フルカリックをとるためのリハビリに励む中、この日初めてお粥が飲み込めた。
久しぶりの喉から食べ物を飲み込み、胃に入る感覚が新鮮で、一口だけどお腹がズンと重くなる感覚があった。
気持ち悪い感じはあるものの、すぐに吐く事はなかった。
午後、姑が太朗くんを連れてお見舞いにきた。
入院して以来初めて会う太朗くん。
もう2ヶ月も会ってない。
以前姑に「もうママの事は忘れてる」
と言われた事を思い出して怖かった。
病室には入れないので面会室のドアを開けて、ドキドキしながら太朗くんをみた。
ママの事覚えてる?
ホントに忘れちゃったかな?
元々、あまり私には甘えて来ない子なので余計に心配で、もう姑の魔のトンデモ育児に染められてしまったんじゃないかと。
太朗くんは私をみるとニコニコして近づいてきて、しばらく私の周りをうろうろしながら最後は膝の上に乗ってきた。
良かった!
太朗くんは私を忘れたわけじゃない。
ちゃんと覚えてる。
首から刺さってる管が気になるのか、ずっといじくり回し、その内膝の上で寝てしまった。
それをみた姑は
「やっぱり、ママの方がいいのね!私の膝の上でなんか寝た事ないわ!」
と毒吐きだした。
内心当たり前だろ!と思ったが、面倒みてもらってる手前、いい嫁を演じながら
「毎日大変でしょ、ありがとうございます。」
と言うと
「あんた、その首から入れてる点滴、お腹の赤ちゃんに大丈夫なんだろうね?
手が1本ない子が産まれたりしないかね」
と、産婦人科の面会室で言うセリフか?
とゲンナリした。
旦那といい、姑といい、親子揃ってKYだわ。
面会が終わり、病室でテレビをみていたら、太朗くんが大好きだったおかあさんといっしょのファミリーコンサートがやっていた。
久しぶりに太朗くんに会って心が穏やかになり、きっと帰って太朗くんも見てるんだろうなぁと思って、私もファミリーコンサートをみていた。
しかし、1人でみていると、
なんてつまらない番組なんだ(@_@)
(おにいさん、おねえさんごめんなさい💦)
いつも親子で楽しんでみていたのに、1人でみるとこんなにつまらないのか…
きっと楽しんでみている太朗くんをみて私は楽しんでいたんだなぁ。
母とはこういうもんなんだと、改めて自分が母親であると認識した。
大丈夫、まだ頑張れる。
と、思った矢先、寝る前、ものすごい吐き気に襲われた。
朝、一口食べたお粥は何とか吐かずに持ち堪えたのに、12時間たって吐いたお粥は、お粥のままだった。
何ていうか、全く消化されておらず、私の胃は胃酸すら出てないのかってくらいお粥のままだった。
ヤバイ、私の胃腸はまったく働いてない😰
やっと一口食べたのに全然消化されてない。
何とか食べ物を飲み込む事を思い出したのに
内臓はまったく機能してない。
このまま、フルカリックを抜いたら餓死してしまうんじゃないかと不安になり、やっぱりとりたくないと意地になり主治医を困らせた。
イケメン先生の一緒に頑張ろうに少し前を向いて頑張る気持ちがわいてきた。
あのKYバカ旦那の事はもうほっとこ❗️
お腹の子を生かすも殺すも私次第。
私がしっかりしなくては。
毎日目まぐるしく変わる気分のムラが激しすぎてもうメンタル崩壊だけど、ほんの少しでも前に進めるだけで少し喜びにかわってきた。
妊娠するたびに、何でいつも私だけ?と悲観的になっていたが、長く入院するうちに気がついた事がある。
私だけじゃない。
そう、ここは大学病院の産婦人科。
ハイリスクの出産の人しかいない。
自分だけがつらいと、何で私ばっかりと周りに当たり散らし、周りの事なんて考えもしなかったけど、ここには私よりも大変な妊婦生活を送る人が沢山いた事に気付いた。
今のところ赤ちゃんも無事成長してる。
前向きに考えなくてはと自分で自分を励まし何とか乗り切ろうという気持ちを持てるようになった。
この頃、主治医から、そろそろ首のフルカリック1号くんをとってみないかと提案された。
もう、2カ月近く食事をとってないのに、フルカリック1号くんを入れてから全くお腹は空かないし、体重も減らなくなり、私としてはとても快適になり手放せなくなっていた。
姑は、こんな薬漬けでまともな子が産まれなくなる、と騒いでいたが、実際お腹の子には影響ないのか心配にはなる。
しかし、これを取ったからといっても食事をできる保証はない。
渋ってる私に主治医の先生は言った。
「高カロリー輸液を入れてるとお腹が空かないんです。これが逆に食欲を沸かせる気持ちもなくなってしまうので、少しお腹を空かせましょう。」
確かに健康な状態でもお腹が空いてなかったら、ご飯を食べようとする気もないよな。
「今すぐにとれとは言わないので、今週1週間の間に少し食事をとってみませんか?」
と言われ承諾した。
その日の夜、入院してから初めて食事が出された。
食事といっても2ヶ月も何も食べてないので、かなりゆるいお粥が出た。
看護師さんも心配して見守ってくれてます。
「嫁子さん無理して食べなくてもいいよ。ほんの一口でもいいから」
と、応援してくれる。
そして、お粥を一口、口に入れてみて違和感を感じた。
ご飯ってどうやって飲み込むんだっけ?💦
ご飯を食べる事を身体が忘れたみたいです。
薬は飲める。
じゃぁ、ご飯は?飲み込む?
物すごいゆるいお粥をカミカミしながら一向に飲み込めない。
1度吐き出し、見守ってる看護師さんに真顔で聞いてみた。
「あの〜ご飯ってどうやって飲み込むんでしたっけ?」
「・・・・・・・・・・・・・・」
もう、食欲とか、空腹とかそういうレベルの話ではなくなってきた。
赤ちゃんだって産まれてすぐ乳吸える。
食べる方法を忘れた私は今ただ生かされてるだけ。
自分が生きてる実感が湧かなくなってきてショックを受けた。
心にポッカリ穴が空いてしまって、私は自分で生きてない、、、、、
生かされてる、、、、、
身体からボロボロと何か剥がれるように涙が溢れてきてそのまま放心状態。
せっかく立ち直ろうと前向きになれた矢先またもどん底に突き落とされる。
心配した看護師さんが
「嫁子さん大丈夫ですよ。今日は口の中に食べ物入れる事が出来たんだから❗️」
と、ものすごいポジティブな事を言ってくれた。
明日、また練習しましょうと、その日の食事は下げられた。
私、産婦人科に入院して一体何やってるんだろう。
その日の夜、泣きながら中々寝付けないでいると、お腹がポコンと何かを感じた。
これは!
胎動!?
妊娠した事ある人ならすぐにわかるこの感じ。
間違いない、胎動だ。
この子を妊娠してから初めて感じた胎動。
生きてるよ!
僕は元気だよ!
お母さん頑張って!
そう言われてる気がして涙がとまらなかった。
そして、身体の芯がお腹の辺りからポカポカと熱くなるを感じ、私は生きてる、生かされてるんじゃない、この身体にはちゃんと2つの命が確かに生きてる。
ごめんね、お母さんもう少し頑張るよ。
終わりのない入院生活、先の見えないつわり、
トイレとベッドの往復だけの生活、もう限界だ。
1日に40回ほど吐き、もちろん胃液しかでませんが・・・
食事もしないので、ベッドとトイレの往復だけの日が続き精神的に参ってしまし、誰かと話す事もできなくなっていた。
看護師さんが何か話してくれても、返事しかできず、そのうち返事もめんどくさくなり、話す事も笑う事も、食事をする事もなくなった私は何の為に生きてるんだろうとさえ思うようになってしまった。
薬を飲んでる水さえ受け付けなくなり、とにかく一口の水だけでいいからバイアスピリンは頑張って飲む事と言われたが、もう自分の中ではダメかもしれないと半分諦めるほど、気力や生気がなくなっていった。
いつも思うのはお腹の赤ちゃんに、ごめんね、無事に産んであげられないかもしれない、と謝るばかりだった。
久しぶりにお見舞いにきた旦那に愚痴ってみた。
唯一、この辛い状況を分かち合える相手だと思ったし、きっと励ましてくれると思った。
しかし、旦那から帰ってきた言葉は
「しょうがないだろ、こうなる事はわかってたんだし」
と冷たい言葉だった。
更に、
「それにしても、おふくろは良くやってるよ~太郎くんがおとなしいとはいえ、24時間子育てって大変だからね」
と追い打ちをかけた。
もう、ダメだこの人、そして私ももうダメだ・・・。
悲しさよりも怒りの方が大きく、
何ていう無神経で心ない言葉、信じられない!!
今この状況の私にいうセリフか?!
あまりにショックな言葉と怒りに身体が震え、
「もう帰れ!!」
と言うと
「え?何で?」
ととぼけた顔した旦那に
「もう帰れ!!!!二度と来るな!!!!」
と大声で叫んだ。
旦那を追い返したあとも怒りが治まらず、ベッドのわきにある荷物や備品を全てなぎ倒した。
さすがに誰かナースコールをしたのか、看護師さん数人にが来て止めに入ったがわけのわからない事を叫び発狂している私にビビり、先生を呼ばれた。
そして、タンカーで運ばれ、このまま精神科にでも連れて行かれるのかと思ったら、産婦人科の診察室だった。
中にはイケメン先生がいて
「大丈夫?少し落ち着ける?」
と聞かれ
「うるさい!男に何がわかるの!!いくら産婦人科の先生だって妊婦の気持ちなんてわからないでしょ!」
最悪の暴言を吐きました。完全に八つ当たりです。
一体私は何やってるんだろ、これがこれから先2児の母になろうとしている人の姿だと思うと情けない。
イケメン先生はそれでも真っ直ぐ私を見て
「確かに男だから気持ちを理解する事はできないかもしれない、だけど、一緒に頑張る事はできるよ、今が一番つらい時期だと思う、けど、必ずよくなるから」
そう私に言った。
この言葉、この言葉をさっき旦那に言われたかった。
それだけでどんなに救われたか・・・。
イケメン先生の言葉を聞きその場で泣き崩れた。
主治医に2~3日の入院でいいと言われ入院したが、2、3日どころかこのままいつ帰れるかわからない状態になってきた。
心配だったのは太郎くんだった。
2、3日の入院予定だったので、義父母にみてもらっていたが、ここにきて義父母にも限界がきたようだ。
旦那が役所に相談しに言った所、それはそれは同情され、担当者が親身になってくれて、保育園の緊急一時保育を探してくれた。
緊急一時保育とは、保育者の病気や、介護などで一時的に家庭での保育が困難となる児童を保育園で預かってくれるという制度らしいです。
市町村によって時間や制度は違いますが、日中預かってもらえるだけでも、義父母の負担も減るだろうし、私もその方が安心です。
太郎くんはあまり手のかからない子ですが、姑のトンデモ育児で育てられてるかと思うと不安で入院なんてしてられません・・・。
預かってもらって感謝はしてるんですが・・・・
幸い、家の近くの保育園が受け入れてくれるそうで、面接に行った太郎君は泣く事もなくお友達と元気に遊んでいたそうです。
これで一つ心配事が減り、治療に専念できます。