが、障害を理解して自分の「咲きやすい場所」を探せた人はうまくいくが、
自分の性質に気づかず、くすぶって咲こうとしても咲けず、ストレスだけが溜まっていき最終的に精神疾患にまで発展してしまう、という例は実は前述の例よりかなり多いのではないかと推察する。
50も60もなってから、なにかが改善するというのも難しい話かとは思うが、お母ちゃんとしては我が子が、そういう嫌な思いをしないように見守ってあげることも必要ではないか、と思った。
私は彼女の子供たちとの接点はほぼない。そしてそのことまでは指摘しなかった。
推察の域を出ないからね。
なかなか難しい話だった。
私はデート自体を大いに楽しんだし、一次会は焼肉、めちゃウマかったし、(結構高かったけど、「非日常」なんだからいいよね!)
二次会はジャズバー、私の守備範囲ではないのだが、彼女が「一度行ってみたい」と言うのでそりゃ頑張って探しましたよ。
「ジャズバーに来るのが夢だった」と。それを実現できて喜んでいただけてよかったです。
「私にはジャズは合わない」、それを再認識した格好になったが、私にとってはそんなことはどうでもよい。
「俺の隣に、彼女がいる」、それだけで十分すぎるほど満足なのである。
ずっと見つめ続けていたかった。しかしそんなことをしたら、彼女はこっぱずかしくって耐えられないだろう。
そうでなくても「かわいい」「大好きな」を連発していたのだから・・・。
一次会の後、ジャズバーまで歩いたが、月はまだ出ていなかった。
その時に、そういえば、夏目漱石の逸話があってな、と私は言った。
漱石が学校の先生をしていた時に、英語で『I love you』 という文があってな、
それを『我、君を愛す』と訳した生徒に漱石はこう言ったそうな。
「英語ではそうかもしれんが、日本人ならそんなことは言わない。日本人なら『月が綺麗ですね』とでも訳しておきなさい」
伏線張っておいて、二次会の後、駅まで歩いたのだが、その時に月が出ていた。
「つ、月が綺麗ですね・・・」、中学生か!?
でもそういうのんが、私好きなのよね~。(^^;
なんで55にもなってあんなにかわいいのん?(^^;
私なりの分析ではこれは「刷り込み現象」なのではないかと。
よって彼女は私にとって死ぬまで愛すべき存在であり続けるしかないのでしょうな・・・。