平 家 物 語

”祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。

  娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。

 驕れる者久しからず、ただ春の夜の夢の如し。

  猛き人もついに滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。”


注:祇園精舎:釈迦の時代、北インドのバルランブールの郊外に作られた修業所の名称

  娑羅双樹:釈迦が亡くなった時に横たわっていた聖木(サラノキ)
       (菩提樹は釈迦が悟りをひらかれた時の聖木)

  作者  :吉田兼好の徒然草では信濃前司行長が作者で、生仏(しょうぶつ)という盲目の音楽家 に語らせたと記されてある。琵琶法師は後期に活躍した。

「この物語を記したのは、己を諌めるため、いつでも見れるようにと思って書いた。」

注2:平家の最後 壇ノ浦の戦い

 これは平家(平知盛)と源氏(源義経)の源平で始めての海上戦で、海上は平氏 陸戦は源氏が有利と決まっていたが 最後は潮流の利用で義経が勝った

なぜか、義経は地元の串崎船を仲間に引き入れ、始めは不利であったが、潮流の変化時間まで持ちこたえ、そこから反撃しほぼ平氏を全滅に持ち込んだ(また義経は頼朝の怒りを解くために死を覚悟して戦った)

義経は結局は勝ったが、頼朝の怒りは修まらず東北方面へ逃げ落ちた

冒頭の平家物語は当然平家の衰退の話であるが、源氏にも衰退の話(義経)でもあり 驕れる者久しからずの言葉が身に滲みる(ちなみに義経は当時27歳であった)